たくさんの人で溢れかえったパーティー会場。純白のテーブルクロスがかかった大きなテーブルには、メインディッシュからデザート、ソフトドリンクからアルコールドリンクまで、様々な食事が所狭しと並べられている。
マノンは昔馴染みの男に話しかけられ、その流れで談笑をしていた。他愛のない世間話というやつだ。黄金に輝くシャンパンの入ったワイングラスを片手に、男性は懐中時計を懐から取り出した。
「おっと、話しすぎてしまいましたね。それでは、わたくしはここで。楽しんで」
「ええ、久々に話せて嬉しかったわ。お仕事頑張ってね」
マノンは愛想笑いもそこそこに、会釈をして去っていく男へ手を振った。雑踏の中に消えていくその姿を見送ってテーブルに戻ろうとすると、不意に背後から腕を引かれてマノンはよろめいた。
「やあやあマノン。ちょっといいかい?」
よろめいた拍子に、ドン、と背中へ衝撃が走る。腕を引いた人物…シャーロック・ホームズは、怖いくらいにニコニコと笑っていた。マノンがその笑顔を不思議そうに見上げていると、ホームズは羽織っていたコートをマノンの肩に掛け、大股で会場を横断して裏口へ続く扉を開いた。
「どうしたの?」
外はしんしんと雪が振り積もっていて、パーティー会場内と打って変わって、まるで世界から切り離されたような感覚さえ覚えるほどに静まり返っている。
「どうしたのこうしたもあるか!キミ、僕の存在に気付いていてあの男と話していただろう!」
その静寂を引き裂くように、ホームズが眉間にシワを寄せて声を上げた。マノンは何度か目を瞬いて、身を乗り出しているホームズを見つめた。
「え、ええ……あ、いるなーとは思っていたわ」
「なら!最愛の彼がいるから、とかなんとか言って話を終わらせることも出来たんじゃないのかい!?」
「……あのね、シャーロック。付き合いも大事よ?あなたのこと、確かに大切だけど…あなたばかりを優先してたらダメなの。分かる?」
子をあやすかのように論するマノン。ホームズはしばらく考え込んだあと、目に見えて落胆し、項垂れた。
「……僕だけが居ればいいじゃないか」
「…もう。こんなダメ男だとは思ってなかったわ……」
マノンは首を振ってため息を吐く。白い煙となって具現化した吐息が、ロンドンの街中へ溶け込む。ホームズは項垂れた頭を上げて、まるで子犬を連想させるような表情を見せた。
「…捨てないでくれ」
「そんなこと言ってないじゃない。私は好きよ、ダメ男。完璧すぎるよりは、ね」
「でも、失望しただろう。僕には大人の余裕なんてもの、コレっぽっちも存在してないのさ」
「本当にめんどくさいわね!情緒不安定なのよ!」
怒りを露にしたマノンを見て、ホームズが再び項垂れた。マノンは何歩か先にいるホームズに近寄って、このたった数分で積もってしまった肩の雪を払い除けた。
「あなたが居るのに気付いていながら、すぐに声をかけようとしなかったのは謝るわ。顔を上げて、シャーロック」
マノンはホームズの顔を覗き込んだ。瞳をゆらゆらと揺れさせたホームズが僅かに顔を上げた。
「こんなダメ男を好きになった私もダメ女ってことよ。一緒にいい大人を演じて、ついでにその《余裕》を手に入れに行きましょ。そこの会場でね」
「マノン……」
ホームズは体を起こして姿勢を正した。それに連動するように、マノンも体を起こす。
「……悪かったよ。アイリスには見せられないね、こんな姿」
「ふふふ、私とシャーロックだけの秘密ね。……ほら、中に戻るわよ」
マノンは伸びをしてホームズの柔らかな髪に積もった雪を払った。大きな子を持った気分だ。しかし、大粒の雪は容赦なくふたりに降り注いでいて、いくら払おうともその雪は次から次へと衣服に積もりだしていた。
「このままじゃスノーマンになっちゃう」
「そうだね。キミとふたりなら、それも悪くないけどね」
「何言ってるの」
くすくすと笑ったマノンが、ホームズの腕を引いてパーティー会場へ戻ろうとする。しかし、ホームズはその場から動こうとしなかった。
「シャーロック?」
疑問に思ったマノンはホームズを振り返り、首を傾げた。その瞬間、ホームズは繋がれた手を引いて、マノンを腕の中へ閉じ込めた。
「愛しているよ、マノン」
降り積もる雪のように、ホームズがマノンの赤くなった耳元へ囁く。くすぐったそうに身をよじったマノンが笑う。
「私もよ、シャーロック。…あなたを愛し……」
体を離したホームズが、マノンの唇から言葉を奪った。角度を変えて何度も啄まれるような口付けを受けて、マノンの頬が赤く染まっていく。刺すような寒さが今だけは心地よかった。
雪をも溶かす
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