優雅なヴィクトリアンソファの、片側にしかない肘掛けに倒れ込んでいた名前を見た時、一瞬死んでいるのではないかと思って心臓が跳ねた。が、当然そんなことはなく、彼女の口からはか細いながらも寝息がこぼれている。確認したキョウは胸を撫で下ろし、次いで理不尽に苛立った。
 いらねえ心配かけやがって。
 ……いや心配なんかしてねえけど。
 ならば一瞬波立った拍動は何なのか、という当然の疑問に対する答えはどうにも認め難く、頭を一度振って無視を決め込んだ。
 肘掛けとその上の腕にぐったり凭せかけたその顔は、こうしてまじまじと見ると、普通よりずっと白い気がした。肌の色がどうこうというよりも血の気の不足、不調を思わせる青白さ。目元にはうっすら隈が浮いている。死んではいないが、死にそうな顔ではあった。
 投げ出された手に握られているのは、雰囲気にそぐわぬどこか攻撃的なデザインのグローブ。役割を示すかのように、ソファ前のローテーブルには彼女のデッキがばらばらと散っていた。あまりに無防備すぎるその扱いにキョウは眉を顰める。カードを以て己を示すヴァンガードファイターとしてあるまじき扱いだ。
 が、考え方を変えれば、そう言ったことに気を払えない程疲れていた、ということになるのか。
 もう一度見た寝顔は疲労と、ほんの僅か、苦悶の色を浮かべている。以前より少し痩せているような気もした。
 名前が何を思ってこの特殊なファイトに打ち込むのか、キョウは知らない。痛みを愛す性質ではないことぐらいは知っているが、そうでないなら何故と言われて答えられる程踏み込んでもいない。興味もなかった――はずなのだが、今こうして改めて考えると、知らないのが不思議と癪だった。これについても何故かは分からない。
 分からないことばかりで苛々する。だというのに人の気も知らず居眠りなんかしやがってこの、と頬の一つでも摘んでやろうとしたが、指を伸ばした先で名前が眉を寄せてひとつ呻いたので、そんな悪戯っ気はぐずぐずと萎えてしまった。
 代わりに目の下の薄い皮膚、隈のあたりに爪を軽く滑らせながら思う。
 ンなに疲れてんなら、やめりゃいいのに。とっととこんなとこ出てって、どっかに行っちまえばいい。俺の目の届かないとこに消えれば、少しはこのよく分からない気持ちも消えるだろ――

(……いや、いやいや! 全然そんなんねえから! 一片たりともこいつのことなんか気にかけてねえから! いてもいなくても関係ねえから!)

 予想外の方向に走り始めた思考に、慌てて誰にともなく言い訳をして、その滑稽さを独り恥じても名前は起きない。
 ただ、口が少し動いた。
 誰かの名前。
 ――見間違いでなければ、自分の名前を形作る動きによく似ていた。いつも姿を見ればすぐにそばに寄ってきて纏わりついて、何が楽しいのかにこにこ笑って何度も呼ばれるその動きに。
 起きているのか。
 思わず身構えるが、それきりだった。目が開く訳でも、続けて何か話す訳でもない。相変わらず青ざめた顔がそこで眠っているだけだ。
 だとしたら余計恥ずかしい。誤魔化すように手を当てた半面は何故か熱かったが多分気のせいだ。
 こいつに名前を呼ばれたぐらいでそんな風になる訳がない。
 そのまま視線を落とす。
 名前が何故フーファイターに所属しているのか、痛みを伴うファイトの先に何を見出そうとしているのか、何もかもをキョウは知らない。ただ一つ分かるのは、名前がこんな、疲弊も露にしていると、自分まで引きずられて調子が悪い気がする、ということだけ。

(くそ、何で俺が、こんな)

 一人でばたばたあたふた、間抜けにも程がある。それもこれも全て、体調管理ができていない名前のせいだ。こんなところで眠り込んでしまうくらい疲れているならさっさとちゃんと休んで、いつも通りに馬鹿面で自分を追いかけてくればいいのだ。
 元気なら元気で煩いが、こうしているところを見るよりはずっとマシだ。

(……ったく)

 その吐き捨てるような思考とは裏腹に、キョウはおずおずと手を伸ばす。恐る恐る、いっそ臆病と言ってもいいスピードでその掌を名前の丸い頭に近づけ、万が一にも重みで目を覚ますことがないように、羽のような軽さを意識して、慎重に、乗せ――

「ちょっと、名前いる?」
「わああああ!?」
「痛っ!? ななな何!?」

 乗せるつもりだった手は、ドアが開く音を聞いた瞬間思い切り名前の頭をはたき落としていた。寝入っていたところへいきなり訪れた衝撃に目を白黒させている名前だが、キョウはキョウで闖入者に動揺を隠せない。

「アアアア、アサッ、カ、か……! きゅきゅきゅ急に入って来んなよ!!」
「別にあなたの部屋ってわけじゃないでしょ。何アホみたいに噛んでるのよ。ああ名前、ここにいたのね」
「い、痛いー……何ー……?」

 きょろきょろと辺りを見回しても、起き抜けの名前に状況が掴めるはずもない。自然と彼女は傍らのキョウに説明を求める視線を投げ掛けた。が、キョウとて説明するのはまっぴら御免だし、そもそも説明できる状態でもなかった。

「ンなとこで寝てんじゃねーよバカ! 邪魔だっつの!」
「あ、はい、ごめんなさい! 今片付けるからキョウちゃん使うな、ら……って、行っちゃうの?」

 邪魔なんじゃなかったの? という声を背中で聞きながらキョウは慌ただしく部屋を後にする。とてもじゃないがあのままいることなんてできる気がしなかった。
 顔が熱くて思考はまとまらなくて、全力で走った訳でもないのにやたら心臓は煩くいつまでも落ち着かなくて、自分が何をしようとしたのか信じられない。考えたくもない。

(ああくそ、バカ! バカ! ほんとバカ!)

 あのぽかんとした瞳を思い出して宛先不明の悪態を吐けば、ほんの一瞬だけ柔らかく触れた髪の感触が蘇るようで、キョウはむずつく掌をきつく握った。


11.08.11
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