10 | ナノ
最近、気付いたことがある。

「ジャン!」

呼ばれた名前に振り返れば、彼女――ナマエが笑顔で手を振り此方に近付いてきた。相変わらず元気な奴だ。

「ナマエ、どうした?」
「ジャン、立体機動装置の手入れするって言ってたよね?私も一緒にやってもいいかなぁ?」
「あぁ、いいけど」
「ありがとー!じゃああとでね!」

にっこりと満面の笑みを向け、彼女は去っていった。本当に嬉しそうなその笑顔に一瞬見惚れてしまったのは自分でも分かっている。
そんな俺に、近くにいたマルコが「ジャンは本当にナマエと仲がいいよね」なんて微笑ましい表情を携えて言うものだから、思わず顔に熱が集まる。仲がいいのかは分からないが、最近気付いたことがある。――ナマエと過ごす時間がやたら多いということだ。


「今日の訓練、あとちょっとでジャンに勝てたのになぁ」
「お前最後の最後で木に正面衝突してたもんなぁ。あれは笑えた」
「ひどい…!ちょっと余所見してただけなのに…」
「訓練中に余所見してんじゃねぇよ」

二人きりの工具室。約束通り共に立体機動装置の手入れを始めた俺たちは、開始早々くだらない会話を繰り広げていた。俺がびしりと突っ込めば拗ねたように唇を尖らせるし、かと思えば時折楽しそうな笑顔も見せる。ころころと表情が変わるその様は、見ていて飽きない。

彼女といるのは、正直言ってしまえ心地いい。何の気兼ねもせず言葉を交わせるし、彼女との会話は楽しいとさえ思う。いつからこんなことを思い始めたのかは分からない。
ただいつしかこいつが近くにいることが当たり前のようになっていたのも事実である。

――くそ、俺にはミカサがいるってのに。

と、苦し紛れに黒髪の彼女のことを思い浮かべるも、すぐに今目の前で装置と格闘している女に目を奪われる。本当、何なんだよこれは。

「ジャン?どうしたの?」
「……は?」
「すっごい怖い顔してる。眉間の皺、大変なことになってるよ」
「…っ、誰のせいだと……」
「え?何?」
「……なんでもねぇよ」

大きな瞳を真っ直ぐ此方に向けられ、思わず視線を逸らす。「変なジャン」とけらけら笑う彼女に、本当に誰のせいだと思ってるんだと声を大にして言いたくなったがひとまず我慢である。

一人悶々と考えを巡らせる俺を余所に、彼女は一人装置の手入れを進めていた。細く綺麗な指がてきぱきと動く。たまにこうして一緒に手入れをすることがあるが、彼女は案外手先が器用であることを知った。そして自分の装置にとても大切に触るということにも気付いていた。再び手元に落とされた視線は真剣そのものだった。

――その表情に見惚れていたのは、もう誤魔化しようもない。

「なぁ、ナマエ」
「んー?」
「ちょっと聞きてぇことあんだけど…」
「なぁに?」

衝動のまま話を振ったはいいが、俺は一体何を聞こうとしたんだ。彼女がなぜ俺の近くにいてくれるのかなんて、そんなことを聞いて俺は一体どうするつもりだ。ていうか俺の勘違いだったら格好悪いだけだろうが、馬鹿か俺は。
口を噤んだ俺に続きを促すようなことはせず、ただ彼女は真っ直ぐ此方を向いて待っていた。駄目だって、本当。

「…っ、やっぱ、何でもねぇ…」
「えー?何なの?変なジャン」
「悪い…」

一人で焦る俺とは違い、彼女はいつも通りの笑顔である。俺だけが掻き乱されているようで何だか悔しい。全く様子の変わらない彼女を見ると、彼女にとってこうして一緒にいることは特に深い意味はないような気さえしてくる。
またもや悶々とし、俺はそれまで動かしていた手を止めた。彼女もそれ以降黙り込み、沈黙が走る。

ああ、沈黙がこんなにも気まずいことなどあっただろうか。ちらりと彼女を盗み見ると先程とは一転、何やら真剣な眼差しで俺を見ていた。
――そして沈黙を破ったのは彼女の方だった。

「ジャンは…、ミカサが好き?」
「……は?」
「私が傍にいたら迷惑かな…やっぱり」

ぽつり、ぽつりと、それまでの様子とは一転して暗い声で呟いた。伏せられた瞼はどこか憂いを帯びていて。突然の問い掛けに俺は頭が真っ白になり、すぐに答えることができなかった。
彼女の立体機動装置はすでに元通り組み立てられていた。

「…迷惑なんて、言ったか?」
「言われてないけど……好きな子に勘違いされたくないかな、って。今更何をって感じだけど…」
「……。俺がミカサを好きなんて、いつ言った?」
「……それも、聞いてないけど…」

急に情けない声を出した彼女になぜだか俺は少し苛ついた。俺がいつミカサを好きだって言ったんだよ。そりゃあミカサを理由にして、彼女に惹かれていることに気付かない振りをしていたけれど。

そこで俺はようやく気付く。
なぜ彼女がいつも俺の近くにいてくれるのかなんて、理由はどうだっていい。ただ俺が、彼女に傍にいてほしかっただけなのだと。一喜一憂して表情を変える彼女のことを、ずっと傍で見ていたいのだと。
この気持ちを何と言うのかは分からないが、今目の前で瞼を伏せる彼女には出来たら笑顔を見せてほしい。

「ナマエ」
「……」
「俺はお前と一緒にいると、結構楽しいんだけど」
「…え?」
「そんで、出来たらこれからも傍にいてほしいんだけど」
「えっ、え…!?」
「返事は?」
「はっ、はい…」

畳み掛けるように言葉を紡いだのは、どうしようもなく恥ずかしいからである。それを誤魔化すように俺はそれまで止めたいた手を動かし、装置の手入れを再開させた。
半ば強引に返事をさせたような気もするが、ちらりと見えた彼女の頬が赤く染まっていたからきっと彼女の素直な気持ちなのだと思う。

「ジャン…」
「ん?」
「私が何でジャンに話し掛けてばかりいたか、分かる?」
「……、」
「…ジャンのことが好きで、ジャンの傍にいたいと思ったからだよ」
「……は、」
「…っ、てことだから!私もう手入れ終わったから先に戻ってるね!どうぞごゆっくり!」
「は?おい、ナマエ…!」

先程の俺と同じく畳み掛けるようにそう言った彼女はまるで嵐のようにバタバタと工具室を出ていった。
一人取り残された俺はたった今告げられた言葉を脳内で反芻し、じわじわと湧き出る喜びを噛みしめるのに精一杯だった。装置を組み立て直したら急いで彼女を追い掛けて、あの綺麗な指先に触れてもいいだろうか。



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