第1章・2−1 

 城戸冬真。
 きどとうま。
 それが、「私の新しいおもちゃ」こと城戸のフルネームだった。昨日、城戸が蔵書点検の途中で帰ったあと、図書の貸出カードを漁って調べてみた。
 ぱっと見で生まれた季節のわかる、便利な名前。城戸はきっと冬に生まれたのだろう。見た目も冬生まれっぽいし。もし、城戸の親がひねくれていたとしたら、本当は夏生まれの可能性も否めないけれど。

「……で、なんで僕を校舎裏に呼び出したわけ?」
 残暑とはいえまだまだ強い陽射しがとてつもなく似合わない、十中八九冬生まれの色白な男子……つまり城戸が、憮然とした表情で私に問いかけてきた。
 屋外でも涼しげな様子の城戸を眺めながら、私はわざとらしく小首をかしげてみる。
「呼び出された理由に、心当たりがあるんじゃない?」
 私はニタニタ笑いながら、城戸に向かってゆるやかに足を踏み出した。
 城戸との距離は、だいたい五メートル。ふたりきりで話すには、少々離れすぎている。
 まずは城戸との空間的な間合いを詰めなければ、精神的に心を寄せ合うのは難しいはず。赤の他人に嫌がらせをしても大して楽しくない。
 だから、私は城戸と仲良くならなければいけないのだ。

 城戸は嫌そうな顔をしながらも、近づきつつある私をじっと見すえていた。
 思いきり眉をしかめて敵意をあらわにしているけれど、私を拒否したりはしない。ありがたいことに、一応、私と言葉を交わす意思はあるようだ。
 私は大股一歩分くらいの距離まで城戸に近づき、足を止めた。
 城戸にあまり接近しすぎても、すぐに逃げられてしまいそうな気がしたのだ。昨日、至近距離で、城戸に対していろいろとやらかしてしまったから。
 相手との位置関係は慎重に見定めなければいけない。臆病なのに凶暴な野生動物を相手にするように。

 私は少しだけ背の高い城戸の顔を見上げて、にっこりと笑った。
「私からのラブレターを読んで、わざわざこんなところまで来てくれたんじゃない?」
「……は?」
 城戸はあからさまに嫌な顔をする。「なにがラブレターだ」とでも口に出したそうな雰囲気だ。
 私にも城戸の気持ちもわからなくはない。私が城戸の下駄箱に放り込んだ手紙は、正しくはラブレターではないのだから。
「放課後、校舎裏で待ってます。笹」と書いただけの、メモに限りなく近い手紙。恋愛関係の言葉なんて、一言もつづっていないかった。

「城戸にもなにか思うところがあるから、私の呼び出しに応じたんでしょ?」
 私が「違う?」と相手に同意を求めると、城戸は苦虫をかみつぶしたような表情になった。問いかけに対して否定も肯定もしづらいらしく、もろに嫌な顔をしている。
「まさか、あんなすっごく短い手紙に、城戸が応じてくれるとは思ってなかったけどね」
 私は口元をゆるめながら、城戸の応答を待たずに本音を重ねた。
 城戸が校舎裏まで来てくれたのは、私にとって意外中の意外だった。十中八九、城戸に手紙を無視されると思っていた。
 想定外の展開ではあったけれど、物事がスムーズに運んでくれるのは大歓迎だ。もしかしたら、私は城戸と縁があるのかもしれない。

 含み笑いを浮かべる私に、城戸は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「校舎裏に行かなかったら、あとであんたが僕のクラスまで押しかけて来そうな気がしたから。来ないわけにはいかないだろ」
 城戸は苦々しい語調で私に告げた。
 眉をしかめてひとりきり私をねめつけた後、視線をきょろきょろと左右にめぐらせる。周囲を警戒しているらしく、気もそぞろな様子だ。
「なに探してんの?」
「……人間。あんたといる現場をだれかに見られでもしたら最悪だ」
 私がさりげない口調で訊くと、城戸は憎々しげな低い声で返答した。周囲に生徒がいないと確認したばかりなのに、相変わらずそわそわとしている。

 私は笑顔を保ちつつ、「うーん……」と唸る。私としては、城戸にさっさと落ち着きを取り戻してほしかった。城戸が私に意識を向けてくれないと、本題に移れないのだ。
「誰も来ないよ、たぶん」
 苦笑を浮かべながら、私は気休めを口にした。
 実際、夏場の草むらには蚊が多いから、好き好んで校舎裏に来る人間なんてまずいないだろう。
 校舎裏に出向く人間がいるとしたら、人目を忍んで、想い人に告白でもしようとしている生徒くらいのはず。
 それに、告白を控えている生徒が来たとしても、私たちの姿を見かけたら、そそくさといなくなってしまいそうだ。

「『たぶん』じゃダメだろ」
 城戸は不機嫌そうに、私の発言を一刀両断した。思ったとおりの受け答えだ。
 私は「そうだね」と軽く笑った。私だって、周りを気にする城戸の気持ちがわからないわけでもない。
 もし、異性に放課後の校舎裏に呼び出され、いっしょにいる現場を知り合いに見られたら。後日、徹底的にからかわれるのが関の山だ。
 男女関係の誤解はめんどうきわまりないと、私だって身にしみて知っている。

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