振り向いたはにかみ笑いは、一瞬前の、絵画のような美しさとは随分ギャップのある、幼い表情だった。シュウ、と気安い声を上げて近づいてくる。

「見てたの? やだ、恥ずかしいな」
「ふふ、ごめん。君があんまり、きれいだったから」

 波打ち際をなぞるように裸足で砂浜を歩く、そのあどけなさや、対照的に仄かに色っぽいラインで伸びた発育途中のふくらはぎや、青空に映える広がったワンピースの裾の可憐さ、羽ばたく鳥のように大きく水平に広げた白い腕の清清しさ――そういったものを、外の人間なら「映画のワンシーンのよう」と喩えるだろうか。しかしシュウはそんなもの観たことすらなかった。だから、この島で培った彼なりの語彙で、その美しさを伝えようと苦心し、いくつか言葉を重ねてみる。

「――……妖精みたいだった」
「よっ……!?」
「うん、あとは何だろう、花かな。白い花」
「はっ……!?」
「それと、白鳥」
「なっ……」
「ああ、たまに見る珍しい蝶にも似てたような気がする。知ってるかな、こんなに大きくて、鱗粉がとても明るく光るんだ」
「ちょっ……」

 それと、それと、と顎に指を添えて次々に自分の知る美しいものを探し出そうとするシュウを、名前が赤面しながら両手でぽかぽかと叩き始めた。

「もっ、もういい!! 分かった! 分かったから!」
「え、だって僕がまだ納得してないんだけど」
「もー!」

 真面目な顔で返してやれば、名前は呻きながら頭を抱えてうずくまってしまう。全部本心だけどからかい過ぎたかな、と共にしゃがみこんでご機嫌をとるように頭を撫でてやる。

「でもほんと、天使がいたらこんな感じかなって思ったよ」
「ああああううううう」
「嘘じゃないよ」

 悪戯っぽく、しかし無邪気を前面に押し出して微笑めば、名前は何も言えないようで、頬に両手を当てていたりした。しばらくそうした後、熱を振り切るかのように毅然と立ち上がった。

「も、もうこの話おしまい! 帰ろう、シュウ」
「ええ? もういいの? まだ色々あるけど」
「いいの!」

 照れ隠しで少し語気が荒ぶっている名前が、シュウの手を引く。髪の合間から覗く愛らしい貝殻のような耳が赤くて、シュウは自然と唇が綻ぶのを感じた。
 時に過酷な森で育った自分のものより、名前の手はずっと柔らかい。その感触は彼女を愛しく思う気持ちをいや増しに増すと共に、シュウの根源の記憶を揺り起こす。
 手をつないだ幼い妹が自分に向けて笑う、自分も笑い返す、そんな些細で甘やかな記憶。

 ――君がもし、本当に天の使いだったなら。
 神に捧げられた妹を救ってくれただろうか。
 詮無い考えに、シュウは首を振る。

「……? シュウ?」

 振り返る顔は妹と似ても似つかない。
 名前を妹に重ねて愛しいと思うのではない。妹のことを話したことすらない。言ったところで何がどうなるでもないのだ。彼女が本当に救いの天使で、時間を戻してくれるとか、シュウに絶対の強さを与えてくれるとか言うわけでもない限り。
 自分を理解して欲しいという恋につきものの欲求も当然あったが、余計な気を遣わせたくないと言う冷静な判断が熱情を上回っていた。今のところは。
 笑ってしまう。この身に真の熱はなく、存在さえ曖昧なものだというのに、生きている名前をそれほどまでに愛している。自分と違った熱を持ち、確かに地に足をつけて芽吹いている命が愛おしい。
 共に歩みたいと願ったところでこの先には何もない。永久にこの清廉な魂を愛でたいと思っても不可能な話だ。自分たちが幸せな終わりを手に入れることはきっとないと薄々予感すらしている。なのに、

「何でもないよ。さあ、行こう」

 もう少しだけ、もう少しだけ、と、このささやかな戯れの時と名前の手を離せない。


11.12.31
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