黒地に細い碧のラインで複雑な紋章が描かれている面を上にして、カードを無造作に伏せる。何を伏せたかなんて並べた名前自身にすら分からない。個々の絵柄が見えないカードが並べられていくのを、名前の向かいに座るレンは両目を閉じて待っていた。当然レンにも何を伏せたかは分からないはずだ。
 だというのに、

「こっちから、お化けのちゃっぴー、チアガール マリリン、まあるがる、バトルシスターめーぷる、バターリング・ミノタウロス……」

 レンの白い指先が指し示す通りにめくっていけば、まるで呼ばれたかのようにその絵柄が現れるのだ。
 片目だけ開いたレンの「まだ続けますか?」と尋ねる視線を遮るように、いささか乱暴な手つきでカードをかき混ぜた名前はため息をついた。

「相変わらずよくできた手品だね」
「手品ではないし、種も仕掛けもないんですけどね」

 淡々とそんなことを言うレンだが名前には信じられない。戯言だと流すよう努める。
 レンにはヴァンガードの全てが「見える」という。それが何のカードか、ファイトのどの局面で役に立ってくれるのか、キーカードになり得るのか、そんなことが全て「見える」、そしてカードの声として「聞こえる」のだと。
 そんなことはありえない、と占いは好きだがオカルトに傾倒しすぎているわけでもない、平均的な現代人程度には科学の信徒である名前は感じている。が、名前が信じようが信じまいが、レンが魔法のようにカードを当ててしまうのは動かし難い事実だ。
 彼は百発百中、どんなトリックも入り込む隙間がないような状況でも易々とカードを当ててみせる。ファイトなどすればその力はここぞとばかりに遺憾なく発揮されるので、名前はレンが負けたところなど一度も見たことがない。
 レンはそれをただ単純に「能力(ちから)」だと名前に教えた。何でも、レンの求める強いヴァンガードファイターの中にはこの能力を身に宿す者がいるらしい。逆に言えばただ強いだけでなく、この能力を持っている者をこそレンは求めているのだと。
 名前はそれをいつも話半分に聞いていた。信じられない、というのも勿論あるのだが、半分はやっかみ、当て所も分からぬ嫉妬からだった。
 名前はヴァンガードファイトが弱い。それは即ち、名前にその能力とやらが宿っていないことに直結する。たとえ弱くとも才ある者にはその片鱗が見えることがある、とも聞いていたが、そんな僅かな可能性に希望を抱けるほど、名前は楽天的ではない。
 それに、その能力のせいかどうかは知らないが、レンがヴァンガードファイトに夢中になりすぎていること自体面白くなかった。かといってそれ以外のことに、具体的には自分にもっと目を向けてほしい、などとは口が裂けても言い出せなかったので、やはりそれは嫉妬となって名前の胸中に降り積もるのみである。
 総括すれば、この話題になると名前は微妙に不機嫌になるということだ。

「はいはい、例の能力ってやつね。どーせ私には分かりませんよーだ」

 名前の不機嫌は色々な方に向いている。レンを惹き付けて止まないヴァンガードに、彼が求める能力者達に、そうでなくてもヴァンガードが強い者達に、レンの目を向けられない自分自身に、そして最も極端なところでは、小さい頃から共にいたのに、自分にレンと同じ能力を授けてくれなかった、いるかどうかさえ分からぬ神という、それこそオカルティックな存在に。
 つまり、そんな見えざるものにまで不満をぶつけずにいられずにはいられないほど、名前はレンの気を引きたくて引きたくてしかたないのだが、ヴァンガード以外ではぼんやり茫洋、機微に疎いこと極まりないレンには名前の秘めたる想いなど分かるはずもない。
 そんなこと、幼なじみの名前は百も承知なのだが、それでも理不尽に不満が募るのは止められない。
 不思議そうに首を傾げるレン。その挙動にああやっぱり分かっていない、と確信した名前は諸々通り越していっそげんなりと息を吐くのだが、更にレンの首が傾くだけだった。

「何拗ねてるんです?」
「知らない! どうせ言ったって分からないんだから」
「……? そもそも言ってくれなければ分かるかもしれないものも分かるはずありませんけど」
「分からなくたっていいでしょ、能力持ってない私のことなんてどうでも」

 つんとそっぽを向いた名前の言い草にレンが、ああ、とやや平坦なトーンではあるものの、合点が言ったというような声を上げた。

「それで拗ねてるんですか。たまに名前ってしょうがないこと言いますよね」
「しょうがな、っていうか拗ねてなんか」
「でも、ううん……」

 言葉を遮り、不意にレンが名前の顎を掬い上げる。緊張や遠慮とは無縁の無造作な指先に虚を衝かれ、名前の心臓が大きく弾んだ。そんな名前の頬をレンはもう片方の指先でそうっとなぞる。まだ何が起こったか分からない名前だが、反論しかけてぽかんと開いていた口元を軽くつつかれた時には、飲み込めないなりにそろそろと閉じた。素直な反応にレンが教師めいた仕草で一つ頷く。
 そうして、指先を羽のような柔らかさで滑らせながらも、紅玉の瞳がまっすぐに名前の瞳を覗き込んでくる。いつもの、この世の全てが退屈だとでも言うような無感動な顔ではない。感情こそ込められていないものの、そこには明確な目的が感じられる。
 レンがこれとよく似た眼差しをする時を知っているな、と名前は予想外の事態と距離に未だに停止した頭で、卓上に投げ出されているはずのカードの存在を思い出した。ただしその間も目だけは、ずっとレンに囚われている。
 ただ視線を合わせているというよりも、眼窩という狭い入り口から視線を介しその奥へ滑(ぬめ)り込もうとする意思を持つ、およそ徒人ならざる眼差しに肌が薄く総毛立ったが、それでも目線を逸らすことはできない。恋の魔力などという甘やかで薄ら恥ずかしい力でなく、夜の片隅に蟠る、目を凝らしても見通せない闇のような、恐怖と魅力が絶妙に混在している深淵の誘惑だった。
 視線の橋架を伝って赤い蛇が入り込み、みっしりと中身の詰まった名前の頭蓋を、心臓を、臓腑を、そしてその奥の、不可視非実在の領域さえも這いずり回り舐め暴き尽くす。熱情ではなく検分の恬淡さを秘め、名前の中に「何か」――レンをヴァンガードの虜にしている、名前には分からない「何か」を見つけ出そうと奥の奥の奥の奥まで無遠慮に躊躇いなく這い回る。そんなイメージが何故か脳を満たし、息苦しくて、なのにどうしてもレンを撥ね除けられない。
 そうして一つ残らず矯めつ眇めつされながら見つめ合う中で、ふとレンの見慣れた紅玉の奥、白い光が微かに渦巻いた気がして、蛾が篝火に引き寄せられるように、正体を見定めたいという欲求のままに名前は顔を近づけ――

「ああ、もう少しなのかなあ」

 その呟きがごくごく近く、囁きにも関わらず吐息が唇にかかる距離で響いたことにぎょっと我に返った。

「でもやっぱり名前は、……違うみたいですね」

 残念だけど、とそこでようやく穏やかに笑んで、レンは手を離す。思わず惜しい、と考えてしまった自分や、驚くほどの至近距離にあったにも拘らず徹頭徹尾涼しい顔のレンに覚えた妙な苛立ちやその他複雑な色々が一気に頬を熱くする。

「な……な、何言ってるのか全然分かんない! これだから電波系って……」
「分からなくてもいいですよ、別に」

 何の感情も込められていない、事実のみを淡々と告げる音。
 レンはあくまで静かな笑みを湛えていたのに、その言葉は名前の胸をすうっと冷やした。感情のベクトルが反転し、熱っぽかった拍動が冷や汗を伴った嫌なリズムへと切り替わる。
 ついに突き放されたのか。見捨てられたのか。能力がないから、それともそれ以外の理由で。心当たりは――ない、と言える程自惚れられはしない。
 反射的に真意を確かめようと直前のもやもやも忘れ、思わず縋るような目で見れば、相変わらずレンは淡然とした笑みを浮かべていた。多分、こんな目で見られている本当の理由も分かっていないのだろう、名前の焦りをどこ吹く風とばかりに、なんでもなくあまりにもいつも通りに微笑んで彼女を宥める。

「能力がなくても、僕は名前が好きですよ。大事な幼なじみですから」
「……本当?」
「ええ」

 鷹揚に頷くレンの、世界に無聊を主張する瞳はいつも通りの鳩血色(ピジョンブラッド)だ。
 ほっと一息つく瞼の奥で、あの白い光が瞬いた気がして名前はまた小さく肌が粟立つのを感じる。
 あれは何だったのだろう。ひどく魅力的な反面、下手に近づけば身を焦がしてしまいそうな、そんな危うささえ感じたあの光は――
 名前の混沌とした答えのでない思索をよそに、レンは真顔で続けた。

「だから小さい時みたいに誤解して「レンが嫌いって言った!」なんて泣かないで下さいよ。君が泣くのって本当に心臓に悪いし……ああ、飴でも食べます? それで機嫌を直して下さい。ね?」
「だ、誰のせいよ! それにもうそんな子どもじゃないったら!」

 飄々と揶揄うレンに噛み付きながらも、名前の頬と胸には熱が戻ってくる。何故か目元まで熱くなったのを誤魔化すためにそっぽを向けば、レンの手が頭をぽんぽんと小さく叩いた。
 レンが大事だと言ってくれて、こうして少しだけでも構ってくれるなら、名前にはもう十分だったからそこでその話題をやめた。


 けれども、名前は今でも時折ふと夢想する。
 あの白く揺らめく不思議な光を、レンの言う「能力」とやらを自分も持っていたら、レンはもっと名前のことを見てくれるのだろうか。レンの中でただの幼なじみという枠を脱却し、もっとずっと特別なものになれるのだろうか。あのぽうっとした瞳が鋭い赤光に輝かざるを得ないような、そんな特別なものに。
 魅力的な夢想だった。魂の奥から誰かが呼ぶ声が響く錯覚を覚えるほどに繰り返した夢想だった。
 しかし一方で、どう考えてもそれは名前の望む「特別」とは違う気がしたので、夢想は夢想のまま、願いにすることはどうしてもできなかった。

11.06.26
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