ベッドに横たわる、すっかり色の抜けた名前の頬に、カタナは手を当てる。そのまま口元に指を滑らせ、か細い吐息を確認して少し肩の力を抜いた。気配を感じてか、名前が薄らと目を開ける。

「…………カタナ」

 嬉しそうに微笑むが、以前のものとは違いどこか儚い。カタナの眉が平時より寄るが、名前は慣れた風に無視をした。

「気持ちいい、もっと」

 カタナの掌に擦り寄る姿は猫のようだ。望むままに撫で、指先で喉元をくすぐってやれば名前は小さく笑った。

「どうしたの、カタナ、優しい」
「俺はいつも通りだ」
「うん、いつも優しかったね」

 裏表もなく言われ、カタナは目を逸らした。以前から思っていたが、この女は頭がおかしい。
 名前はカタナの手に手を重ねると、目を閉じてぽつぽつと呟いた。

「……最近、ずっと眠いの。お腹も空かないし、暑くも寒くもない。ああでも、たまに映画が観たくなるよ……カタナとサユリちゃんと観たやつ。またあそこで観たいなあ……」

 以前、灯の落ちたカタナの住居で古い映画を観たことがある。バッテリー式の映写機を名前が適当に弄ったところ唐突に動き出し、殺風景な壁が即席のミニシアターに変わったのだ。
 入っていたフィルムの内容自体は陳腐な恋愛もので、モノクロの画面にギブアップしたサユリは名前の膝の上で早々に夢の世界へリタイアしてしまっていた。反対に名前は相当のめり込んで観ていて、サユリ同様飽きたカタナはそんな名前ばかり見ていた。
 スクリーンの光を受けてきらきら光る瞳が、星のようだ。柄にもなくそんな感想を抱いていたところ、不意に星はカタナを捉えた。当然目が確と合い、カタナは頬杖をついて目を逸らした。サユリもそうなのだが、あまりに澄んだ瞳に見つめられるのは居心地が悪い。にも関わらず、何を思ったか名前はずいと顔の距離を詰めてきた。

「……あのねー、変なこと言うけどさあ」

 口調こそ軽さを持っていたが、その響きは真剣だ。カタナは耳だけ傾けて、無視するように目を閉じた。名前は構わず続ける。

「サユリちゃんの面倒、ちゃんと見てあげなきゃだめだよ。一緒にいるなら、ちゃんと」
「何だって俺がそんなことしてやらなきゃならない。そいつが心配なら、お前が見てろ」
「そりゃ、そうしてあげたいけどさー……」

 名前は口ごもって、サユリの頭を撫でた。柔らかい金髪をつまみ上げ、さらさらと落としては整える。何度か繰り返した後、名前は意を決したようにもう一度顔を上げた。

「でも、もし私がいなくなったらどうするの」

 思わず、怪訝な瞳で名前を見た。頼みもしないのに通って来るこの女が、いなくなる。鼻で笑ったのは当然だった。

「お前、何回追い返しても来るじゃねえか。もう来ないって言うなら、せいせいするぜ」
「ひどーい……何で来るかいっぺんくらい考えてよう」

 急に頬を赤くした名前はいじけたのか、唇を尖らせてスクリーンに顔を戻した。ささやかな勝利にカタナは気を良くして長い脚を組む。
 そうだ、あの時は、こんなにしつこい名前がいなくなることなどあり得ない、と思っていた。
 だが現に目の前の彼女は今、どんどん衰えていく。もともと事故で死ぬところだった体を補っていたガドが消えつつある、と知ったのはつい最近のことで、その頃にはカタナは、名前を手放すことなど考えられなくなっていた。

「……お前は、俺のものだ」

 唐突な所有宣言に、名前は当初きょとんとし、次いでさっと筆で掃いたような朱を頬に上らせた。

「……ずるい、そういうの……」

 その顔は、あの夜拗ねた顔と同じだ。あの時のようにすいと立ち上がり、じゃあ明日もまた来るから、とうんざりするような宣言をしてくれないだろうか。そうしたら今度はただ見送るだけにはしない。仕方なくも送り届けて、彼女が暴走車に轢かれぬよう、偶然手元に転がってきたガドを取り込む羽目にならないようしてやってもいいのに。
 カタナは名前の瞼を撫でた。詮無い後悔を知らぬ名前は嬉しそうに口元をつり上げている。

「勝手に、……」

 死ぬな、とは言えなかった。柄にもない話だが、その言葉を口に出せば、本当にそうなってしまう気がした。カタナが止めても死は重く淀んで、名前を捉えようと蠢いているのに。

「ねえ、また来てね。寝てたら起こして、絶対ちゃんと起きるから」

 言い淀んだカタナを無視して、名前は子どものように約束をせがんだ。次に来たとき、彼女は本当にきちんと起きるだろうか。その危惧さえ知らぬとばかりに無邪気に明日を信じている名前に、カタナはただ頷くだけに留めた。


12.06.08
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