エレンと目が合った。 なんとなく彼を見ていた私は、逸らそうにもあまりにもエレンがじいっとこっちを見つめてくるため戸惑った。 なにかしたかなぁと、おどおどしてしまう。 エレンはかなり目力強いので少し怖い。 あまり仲良くはない、ちょっと変わっている、同期の男の子。それがエレン・イェーガの印象だ。 「なんだよ」とエレンが言った。いやこっちがなんだよ、と私は思った。 私たちはそんな始まりだった。 恋をすると可愛くなるって、よく聞く。 だって彼に少しでも可愛く思われたいと、がんばるから。 毎日が楽しくなる。目に写る世界がこんなにも変わる。 同時に、恋は毒にもなる。 じわじわと、体中を犯していく。 気づけば三年が経っていた。 最近喧嘩が増えた。 わかってほしい。解ってよ。大切だから、だから私は、 毒が駆け巡る。 私はなにを言っているのか。 最初エレンはぽかんと口を半開きにして、その大きな目をぼんやりとナマエに向けていた。 そしてゆっくりと意味を理解して、声を出した。 「……は?」 その一言に、そんなことを言い出した私への怒りと驚きが凝縮されていた。 「お前、今、なんて言った?」 ナマエはその怒りに燃える金の瞳を、こんなにも直視したくないと思ったことなかった。 しかしぐっと顔を上げて、口を開く。 「調査兵団に入らないで、エレン。お願い」 刺すような視線が突き刺さる。 「死にに行くだけよ」 続けて口を開こうとするが「ふざけんな」というエレンの声に口を嗣ぐんだ。 「お前、今日まで俺が言っていたこと覚えてねえのかよ」 「覚えてるよ」 「お前は、お前はくやしくないのかよ!?」 信じられないとばかりに顔を歪め、ナマエへ爛々とした目を向ける。 「巨人を、駆逐してやるんだ。 全部ぶっ殺して、こんな壁の中から、外へ出て行ってやるんだ。 俺は悔しい。どうして俺たちは、人類は、弱いだけでこんな目にあわなくちゃいけないのか」 それは彼から何回も聞いた話だ。 「俺は怯えているだけなんて、絶対に嫌だ」 そう言ったエレンに、思わず私は苛立ち口を開く。 「死ぬよりはいい」 エレンが声を張り上げたナマエに目を見開く。 「あんたが死ぬよりはいいに決まってる」 私は熱くなる頭に反して、腹の中は冷えていた。焦りを感じていた。 説得しないと。 私にできる?なんとしても、説得しないと。 解散式まで日が近い。 私に、エレンを説得できる? できない、と誰かが囁く。できるわけがない、彼の目を見て。お前なんかに彼の意思を曲げさせることができる? でも私がやらなきゃ彼は死ぬ。 いつからか。彼の夢を、応援ができなくなった。 死に急ぐところに、どうしようもなく苛立った。 一緒にいる時間が僅かになるほど、何度も。喧嘩するようになった。 あたしはエレンのそんなところに惚れたんじゃなかったのか。 今はそんな彼の熱意が、ひどく憎い。だってそれは彼を殺してしまう。 「なあ、ナマエ。お前は、駐屯兵団へ行くんだったな」 「…そうよ」 「お前は俺に、憲兵団に入ってほしい」 「ええ」 そうだ。私と一緒にいなくてもいい。 だって死なれてしまうよりも全然いいじゃないか。 生きててくれるなら。生きていれば会えるじゃないか。 「なあ、ナマエ。俺たちが壁内にいるとして、それが本当の自由だって言えるのか?自分から檻の中に入るような真似、お前はなんとも思わないのか」 「私は」 言葉がでない。 「本当は」 エレンといたいだけ。声はでなかったが、唇の動きでエレンはナマエの言いたいことを理解した。 「死ぬつもりはない。俺は言われたんだ。生き延びろって、母さんが言ったんだ。巨人を駆逐するんだ。そして外の世界を見たい。だから俺は調査兵団に入っても絶対に死ない」 エレンはナマエから目を逸らさずにそこまで言い切った。 彼はどこまでも真っ直ぐで誠実で。自分の気持ちに正直で。彼は、いつも綺麗だ。 その真摯な視線に、視線を逸らしてしまう。 「……ナマエ、調査兵団に来てくれ」 はっと目を見開き、エレンを見る。 エレンはさっきまでの強気な表情を消し、ひどく悲しそうにしていた。 まるで迷子の子供のようだ。自分でもどうしていいかわからない、そんな顔。 こいつは今なんて言った? 信じられず、ナマエはエレンを呆然と見る。 「壁の中は安全かもしれない。けどその壁はいつ壊されるかわからないんだ。人類は巨人と闘うべきだ。そうしなきゃ本当の自由なんて手に入るはずないんだ。そうだろ?」 エレンの言っていることは解る。 だけどそれは、 「俺と闘ってくれよ…」 エレンは懇願するように、そう吐き出した。 「…そんなの、実現するはずないでしょ」 ショックの色がエレンの表情を掠めた。しかしショックを受けたのは私も同じだった。 心が真っ黒に染まる。我慢してたものが壊され塞き止められていたどろどろとしたものが溢れだしてくる。 「人類が勝てるはずないでしょ!?なんでわからないの!」 なんでわからない。私は貴方に死んでほしくないだけなのに。 それをどうして、他でもない本人が否定するのか。 「なんだと…」 ぎろりとエレンが睨んでくる。 私の瞳も怒りに燃えていた。炎が引火したかのようだ。 私が調査兵団に? どうしてそんなことが言えるのか。 私はエレンが好きだ。大好きだ。 けれど一緒に調査兵団に入るなんてできるはずがない。仕方のないことでしょう? だって私には、ミカサみたいにエレンを守るほどの力もなければ、エレンのために死ねるのかと言われたら無理だ。死にたくなんかない。死ぬのは、怖い。 私は弱くて、自分が一番可愛い。 そんな、人間なのだから。 それは"普通"のことでしょう? でも私は、エレンが好きなんだ。大事だ。ずっと一緒にいたい。 絶対に死んでほしくなんかない。 どろどろと、肺が真っ黒なもので満たされていく。息がうまく吸えない。 言うつもりの無かった台詞が口から飛び出す。 「人類人類って、そんなのどうだっていいの」 「どうだっていいことないだろ!なに考えてんだよ!」 「知りもしない他人なんかどうなってもいい」 全部本音だ。その通りだった。けれど本当にいうつもりなんか無かった。 こんな汚いところ、見せなくなかったのに。 貴方のせいで私はこんなにも醜くなる エレンの目に軽蔑の色が浮かんでいた。 「…最低だな」 「なんとでも言えばいい」 私は、貴方みたいに綺麗事を本気で言えるほど、お綺麗な人間じゃない。 「あんたが生きていればいい。それ以外なんて知ったことじゃない」 その美しい瞳に何度見惚れたことか。 エレンは苦虫を噛み潰したような表情をした。 「だけど、夢なんだよ」 知ってるよ。 あんたいつも言っていたもの。 いつも聞かされていた。 他人事のように聞いていたあの頃に戻りたい。 「……俺は、調査兵団に入る」 頭にカッと血が上り、説得できなかった悔しさで涙が滲んだ。 気づいたら、癇癪を起こした子供のように「馬鹿!!」と叫んでいた。 驚くエレンを置いて私は自分の部屋まで走っていた。 泣き顔で駆け込んでこられて同室の子に驚かれたが、なにも聞いてこなかった。 この時期、付き合っていた男女が喧嘩して別れるのはよくあることだったからだ。 例に漏れず、私達もそうなってしまった。 朝食堂でアルミンがエレンに言っているのが聞こえた。 「エレン、目が真っ赤だけど、どうしたんだい」 「虫に刺されたんだよ」 「え、目が?」 アルミンが怪訝な目を向けると、エレンはふいっと顔を背けた。 エレンの嘘は本当に下手くそだった。 ねえエレン、あんたも私のことが好きだったのなら、少しくらい話を聞いてくれればよかったんだ。 私の言っていることが、あんたが言っている自由のための勇敢な行動よりも、どれほど意味のあることか、よく考えれば解るはずなんだ。 大人になって年をとっても、平和な壁の内側で友人と恋人と平凡だけど、幸せに暮らせたはずだ。それは確かに仮初めの平和かもしれない。 だけどそれがなんだ。死んだら全てが終わると、あんたは何にも解っていない。 私は、エレンにあんな醜い姿を晒したくはなかったのに。 貴方という猛毒 |