※現代パロディ
森の中。彼は腕の中でみるみるうちに冷たくなっていく。必死に彼の名前を呼んで泣き叫ぶ彼女。逝かないで、逝かないで、とただひたすらに、言葉の意味も忘れそうになるほど彼に呼びかけている。彼は薄く瞼を持ち上げ、彼女の頬に腕を伸ばした。彼女はそれを受け入れて、その手にすがりつく。涙で悪くなった視界の中心で、彼は確かに柔らかく微笑んで、それから何か言葉を紡ぎ出した。その言葉を最後に彼は息を引き取り、彼女はそれを見て絶望に打ちひしがれる。
「いやぁぁ――――――!!」
耳をつんざく彼女の悲痛な叫びが、グロンダーズと呼ばれる平原に響き渡った。
(…夢……?)
夢にしてはあまりにもリアルな、まるで過去に本当に起こった出来事のような内容だった。アレシアはほとんど飛び起きるような形で目を覚ました。夢の中に出てきた人物は驚くほど自分とローレンツによく似ていて、縁起でもない夢を見たせいか全身から吹き出た汗が気持ち悪い。窓の外はまだ暗く、時計の短針は4の少し手前を刺している。床を照らすだけの最低限なナイトライトを頼りに隣を見ると、規則正しい寝息を立てて眠っているローレンツの顔がすぐ近くにあった。
起こさないようにそっとベッドから出て、リビングに向かう。冷蔵庫から水を取りだしコップにそれを注いだ。喉を通る冷水が火照った体を冷やしてくれる。ふう、と一息ついてコップを洗っているさなか、先程の夢が脳裏にフラッシュバックした。まるで鎧のようなものを着て槍のような武器を最期まで片手に握りしめていたのは、ローレンツにとてもよく似ていた。頬に添えられた手の温度と、その親指がそっと頬を撫でてくれた感触がこびりついたように記憶から離れない。アレシアは頭を振ってそれ以上はなにも考えないようにした。春先とはいえ、朝はやはり冷え込む。自分の二の腕を両手でさすりながら、寝室へと足を進めた。
窓の外は未だに暗い。ローレンツを起こさないように、アレシアは再びベッドへと潜り込み、その寝顔をじっと見つめた。瞼は伏せられているが、呼吸はしっかりとしている。当たり前のことなのに、アレシアはそれがまるで奇跡のようなものに思えて切ない気持ちになった。もぞもぞとベッドの中に移動して、ローレンツの胸に耳を当てる。一定のリズムで鼓動する心音に安心感を覚えながら、アレシアはその体に抱きついた。自分でも分かるくらいに、その手が震えている。寒いからなのか、先程の夢から来た恐怖心からなのかは分からない。
不意に、ローレンツの腕が動いて自分の体に回される。背中に回った手のひらがまるで子供をあやすように、一定間隔で背中を叩いている。震えが伝わってしまったのだろうか。例えようのない安心感に甘えるように、アレシアはローレンツの背に手を回し、顔をその胸に押し付けた。泣いてしまいそうだった。否、既に目元がじんわりと熱くなっているのを感じている。
浅く息を吐いて鼻を啜ると、羽毛で出来た掛け布団が捲られて外気に体が晒される気配と、ローレンツの体がかすかに動くのを感じた。優しく叩いてくれていた腕が離れてしまって少し寂しい。
「アレシア、どうした?」
寝起きの、いつもより低い声を聞いてアレシアの脳裏に先程の夢がまたフラッシュバックする。ローレンツによく似たその人の最期の声も同じくらい低くて、そして掠れていた。アレシアは本格的に泣き出してしまいそうになるのを耐えて、ローレンツを心配させまいと首を横に振った。大丈夫、と伝えたかった。
「怖い夢でも見たか?」
その問いかけには、うん、とひとつ頷く。怖い夢と言うよりは、ただひたすら切なくて悲しくて苦しい夢だったのだけれど。
そうか、とそれ以上言及してくる様子を見せずにローレンツは掛け布団を元に戻すと、アレシアの頭に手を置いて、それから髪を優しく梳いた。ローレンツはいつも、自分が今一番して欲しいことしてくれて、一番言って欲しい言葉をくれる。本当に素敵な人と出会えたものだ。もしかしたら自分は世界で一番幸せなのかも知れない。アレシアはそう思うことによって先程までの押しつぶされてしまいそうな感情から脱却出来た。夢の中に出てきた自分と、そしてローレンツの分まで幸せになろうと心に決めて、アレシアは顔を上げた。
「ローレンツ」
「ん」
顔を上げたことによって髪を梳いていた手は背中の方へと落ちていく。思った以上に顔が近かったことに怯んで、だけどちゃんとその眠そうな瞳に目を向けて、アレシアは口を開いた。
「好き」
言ってしまってから急に恥ずかしくなって、アレシアは隠れるようにまたローレンツの胸に顔を埋めた。頭上から、空気混じりの笑い声と思われるものが聞こえる。
「ああ、よく知っているよ」
ローレンツの手が、今度はゆっくり抱き寄せるように動いた。密着度が上がったことに呼応して心臓も早鐘を打つ。だが今のアレシアには自分のその心臓のうるささも心地よかった。生きているってことの証明になるのだから。
「ずっと側にいる。だから安心しておやすみ」
ああもう、本当にこの人は。アレシアは幸せを噛みしめるように、ローレンツに抱きついた腕に力を入れる。それからしばらくして、再び襲ってきた睡魔に身を任せたのだった。
夢の中でも
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