未熟を自覚する ーside Aschー
リスティアータの部屋から出て、タルタロスの艦橋に向かっていたアッシュは、誰もいない通路に差し掛かった所でピタリと脚を止めた。
そして徐に自分の頭を掻き毟る。
それはもうガシガシと。
顔も見事なくらい真っ赤に染まっていたが、今のアッシュにそれに構っている余裕は皆無だった。
内心では自分への悪態ばかりがひたすら巡っている。
クソ、畜生、こんな筈じゃ、姉上の前で何て醜態をっ、等々。
そう思いながらも、抱き締められた温もりに安らいだのも事実であり、アッシュにとっては当然の事で、
何か考えているようだが、実際は何一つ考えられていない。
ただ立ち尽くしている自分に気づかず、アッシュは叫びだしたい衝動を必死で堪えた。
(落ち着け、とにかく落ち着け)
暗示のように何度も何度も何度もそれを繰り返して、漸く少し落ち着いた頃にはかなりの時間が経っていた。
そんな自分を確認して、アッシュは自分の手を見る。
剣を持ち、自分を守り、数多の命を傷つけ、殺してきた、自分の手だ。
(……強くなったつもりだった)
そう独りごちて、込み上げた悔しさに拳を握る。
強くなったと思っていた。必死で鍛錬をして、強くなったと。
そうして自分を守れるようになったら、姉上を護るのだと。
でも、実際はどうだ。
どんなに武を鍛えようと、精神は、心はこんなにも脆弱じゃないか。
憎しみや焦燥に任せて行動した結果、姉上を傷つけた。
なのに自分は、何度も姉上に護られている。
先程のように、何度も心を救われている。
何が強くなった、だ。
何が姉上を護る、だ。
(まるで話にならないじゃねぇか…っ)
衝動を堪えきれず、アッシュは拳を壁に叩きつけた。
と、
「にぅ!」
声と同時にふわふわとした何かが視界を掠めたかと思えば、強張っていた頬にペチペチと何かが触れる。
何だとアッシュが首を巡らせれば、肩に座っている漆黒のチーグル(姉上はクロと呼んでいたか)が自分をじっと見つめていてた。
何となく、その顔は厳めしいように見えなくもない。
「……………ふっ」
まるで、これっぽっちも怖くない姉上の「めっ」と言う顔によく似て見えて、アッシュは思わず吹き出した。
それを見て、チーグルは満足したように再び丸くなる。
チーグルの(まして子供の)考えなど分かる訳もなく、アッシュはリスティアータの言葉を思い出していた。
「この仔を導師イオンの所へ連れて行ってもらえるかしら」
そう言われて、一番に出た言葉は「何故?」だった。
何故、チーグルを連れているのかも気になったが、何故、自分の傍にいるチーグルをわざわざイオンに預けるのかという方が気になる。
窺う視線を受け止めて、リスティアータはにっこり笑った。
「導師イオン、きっとお一人で不安だと思うの。この仔がいれば、とても和むから」
本当に?とアッシュは言わなかった。
それが真実だろうと、何か別に考えがあろうと、彼女が自分に何も言わない事を知っていたから。
そう。
リスティアータは何も言わない。
知っている筈なのに。
それが絶対だと解っている筈なのに。
【誰かの為】に、未来に関わる何かを言う事は、ない。
それは【預言】だ。
それを言っては、相手の選択肢を奪う事になると、そう思っているのだろうと、アッシュは考えている。
彼女を知る者は、それを頑なと言いながらも認めるだろう。
彼女を知らない者は、自分勝手だと、力に驕っていると、彼女を責め立てるだろう。
しかし、そう言う者こそが預言に溺れ、自らの足で立つ事を投げ出したのだ。
預言に従って死ぬ覚悟もないくせに。
何にせよ、リスティアータを【リスティアータ】ではなく【姉】として見ているアッシュには関係ない。
自分で考えて、後悔のない方へと進むだけだ。
決意を新たにしたアッシュは、集中するように目を閉じる。
(……応えろ…応えろ…!)
「アンタ、自分の部屋に戻ったんじゃなかった?」
艦橋に入ったアッシュは、からかいを含んだシンクの声に、ぐっと眉間に皺を寄せた。
「だったら何だ」
「別に?そのアンタが何でソレを連れてるのかと思っただけさ」
「っ!」
ニンマリと嗤うシンクにハッとしても今更だった。
肩にちんまりと乗ったチーグルは、この場にいる全員は勿論、通路で擦れ違った神託の盾兵達にも目撃されてしまっただろう。
「…………な」
「な?」
「……和むから、連れて行けと」
「…………」
食い違った上に苦し紛れとも取れる言い訳だったが、シンクは黙った。
リスティアータなら言っても何一つ不思議じゃないと思ってしまったからだ。
「………あっそ」
「……………」
あっさり納得したシンクは、興味が失せたとばかりに再び前を向く。
「ザオ遺跡までの時間は?」
「あ、あと一時間程で到着予定です」
それ以降、艦橋には沈黙が流れた。
アッシュはすやすやと眠るクロを肩から降ろすでもなく、同じく艦橋の中にいる。
よく分からないが、何となく引き返せなくなっていた。
執筆 20090424
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