帝都勇盟大学に登校中の出来事。べしゃり、と情けない音がした。
美久璃の視界は目まぐるしく移り変わり、暗闇に変わる。どうやら派手にころんだようで、膝や肘などに強い衝撃と擦ったあとの熱さがじわじわと広がっていくのを感じた。登校中の学生たちは美久璃の様子を見ても、驚いているだけで手を差し伸ばす様子はない。
一拍置いて、手元から吹き飛んだ文学本が美久璃の後頭部に直撃した。
「いた…っ」
バサバサと音を立てた文学本が無残な形で伏せるように地面に落ちた。美久璃は顔を上げて、文学本の頁に折り目などがつかないよう、その本を慌ただしく拾い上げて栞を挟んだ。
「美久璃さん、大丈夫かい!?」
後方からバタバタと騒がしい足音が聞こえたと思うと、突然両肩を掴まれて体を起こされ美久璃が驚いた顔で声の主を振り向いた。黒い学生服に身を包んだ、ギザギザの前髪が特徴的の男子学生がそこにいた。
「…あ、ありがとう、龍ノ介くん…」
美久璃は両手についた砂を払って、うちつけた場所を見るために着物の袖を捲った。美久璃の手荷物についた埃を叩いて払っていた成歩堂がぎょっとする。
「怪我したの?」
「ううん、大丈夫だと思…」
今度は、袴を膝まで捲りあげた美久璃がぎょっとした。怪我こそしていないものの、広範囲に渡って内出血を起こしており、かなり酷い見た目になっている。隠すように裾を戻した美久璃だったが、しっかりと見ていた成歩堂が焦った顔をした。
「医療室に行こう!」
「だ、大丈夫だよ…。血が出てるわけじゃないから…」
「よくないよ。ほら」
成歩堂は手荷物を美久璃に返して、そのまま背中を向けた。その横顔からは、是が非でも医務室へ運ぶという固い意思を感じる。
「う…うーん…じゃあ…」
美久璃は唸ったあと、観念したように袴をたくしあげて成歩堂の背中に乗った。
「重いよね…?無理しないでね」
「思ったより軽くてびっくりしたな。ちゃんと食べてるかい?」
立ち上がって医務室へ一直線に歩き出した成歩堂。すれ違う学生たちの視線を受けるたびに、はやく医務室について欲しいと考えながら、美久璃は顔を赤くして成歩堂の背中に隠れていた。
「大丈夫?具合でも悪い?」
背中にぴたりとくっついた美久璃を不思議に思った成歩堂が声をかける。
「や、やっぱり自分で歩くよ!大丈夫っぽい!」
「本当に?痛かったら言うんだよ」
成歩堂は歩みを止めておぶさったときと同じようにその場にしゃがみ込み、美久璃を下ろした。美久璃は一刻も早く降りようと地面に向かって足を伸ばした。
「あっ!」
その拍子に、袴の裾を踏みつけてバランスを崩した美久璃がよろけて後ろに倒れかけた。美久璃は咄嗟の判断でもう片方の足で踏ん張ろうとして、失敗した。くるぶしを強く打ち付けたせいで鈍い音が聞こえて、幸いにも倒れはしなかったが、鋭い痛みに表情を歪めた美久璃が苦悶の声を上げた。
「ちょ…ちょっと、美久璃さん!足挫いたよね!?」
「い…いや…大丈夫…」
「さすがに大丈夫じゃないだろう!失礼するよ!」
「え!?」
成歩堂は慌てた様子で美久璃の右腕を自分の肩に回し、背中と膝の裏に手を添えて抱き上げた。急に体が宙に浮いて驚いた美久璃が焦って、成歩堂の首に抱きついた。
「大丈夫だから!さすがに恥ずかしいから!歩けるから!」
「こっ、言葉と行動が一致してないけど!?」
抱きついてくるとは思っていなかったのだろう、成歩堂は顔を真っ赤にして汗を流している。体を強張らせて歩き出した成歩堂の動きは、嫌でも人の目を引く。
「龍ノ介くん、もっと普通に歩いて!お願い!」
「ふ、普通のつもりだよ!」
様々な人間の視線を更に浴びて居心地が悪くなった美久璃は、成歩堂の首元に顔を埋めて顔を伏せた。成歩堂は更に背筋を伸ばして、すぐそこまで迫っている医務室までの道のりを大股で歩いた。
ふたりの心音がうるさいくらいに響き、互いに聞こえていたのはまた別の話。
ゼロ距離
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