5 | ナノ
もう我慢出来なかった。それはさながらおもちゃを取り上げられた子供のような気分で、自分の欲求を満たさない限りどうにも抑えることが出来なかった。
本部の中、隅の方に置かれたとある個室。光の入って来ないその場所はいつも陰気な雰囲気を漂わせて、人を一切近寄らせようとしなかった。しかし私はその領域に躊躇なく足を踏み入れると、図々しくも陰気な空気を肩で、腕で、足で払いながら前に進んだ。扉の前でサッと向きを変えるとノックも無しにドアノブを力任せに引いて、勢いついた扉が壁に当たる前に中に入って仁王立ちした。
「騒がしいと思ったら、お前か。もう少し静かに入ってきてくれないか?」
部屋を十分確認し終わらない内に、ひどく不機嫌そうな声がかかって振り返った。その人物は書類を片手に、もう片方の手にティーカップを持ってソファーにゆったりと腰掛けていた。時刻は深夜一時。中身のコーヒーは眠気覚ましのつもりだろうか。
「リヴァイ兵士長」
私はぐっと顎を引いてソファーに大股で歩み寄る。すると彼は口に付けていたカップを机に置き、険しい表情を向けてきた。
「それ以上近づくな」
不意に命令されて身体が固まる。もしかして、私の気持ちを読まれている?ならば今こうして部屋に来た理由も分かっている?その上で"近づくな"と言ったのだろうか。私を警戒しているのだろうか。熱くもないのに額に嫌な汗が滲んでくる。
「どうしてですか?」
「勘だ」
「…」
「やっぱり何かあるんだな」
彼は、気づいていなかった。私が会いにきた理由を。只の勘で"近づくな"と言ったのだ。そこに深い意味はなかった。それは喜ばしいことではあるが、反面恨めしくもあった。彼は何も知らない。私がどんな気持ちで毎日を過ごしているか。気づいていないということはちっとも興味がないということだ。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「私達、付き合っているんですよね?」
彼は少し黙り込んだ後、私の顔色を伺うようにゆっくり頷いた。
「その間は一体何ですか。言いたいことがあるなら言って下さい」
「いや…今日は一段と物騒な面しているなと思って」
彼からそんな言葉を聞けるとは思わなかった。人のことを言う前に自分の顔を見て欲しいものだ。とにかく、私が知りたいのはそんなことではなくて…
「他にもっと言うことがあるんじゃないですか!?」激しく訴えるが、彼はそんな私から圧力を感じるどころか、興味が失せたように再び書類に目を戻した。
「特に」
それを聞いた瞬間、怒りに火がついた。抑えてきたものが爆発してめちゃくちゃになって頭がどうにかなりそうだ。気づけば感情に任せるがまま暴言を弾丸のように吐き出していた。
「どうしてそんなに冷たいんですか!?今日なんかすれ違ったのに声さえかけてくれなかった!」
その時彼がハッとした表情になった気がした。でも矢継ぎ早に繰り出される言葉は彼を待ってはくれない。
「付き合うってこんなつまらない関係じゃないはずです!手を繋いだり、抱き合ったり、キスしたり…色々するものです!私だって兵長とそれらしいことしたいです!もし私に駄目な所があれば直しますから!遠慮なく言って下さい!だから…だから…」
これを言ってしまえばきっと泣いてしまう。だからなのか、最後の言葉を吐く前に彼の手が口に当てられた。そのせいで言葉は飲み込まれ、さらには滲み出していた涙もすっと引いていった。
「俺が悪かった」
そう言って彼は手をどけるとバツの悪そうな表情で私を見た。初めて見る表情に目を丸くしていると彼が話を切り出した。
「壁外遠征が近いこともあって訓練が増えてきて十分な時間を取れないんだ。それはお前も分かっているな?」
うんと頷くと「分かっているのかよ…」と頭を掻く。それから黙り込んだが、これは彼なりに改善策を練ってくれているのかもしれない。わたしのために。期待で胸が膨らんでいく。
「ならもういいな?どうしようもないことだ。遠征が終わった頃にでも…」
「ええ!?」
予想外の答えに思いっきり不平を漏らす。
「待て待て、最後まで聞け。遠征が終わったら好きなだけ構ってやる。これで満足だろ?」
少し妥協した部分もあるのだろう。遠征後といえど報告書があるから決して暇な訳ではないから。それでも私を選んでくれたことが嬉しくてたまらなかった。
「ありがとうございます!書類整理でも何でも手伝うんで…お願いします!」
思わず頭を下げる。お礼って言うものなのかな…。ふと違和感を感じた時、頭にぽんっと手を乗せられた。
「今まで忙しかったからお前に構ってやれなかった。でもな、正直な所どんなに忙しくても隙間の時間は出来るものなんだ。現に俺はこうして仕事の合間にお前と話している」
「でもそれは私が強引に…」
頭を上げると彼は心底呆れたような表情を浮かべていた。
「そうでもしないと俺は振り向かんぞ?俺を本当の意味で欲しかったら、隙をみて押し倒すくらいの勇気がなければいつまでたっても進歩しないだろうな。まあしかし、そんなことが出来るようにも見えないが…」
急に否定的になったのは顔を赤くしてうつむく私を見てのことだろう。でもここで終わらすわけにはいかない。だって何としてでも彼が欲しいから。
「やります!絶対…いつか!いえ…なんなら今晩でもいいんですよ?」
こればかりは調子に乗りすぎたようだ。頭を小突かれた。
「バカか。お前はいいかもしれないが、俺の班は明日の朝早い」
「そう…ですか」
自分のことしか考えていなかった。彼を気遣うことも出来ないようではだめだ。私は本当にいつか、彼と理想の恋愛ができるだろうか。様々に思いを巡らせていると、彼が思いついたように言った。
「そういえば、まだだったな」
後頭部に手を回してくる。頬に手をかざすとほんのり朱に染まっていく肌を親指でそっとさする。
「初めの内はこれで十分だろ」
そう耳元で囁いてそっと顔を傾けて唇を重ね合わせた。突然のことで身体が反応してくれない。頭はびっくりしてこんがらがっている。しかし優しい感触で次第に解されていった。こんなに柔らかいんだ。滑らかな触り心地。これが、兵長の…。少しだけ、舐めてもいいだろうか。だめかな…。ためらいながらも舌を出す……ーーーーーー
気づけば彼との距離は元通りになっていた。一体どれほどの時間唇を重ねていたのだろう。思い出せない。随分長かったようにも思えるけど、実際は違うかもしれない。初めてだったから長く感じたのかもしれない。濡れた唇にそっと触れる。欲求が一つ満たされたというのに、足りない。まだ足りない。喉が渇いた。もう一度、したい。



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