「……あれ、ここは…?」
眼前に広がるただただ白い空間を見てアレシアは脳みそを覚醒させようと必死にあたりを見回した。昨夜は普通にアビスへ帰って、寝具で寝ていたはず。ひたすらに白くて、明るいのか暗いのかも分からない空間で、アレシアはゆっくりと起き上がった。
振り向くと、少し離れた場所に紫苑色の髪を持った華奢な人物が先程の自分と同じように倒れている。アレシアは四つん這いでその人物に近寄ると肩に手を置いてその体を揺さぶった。
「ねえ、起きてよ」
「…んぁ…?」
ぼんやりと目を開けて、それからすぐに異変に気がついたユーリスは瞼を擦ると伸びをしながら上体を起こし、その場にあぐらをかいた。
「…なんだ、ここ?どこだよ」
未だに寝ぼけているのか、ユーリスは眠そうにしながら瞼を擦っている。どこに壁や天井があるかも分からない。アレシアはゆっくり立ち上がって両手を伸ばしながらそっと歩きだしてみるが、壁や天井らしきものは見当たらなかった。
「なんか、夢の中みたいだよね」
脳天気なことを言ってみればユーリスは眠そうに瞼を伏せながらうんうんと頷く。それから薄く目を開いた視線の先に、張り紙のようなものを捉えてユーリスは、ん?と声を上げた。
「待った、あれ」
「え?」
指をさしてる方向に目をやると、白紙にフォドラで親しく使われている文字で"ふたりの愛情を確かめないと出られない部屋"と書かれていた。アレシアはそれだけしか書かれていない張り紙に近付いて、その後ろをユーリスがついてくる。紙は不思議なことに宙に浮いていて、回り込んで裏を見てみても何も書かれておらず、本当にそれだけしか書かれていない。
「ふたりの……愛情…?」
「なにこれ、いたずらかな」
それにしては手が込んでいる気がする。ただただ広い真っ白な世界に、アレシアが少しだけ不安の色を顔に浮かべる傍で、ユーリスはきょろきょろと辺りを見渡した。
「扉も見当たらねえし、本当に出られるのかよ」
紙に書かれている文をもう一度見てから、アレシアは苛立っているのか焦っているのか、落ち着きがないユーリスを見上げる。その視線を受けてユーリスは首を傾げた。
「愛情って、どういう愛情なのかな?家族愛とか、友達としての愛情とか、色々あるよね」
実際、ユーリスたちとは随分と長い付き合いをしている。家族またはそれ以上だと言っても過言ではない。その中でアレシアは密かにユーリスへ想いを寄せているが、今の関係がぎくしゃくしてしまうような気がしてずっと言えずにいた。ユーリス本人も、ようやく素の自分でいられる場所を見つけられてほっとしているだろうし、自分だけの勝手な感情でその場所を奪うような真似はしたくないとアレシアは思っている。
「うーん……。アレシアは愛情を確かめるって聞いたら、なにする事を思い浮かべるんだ?」
突然の質問返しにうろたえつつ、アレシアは家族としそうな愛情表現について唸りながら考えた。頬への口付けや軽い抱擁等が思い浮かんで、それをするのか、とユーリスを見る。
「まあ、なんでもいいから俺にしてみろよ」
「え!?」
今まで軽く触れ合うことがあったことはあっても、密着したり、ましてや口付けなんてしたこともない相手に、突然触れてもいいのだろうか。アレシアはあたふたと落ち着かず、足元に視線を落としていると、視界にユーリスのつま先が入り込んできた。
「ちなみに何が思いついた?」
「……えっと…抱き合い…?」
ふーん、とユーリスが答えて、それからほれ、とアレシアに向かって腕を広げてみせた。優しげに微笑んで首をかしげてみせるユーリスに、アレシアはまたあたふたと落ち着きなく手を上下させている。
「抱き合うんだろ?」
「う…」
腕を広げたまま待っているユーリスにそろりそろりと近付いて、その背中にゆっくりと手をまわす。すると、自らの背にも腕が回る感触があって、アレシアは頬が熱を持つのを感じた。すぐ近くにユーリスの紫苑色の髪が見える。心臓が早鐘を打つ。しかし、部屋には一切変化がないのを見て、ユーリスはそっと離れた。
「駄目か…」
「…違うみたいだね」
紅潮した頬を見られたくなくてうつむいたまま顔を上げられずにいるアレシアの頭を見下ろしながら、ユーリスは何か思いついたような声音で、あー、と声を出した。
「なら接吻か?」
その言葉にアレシアの体がぴくりと反応する。名前を呼んでもこちらを見ようとしないアレシアの顎の下に手を伸ばしてすーっと撫でると、くすぐったさにアレシアは驚いた声を出しながら顔を上げた。
「するぞ?」
そう言いながらアレシアの唇を親指でなぞる。紅潮した頬を更に紅潮させて、アレシアは目を見開いた。
「ほ、頬じゃないの?」
「頬?違うと思うんだがなぁ」
物は試しに、と苦しまぎれの提案をすると、半ば納得行かなそうにユーリスはアレシアの頬をそっと撫でた。固く目をつむると目の前で人の動く気配がして、それからふにゅ、とした感触が自分の熱い頬へ当たる。アレシアは恥ずかしさで爆発しそうだった。
「駄目だな」
「だ、駄目かぁ…」
これ以上となると、あとは本当に唇への接吻しかない。想いを伝える前に、こんな成り行きで、恋人同士がすることをしてしまっていいのか。
「やっぱ唇しかないんじゃねえの?」
ここを出たい気持ちは同じだが、ユーリスは自分となにをしても平気そうに見えた。アレシアは自分ばかりがユーリスを前に心臓を高鳴らせているのではと思うと、泣きそうな気持ちになってくる。愛情とは何か。愛の言葉ひとつさえ交わしたことがないふたりには、今更だが無理難題に思えた。しかし、したいしたくないの問題でもない。ここがどこかも分からない以上、偽りであっても愛情というものを証明しない限り出られないのだから。
「アレシア?」
だが、アレシアは自分の気持ちに嘘を付きたくなかった。得体の知れない何者かに閉じ込められたこの部屋に、今すぐにでも気持ちを伝えるか、その気持ちを捨てろと言われているようで無性に腹が立ってくる。様々な感情が涙となって現れて、アレシアの熱い頬を伝った。
「…お、おい、どうしたんだよ」
今度はユーリスがうろたえる番だった。自分の意志に反してとめどなく溢れてくる涙を服の袖で拭いながら、アレシアは嗚咽を漏らす。ここから出られない不安に押しつぶされでもしたのか、そう考えたユーリスはアレシアの肩をそっと寄せ、安心させようと頭を何度も撫で下ろした。しかし今のアレシアにとってそれは逆効果、今もっとも触れたくなかったユーリスの優しさに触れてしまったことで、自分の感情が爆発した。
「……私、………ユーリスが好き…」
アレシアがそう言った瞬間、ユーリスの手が止まった。しまった、と心の中では思っていても、表に出てしまった感情に拍車がかかり、アレシアは更に言葉を紡ぐ。
「好きだから……こんな、こんな形でしたくないって……思った…ら……。ごめんなさ……」
上手く言葉が出てこない。嗚咽のせいだけではない。いつか伝えることができたら、なんて夢見ていただけで現実になる日が来るとは思っていなかったから、アレシアはただひたすらに溢れ出る涙を拭った。
「好き、になって……ごめん…なさい」
「…もういい」
言葉とは裏腹に、その声音はとても柔らかいものだった。アレシアはびくっと肩を震わせながら、ユーリスの顔色を伺おうとしてゆっくり顔を上げる。
「お前のことだ、ずっと言いたくても言えないで我慢してたんだろ?」
もはや涙を拭うこともしないで、アレシアはこくりとひとつ頷く。代わりにユーリスが指でその涙を拭った。
「悪かった。それに気付いてて気付かない振りしてたんだ」
「え…?」
刹那。自分の口元に添えてた手を退かされると、唇に柔らかくて温かい感触が当たった。視界いっぱいに紫苑色が広がる。あまりにも突然な出来事にアレシアの涙は引っ込んだ。ただ触れるだけで離れたそれに、アレシアはただ目を見開いてユーリスの顔を凝視する。
「俺も、アレシアが好きだ。ずっとずっと前から」
言われた言葉を理解するのに時間を要した。混乱した様子を見せるアレシアに、ユーリスは苦笑いをして、また口付けをする。今度はさきほどの口付けと違って、少しだけ乱暴だった。
それが離れて、アレシアは瞼を上げるとまたユーリスを凝視する。
「…あのー、無反応だと流石に俺も恥ずかしいんだが」
「……夢?」
告白後の第一声がそれか、と内心思ってユーリスは笑うと固まったまま動かないアレシアの額に自分の額をこつん、と当てた。
「夢だったら、もっと凄いことしても許されっかな?」
「なっ……」
そのとき、どこからか扉の開くような音がして、ふたりは辺りを見回した。真っ白い空間にぽっかりと穴のようなものがあいている。ユーリスが先にそれを見つけると、アレシアの手を引いてそこに歩き出した。
「行こうぜ。すぐ閉まっちまうかもしれないからな」
「うん。あ、あのさ、ユーリス」
歩みは止めないまま、アレシアがユーリスの背中に話しかける。ユーリスは顔を振り向かせて横顔を見せると、ん?と返事をした。
「大好き」
はにかんでそう言うと、ユーリスは一瞬歩みを止めて、面食らったかのような顔を見せた。アレシアは気恥ずかしくなって笑い声を漏らす。ユーリスはぷいっとまた正面を向いてまた歩き出した。
「お、おう…」
紫苑色の髪の間から見える耳が赤く染まっているのを見て、アレシアはふふ、と笑った。
確かな愛
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