8 | ナノ
壁外調査へ出れば少なからず兵士から死者が出る。そんなことは嫌でも必然的だと理解せざるを得なかった。死のリスクは自分だろうと仲間だろうとそれぞれ等しく背負わされる。それを覚悟して壁外へ出る。そうと分かっていても現実を目の当たりにして、仲間が目の前で引き裂かれて喰われ、まともなままでいられず判断を誤ってしまう兵士はそう少なくはなかった。当然だがそれは特に実戦経験の乏しい新兵に多く見られた。それでもあいつだけは違った。新兵で初めて巨人を見ても他の奴らのようには怯まずに、ただ感情を宿さない冷淡な目で巨人を一瞥していた。

「兵長、」

「なんだ」

「また、守れませんでした」

既に身体が半分なくなった兵士の前でナマエはそう呟いた。その言葉に抑揚は無い。悲しむわけでも嘆くわけでもなくただそう言葉を発していただけだった。淡々とした声色とは逆に、それに乗せられた言葉は今の現状には酷く重々しく聞こえた。

今回の壁外調査は予想を遥かに越え多くの犠牲を出すことになった。模索していた進行ルートにどうも奇行種が多すぎて陣形はあっという間に崩され策敵能力は次第に失われていった。悪循環が続く中、目的地にはなんとか辿り着き作戦は成功したように思われるがその背景にある損害は大きい。後は今いる人数でどれだけ無事に帰還することが出来るかにある。人材を常に求めている調査兵団にとってはこれ以上犠牲者を出さないことに尽くすばかりだった。

「…撤退命令が出た。出発の準備をしておけ」

「了解しました」

そう言ってからナマエは取っていた兵士の手を離して立ち上がった。握っていた手のひらには血が黒々しく残されている。仲間の死を看取ってやる時でさえその表情は一切変わっていなかった。



本部に帰還した頃には既に日が暮れていて辺りは薄暗くなっていた。巨人との遭遇に関する報告、馬の飼育管理、今回の遠征を踏まえた今後の作戦立案、生存者の確認、遺体の処理、長い壁外調査を終えた後も兵団の中は忙しく兵士が駆け回り各々に与えられた役割を果たしていた。

外で行われていた全ての作業が一段落して次々と本部へ兵士が入っていく中、ひとつだけ動かない影を見つける。夕暮れの空をじっと見上げているそれがナマエだと分かるのにそう時間は掛からなかった。自分を待っていた兵士に先に本部へ戻るよう促してからナマエの方へと足を進める。一人で座っている奴の背中が普段よりやけに小さく見えた。
何も言わずに隣に腰を下ろせばナマエは一度こちらを向いてからまた空へ視線を戻した。何がそんなに気を引くのか、灰色の厚い雲に覆われたそれはあまり綺麗とは言えないものだった。

「私、一回死んだんです」

暫く続いていた沈黙を破ったのはナマエだった。その言葉が何を意味するのか、心なしかナマエの表情は暗い。凛とした声は僅かに響いてすぐに風に溶けていった。

「巨人に喰われたんです。でも、いつの間にか身体ごと外に放り出されて気づいた時には視界が血で覆われて、目の前に先輩の右腕だけが落ちて来ました」

いつもと変わらない口調でナマエはそう告げてゆっくりと視線を下へ落とした。ナマエの班は全滅したと確かに先ほど報告を聞いたが、どうやら話を聞く限りでは班員はナマエを庇ったのだろうか。新兵にして討伐数を急激に増やしているナマエの戦力が今の調査兵団に必要不可欠なのを承知してか命を賭したようだった。さすがに普段冷静なナマエでも班員を失ったことには堪えたのか表情は変えずともその右手は強く握られていた。

「守れなかったんです。何一つとして、この手で守ることは出来なかった。私はそれほどまでに弱い」

「…お前、今日はよく喋るな」

「いえ、私は元々よく喋ります」

そう言ってからナマエは顔を膝に伏せた。冗談で言っているのか真面目に言っているのか言葉の音だけでは判断しにくい。嘘つけ、と頭を小突けば嘘ではないと直ぐに返してくるあたり見かけに寄らず頑固らしい。ああそうか、今まで班も違っていて俺はナマエのことをあまり知らなかったなと何とはなしに頭の隅で思った。

「…兵長は仲間を失った時、何を思うんですか」

ぽつりと掠れた声でそう落とされた質問はナマエの膝の内で消えた。何故ナマエがこんな質問を自分にするのか意図は分からない。何を思うか、突然質問されては咄嗟に答えなど出てこない。そもそも答えを探したところで見つかる気配もなかった。

「…さあな、考えたこともねぇ」

「そう、ですか」

「辛いのか悲しいのか悔しいのか憎いのか…、何れにせよ言葉に出来るほど俺は自分の感情を理解していない」

だから表に出すこともしないし深く考える事も無い。そう言えばナマエは少しだけ顔を上げた。

「私がしくじらなければ、こうはなりませんでした」

「………」

多分、後悔してるんです。ナマエがそう小さく呟く。多分ということはナマエも自分の感情をよく理解していないのだろうか。わけの分からない感情に心を支配されるのは気分が良いものではないだろう。自分にはそれがよく分かる。

「…仲間がどんなに無惨な死に方をしても、そいつらは皆心臓を捧げた兵士だ。だったら俺やお前を含めて生還した奴らは仲間の死を悔やむより、それを糧にして進んだ方が俺達の為にもなるし死んだ奴らの為にもなる」

俺はそう信じている。壁外に出て無駄死にをした兵士などいないのだと。皆が人類の為に心臓を捧げ未来の為にと身を投げ剣を掲げた。全てが意味のある死だったと、そう仲間に胸を張って言える日のために自分達は立ち止まってはいられない。立ち止まる暇など無い。
自分の考えを言い終えると僅かな沈黙が流れ微かな風が吹き抜けた。反応が無いナマエを不思議に思いつつ横目で見てみれば、奴の目からは一筋の涙が頬を伝っていた。今までの無表情は一体どこへいったのか、眉を下げて瞳を揺らすその光景はさすがに予想外だった。

「おい、何故泣く」

「分かりません。勝手に涙が出てきました」

「……」

「何で私は泣いているんでしょうか」

「…そんなの俺が知るか」

質問する相手を間違えているナマエは自然といつもの表情に戻っていったが涙は止まることを知らずに流れている。自分の発言がナマエの中の何か地雷のような物を踏んでしまったのだろうか。目の前で泣かれるのは好きじゃない。それに泣いているのは普段は無表情のあのナマエ・ミョウジだ。誰が泣くなんて予想が出来ただろう。余計どうするべきか分からない。こうして考えている間にもナマエの涙は頬を滑り落ちて隊服に染み込んでいく。とりあえずハンカチを差し出してみればナマエは少し驚いたように此方を見てからそれを受け取った。

「ありがとうございます」

「…鼻をかんでいいとは言ってねぇ」

「ああ、すみません。ついうっかり」

容赦なく人のハンカチで鼻をかむナマエに呆れてため息が出た。全くもってどううっかりしたらそうなるのかは理解出来ない。普段なら許せないところだが何だかどうでもよくなってきてしまった。冷静そうに見えてどこか抜けているところがある奴だ。どうやら今までナマエを知っていたようで実は知らなかったらしい。

「それ、しっかり洗って返せよ」

「兵長」

「なんだ」

「今日は、よく喋りますね」

そう言うナマエの瞳は未だに涙に満たされて赤くなっていた。一瞬その瞳から目が離せなくなった。ああ、そうか。どうやら俺はずっと勘違いをしていたようだ。仲間の死を看取っていた時でさえ、こいつはずっと泣いていたのか。ただ自分の感情が分からなかっただけで、こいつは目には見えない涙をずっと流していたんだ。その考えはすっと自分の中へ落ちて途端にそう理解出来た。こいつは俺と同じだ。自分の感情が分からない。自分の感情をどうやって外に出せばいいのか分からない。そう分かると心のどこかで安堵した自分がいた。

「俺は元々結構喋る」

「…そうでしたか」

俺の言葉を聞くとナマエはそう口端を上げて薄く笑った。泣いたり笑ったり忙しい奴だ、今までとのあまりの違いにまるで別人を見ているような錯覚に陥る。それでも俺はナマエ・ミョウジについてまた一つ知った。様々な感情を、表情を持っているのだと。一見強そうに見えて、中身はこんなにも不安定で脆かった。もしまたナマエが見えない涙を流していたとしたら、今度はそれに気づいて拭ってやれるだろうか。何にしても先ほどの自分の言葉が少しでもナマエの背中を押したのなら、それでいい。

厚い雲はいつの間にか次第に晴れていき、後ろに隠れていた夕日は段々と沈んでいく。最近の日はだいぶ短くなっていた。夕日に照らされているせいかナマエの潤んだ目が輝いているように見える。その目からはまた涙が一筋だけ落ちたがようやく落ち着いてきたのか、それが最後の涙だった。



センチメンタルガール
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -