10 | ナノ
整理した書類の中に見つけた「行方不明者」の文字が不満だった。遺体が回収できないほど酷たらしく、本来の姿とはかけ離れていたとしても、事実を捻じ曲げる必要はないと思った。一片の肉と骨さえ帰ってこなくとも、彼らを身内の中で死んだ人間にしてやるべきだと、そう思った。


私はその日、疲弊しきった様子で練り歩く兵士たちの顔をひとつひとつ見た。最後の一人になって、その男性は顔に包帯を巻いていたが、自分の父親ではなかった。私は縋る思いで、彼らの歩いてきた方を振り返った。閑散とした広い道には、彼らが纏ってきた壁外の冷たい空気がどんよりと尾を引いているだけだった。

母は家でごちそうを作って待っていたから、私が一人で帰ってきたのを見て泣いた。私は、見つけられなかった、と言った。そう、自分が、見つけられなかっただけかもしれない。その可能性のことだけを、私は思っていた。しかし翌日、ミョウジ一兵卒は壁外調査に於いて行方不明云々、という通達が届いた。母はひどく泣いた。私は、生きているかもしれない、と思った。次の壁外調査のときに、発見されて戻ってくるかもしれない、と。次、その次、と父の帰ってこない壁外調査が続くうちに、私は訓練兵になって、やっとの思いで卒業して、調査兵団に入っていた。そうして、初めて壁外で巨人を目の当たりにしたとき、理解した。

父はとっくに死んだのだ。

「ここに、行方不明者とありますが、死亡者に変えるべきだと思います」

仮に本当の行方不明者であっても、壁外で行方不明になったということは、死亡したのと同義だ。それは壁の外に出た経験のある者にとっては明白な事実であって、推測ではなかった。エルヴィン団長は、真剣な面持ちで私の話に耳を傾けてくれている。一兵卒の私が組織のトップに意見する場など、本当なら有り得ないのだ。ノックをして開いた扉の向こうで、団長は一人。私の手には壁外調査での「損失」を羅列した紙。与えられた、然るべき機会ではなかった。しかし掴み取れる機会だった。自分はこの時の為に兵士になったのだと、そう確信した。

「私は自分が初めて壁外に行くまで、父を行方不明だと思っていました。毎晩、あの壁をよじ登って来ようとする父が夢に……でも巨人を見てからは、奴らが最後にいつも、父に群がって……起きるたびに、死んだと頭では分かっているのに、まだ現実で、父があの壁を越えようとしているんじゃないかと思ってしまうんです。だから私はずっと、過去を過去として、置いていくことができませんでした。どこにも、進めませんでした。行方不明にされた兵士の遺族が皆、私がそうだったようになるべきではないと思います」

私はなぜか今更になって恐ろしくて、全て言い切った後に顔を上げた。団長の目の下には色濃い隈ができていて、頬からも生きた人間らしい色が抜けていた。どう見ても彼には休息が必要だった。私は罪悪感から、忽然、自分は何を訴えているのだろうと思った。壁内であっても、何年も前の行方不明者であれば死んだと考えるのが自然だ。況んや壁外をや。もしかするとこんな、私のように死人が死んだと認められない人間は、他にいないのかもしれない。そうならば、行方不明者という表記には何ら問題がないのだ。考えるほどとても、滑稽だった。私はとうに効力を失った理屈と駄々をこねるだけの、小娘だったのだろうか。

「君の言い分は分かった」

予想に反した言葉が、団長の口から零れた。

「書類を見せてくれ」

私はぽかんと開いていた口を慌てて引き締め、団長に書類を渡すという当初の目的を果たした。ページを捲る音だけが、しばらく部屋の中に響く。彼の目が上から下へ降りていく度に、私は少しずつ落ち着きを取り戻した。それとともに自分の行動を省みる余裕が出てくると、私はいよいよ冷や汗をかいた。とんだ無礼を働いたのだ。

「あの、団長……申し訳、ございません」

青い瞳が、紙面に代わって私を捉える。

「どうして」

それは責めるような口ぶりとは程遠く、私の都合の良い妄想でなければ、何も悪いことはしていないだろうという意味合いが込められていた。私は俄に胸が詰まって、何も答えることができなかった。

「……お互い少し、休憩を入れよう」

彼は書類を机の上に置くと、ポケットを探って四角い箱を取り出した。マッチだ。どうするのだろう、と不安に駆られた矢先、彼は机の引き出しを開けて煙草を取り出した。高価な娯楽品と縁薄い私は、思わず団長の手元を凝視した。

「煙は、嫌いかな」
「いえ、その、珍しい物ですから……お煙草、吸われるんですね」
「まあ、こういう日だけだが」

こういう日、とは、壁外調査から帰った日のことなのだろう。団長は煙草を一本銜えると、マッチを擦って口元へ持っていった。すぐに紫煙が燻り始める。私は初めて肺へと入ってくるそれに咳き込みそうになるのを堪えながら、一方ではゆらゆらと立ちのぼる様子を見ていた。

「ナマエ・ミョウジだったね」
「はい」
「君は、組織の判断にずっと苦しめられて、ここまできたのか」

どう反応すればいいのか分からない。否定できないことは事実で、それは何よりの肯定だった。

「俺は、今ではこんな立場だから、多くの判断をしなければならない。それが正しいか正しくなかろうが、俺がそのとき決断するということには関係ない……しかし、ああした方が良かったと、ああするべきだったと思うと、途端に恐ろしくなる。これから自分はこうする、という決意が揺れてしまうようでね」

自分の吐いた煙を見上げる団長を見て、私は後悔の念を禁じ得なかった。組織の判断とはつまり、団長の判断だ。

「後悔をしないわけではない。ただ、俺たちが持っていけるのは、これからの成果の為になるものだけだ。だからこそ反省が活きる。他は置いていかなければ、進めない。君も言った通り」
「……私はただ、私自身が、愚鈍でした」
「いや、君の言葉は役に立つ。少なくともこれから、死んだ兵士の帰りを待つ者にとっては……ナマエ、君が変えたんだ」

私は目を見開いて団長を見た。彼は目元を僅かに緩ませて頷く。

「書類は訂正して、また持っておいで」

眉間のあたりから熱くなって、瞬きを繰り返すと涙が零れた。母が目の前で頽れても出てこなかったものが、今になってどうして。両手で顔を覆ったが、止まらないどころか手では隠せない嗚咽までもが出始める。団長は、傍に寄るでも他に何を言うでもなく、煙草を燻らせていた。私はなぜか、顔も忘れかけていた父を思い出した。ようやく、死んでしまった父が恋しくなった。ああ、認めるとは、こういうことなのだ。漂う紫煙は肺ではないどこか、ずっと空いていた部分に入り込んだようで、やはり私は胸が詰まった。



さみしいにおいの煙草
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