4 | ナノ
春の花は色褪せて、空には雲のかかる日が多くなってきた。外に出る住民は見るからに少なくなっていき、洗濯物を早々と中に取り込む家が多くなったように感じる。暖かい日差しが厚い雲に覆われていくこの頃、今日はとりわけ陰気臭い天気だった。

こんな日はすぐに体力が消耗されていくから嫌だ。昼間の訓練も身に入らなかった。

宿舎で食事を取っている最中、ふと窓を見やると横殴りの激しい雨が降っていた。

「嫌な季節だね」

一緒に食事をしていた同期が呟く。

「そうだね」

窓の方を見つめながらそう返事する。

今日は会議があるって言っていたかな。

時計を見て何となく嫌な予感がして食事を中途半端なまま残して席を立った。

「ちょっと、どこ行くの?」

時間が惜しいというのに呑気に声をかけられる。

「外に行くの。いそぎの用事を思いだしてね」

収納する場所がなく部屋の隅に立てかけられていた古傘を掴んで部屋を飛び出す。後ろで「はぁ?」と声が聞こえた気がした。おそらく運びかけのスプーンを片手に口をだらしなく開け首を傾げていることだろう。だってこの時間帯は普通なら就寝している頃だから。訓練の後片付けに時間がかかって遅くに食事をしていた私と彼女を除けば、他の兵士は今頃布団の中だ。

まぁ大丈夫だろう。彼女のことだから私が急に飛び出して行ったことぐらい道端の雑草が抜けたくらいにしか思っていないはずだ。呆けた面のまま口にスプーンを運ぶ彼女の姿が思い浮かぶ。

ギシギシに固まった傘を無理やり開きながら回廊を駆け抜け、宿舎の屋根がなくなった所で大雨の中に飛び込んでいった。

思いのほか風が強く傘を正面に持ちながら進まないと風で傘がひっくり返ってしまいそうだった。

地面の水をはじき、来る途中回廊からお借りしたランプを手にして暗闇の中を足早に駆けていった。

*

着いた頃には大分風が弱まっていたが、雨が止む気配はしなかった。

本部の入口付近に黒っぽい影が見える。

あれかもしれない。人かどうかさえ分からなかったが近づくにつれそれはいつも見知っている人の姿をかたどっていった。

「リヴァイ兵長!」

背筋を伸ばし人影に走り寄る。声に気づいた彼は振り返り驚いた表情をした。

「ミョウジ…?抜けてきたのか?」

「はい。今日会議があると言っていたのを思いだして、雨が降ってきたので心配になって…」

彼はほとんどないのと等しいほど狭い軒下に像のように突っ立ていた。身動きのしようがなかったようだ。

「濡れてしまいましたね…すみません、もう少し早く来るべきでした」

「いや、気にするな。もうこのまま帰ろうかとも思っていたからな」

「そんなこと言わないで下さい。早く帰って乾かせば大丈夫ですから」

軒下から出てくる彼に傘を近づけてその余った空間に体を縮こませて入った。

「何で二つ持ってこなかった?」

「あ…!」

言われて立ち止まった。歩いていた彼は少し傘からはみ出て不愉快そうに雨を見つめた。

「あぁ〜何でそんなことに気が回らなかったんだろう…」

呟いて自分のどんくささにため息が出た。

「お前、いつもそんなんばっかだな。どうせ何も考えずに宿舎を飛び出してきたんだろう?」

全くその通りです。

どうしてあの時気づかなかったかな…あ、でもあそこにあった傘はこの一本だけだったような…。そんなことを思いつつもやはり結果は結果なので情けなくて頭を抱える。

「過ぎたことは仕方ないだろ。ほら、行くぞ」

そう言い、いつまでもうなだれている私から傘の取っ手を奪った。一瞬手が触れて心臓が高鳴る。私の方を気にしつつ歩きだした兵長に、まるで引力で引っ張られるようについていった。

時折隣を見て様子を伺う。目は合わなかった。何か話題をと思い、今日何の会議だったのか聞こうとした。しかし雨の音がうるさくて聞こえづらくなるだろうということと、宿舎から本部まで走りっぱなしで疲れが出ていたこともあり、尋ねる気力が失せていった。

長い間沈黙が続いた。

正直な気持ちを言うといつも無愛想にしている兵長にリードして貰っているこの状況が顔から火がでてしまうくらい照れくさくてそして嬉しい。でも、調査兵団でトップの実力を持つ兵士長に従える部下の立場からしてみたら彼に雑務をさせるのはもっての他。

「あの…」

すたすたと歩調を乱さず歩き続ける彼に恐る恐る声をかける。

「なんだ?」

ほんの少し振り返ってまた前を向く。

「…私、持ちますよ?」

さりげなく手を差し出してアピールしてみる。しかし一瞥されただけで持たせてはくれなかった。

「危なっかしくて任せられない。それにお前はランプを持っているだろ?俺がいるんだから一人で二つ持つ必要なんてない」

確かにそうですけど、いくら私でもランプと傘くらい同時に持てます。

「あとそれ、回廊に設置されていたやつだろ。着いたら返しておけよ」

「はい…」

不満そうにしていると、それが伝わったらしく彼は面倒臭そうにちらりと此方を見て一瞬悲しそうにうつむいた。彼のそんな表情を見たことがなかったから思わずドキッとする。でも有り得ない。今までにこんなことがあっただろうか。見間違いかもしれないと思い彼の表情をわずかでも見逃すまいと見つめていたが、次の瞬間には元通りの仏頂面に戻っていた。

「?」

「い、いえ!何でも」

やっぱり見間違いだったのかな。

どうしても気になってしまい頭をひねっていると、まるで波風立たない水面に一滴の雫が落ちたように彼の口から声がこぼれた。

「今は、何かしていたい気分なんだ…」

その言葉を堺に雨が激しくなる。歩く先は雨ばかり、しかも暗くてよく見えない。本当にこの道であっているんだろうか。この闇の中を進んでいって大丈夫なんだろうか。彼の進む方向を信じてここまでついてきたけど、よく考えてみれば本部を出発してからかなりの距離を歩いたというのに一向に宿舎にたどり着く気配がしない。

どっと不安が押し寄せてくる。普通ならこんなこと思わない。そう、雨が急に敵意を現したように見えるのも、先に進むのが怖く感じるのも、全てさっきの彼の一言が原因だった。

声をかけようと開きかけた口を閉じる。話かけてはいけない気がする。そしてそれよりもまず、彼の方を見てはいけない気がする。何故か、そう思う。

いつの間にか私と彼は立ち止まっていて、雨の中二人取り残されていた。傘はもはや役に立っていなかった。私も彼も雨にさらされて体の8割がびしょ濡れになっていた。

どうしよう…様子だけでも見た方がいいだろうか。だって明らかに今の状況はおかしい。でもでも、彼の表情を見ることが怖い。

…何が怖いのか?彼が?

いや違う。

彼の抱えている"もの"の方だ。

私はきっと、それを知るのが怖いんだ。

見るのは止めよう。震える心でそう決心した直後、肩に重みを感じそれに押されるがまま地面に倒れ込んだ。

手にしていたランプがガシャンと地面に転がる。

傘が飛ばされ、まともに雨をかぶって惟一無事だった頭から上も濡れていく。

上にぐったりとのしかかるその重みの正体を知った時、現状を理解した。

「兵長!!しっかりして下さい!」

しかし体の上に乗っている人は身動き一つしない。

次第に恐ろしくなって激しく揺さぶる。

「起きてください!冗談なんて兵長には似合いません!嘘寝なんて止めて下さい!!」

何度も声をかけた甲斐があってやがて彼は薄らと目を開けた。

「どう…したんだ、俺は?」

自分がどうなったか分かっていないようだけど意識は正常だった。取り敢えずそのことに果てしなく安堵した。

「急に倒れたんです。覚えていませんか?」

まだ苦しそうに体を倒している彼に出来るだけ落ち着いた口調で優しく問いかける。

「覚えていない…。頭が痛み出して、体が重く感じてからは…」

虫の音程の声で呟くのでほとんど聞き取れなかった。しかし内容はどうでもいい。重大なのは彼がそれ程までに憔悴しているということだ。

「いますぐ人を呼んできます。ここで待って…!」

身をよじって抜け出ようとしたが、強く引かれてさっきよりもっと彼と体が絡みあった。

抵抗しようとすればするほど足が絡まり手が交わっていく。胸を押し戻そうとする手を掴まれ地面に押さえつけられる。

「やめ…!」

普段彼は潔癖で粗暴な人かもしれない。でも、誓ってもこんな強引に人を押し倒してくるような人ではない!

悲しくなって眼前の人物の頬を引っ叩こうとした。しかし寸前の所で思いとどまった。

長い年月付き従ってきたが、こんなに辛そうな表情をする彼を見たことがなかったからだ。

彼は動きを止めた私と向き合い、口を近づけてくる。まるで季節外れの雪が降ってくるように。悲しいくらい繊細で、これを避けることなんて出来なかった。

そっと、鼓膜がかすかに揺れる程度に、

「行かないでくれ…」

ガラス細工のような音を、耳が拾った。

優しく唇が重ねられる。

柔らかくて、溶けてしまいそうだ。

ただ重なっているだけなのに、こんなに幸せに感じる。

この気持ち…なんて言うんだっけ、

忘れてしまった。

でも、いい。今が幸せなら、それでいい。

気づけば、雨が弱まり、小雨程度になっていた。闇は変わらず私達を包んでいたが、恐怖は感じなかった。

彼の体がぐったりしていることに気づく。耳元で名前を読んでみたが返事がない。とっくに意識を手放していたようだ。

遠くで誰かの声が聞こえる。私の名前を呼んでいるようだった。余韻が覚めず、ぼうっとした頭で考えること数秒。

食事を一緒に取っていた同期が心配して探しにきてくれたのだと分かって慌てて彼の体起こし腕の中に抱き寄せる。さっきの体勢を見られるわけにはいかなかったからだ。どこがどうまずいかと言われると、言葉に詰まってしまうが。何となく、本能的に、いけない気がした。

「ナマエ!!見つけた!どこ行って…ってええ!?リヴァイ兵士長!?」

「大人は?来てないの?急に倒れて私一人じゃ運べなかったの。手を貸して!」

慌てふためく彼女の後ろから数名の兵士がやってくる。騒ぎを聞きつけて来たようだ。

結局兵長は大人二人係で医務室に運ばれ、診断の結果一週間の安静が必要だと診断が下された。原因は過労だということだった

近くにいておきながら彼の異変に気づけなかったのが情けなくて仕方ない。

やっぱり、あの時目をそらすんじゃなかった。きっと助けを求めていたんだ。なのに私は、彼が倒れるまで頑固に目を閉じ続けた。

彼が目覚めた時、どんな顔をして会えばいい?

*

次の日、ウォールマリア奪還作戦が行われることが上から告げられた。直接には言われなかったが、それが口減らしということに気づかない者はいなかった。

聞くに、昨日の会議で長い時間をかけて決定した事項だったとか…。



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