腹に穴を空け、左腕はちぎれかかっている――もうこの腕は戻らないだろう。そんな目に遭ってまで、自分は生きたいのか。死力を振り絞って辿り着いた川岸、満天の夜空を見上げながら、名前は自問した。
 騎士団の、喪服めいた装束を纏った、鋼の女。夜の橋上で再会した元主人は、刃を向けられても平然と、あまりにいつも通りの剃刀色の瞳で名前を静かに見つめていた。名前にとって、母親のような、姉のような存在だった美しい人。
 信じたくないという思いが顔に出ていたのか、彼女はやれやれと微笑んだ。

(「逆に、どう言ったらあなたは納得すると言うのかしら。シスター・名前」)
(「私が、何か思惑があって、こうしていると言ったら――、あなたはそこを通してくれると言うの?」)

 出来の悪い生徒に、分かりやすいヒントを与えて答えに導いてやる。そんな風な物言いで対峙したカテリーナに、刃を向ける手が震えた。だが、下ろすことはしなかった。
 あのとき、自分は何と言ったか、そう――

(「――あなたは」)
(「あなたはAx(こどもたち)に、そんな甘っちょろい言い訳で敵を逃がせと、そう教えましたか」)

 自分にしては、随分と上等な啖呵を切ったものだ。あの麗人も刹那瞳を円くしていた。次の瞬間には、薄く鋭く、それこそ剃刀のような笑みを浮かべていたのだが。
 そして名前は、それまで側に隙なく控えていたトレスが飛び出してくるのに応戦し、数分のうちに彼の銃弾を脇腹に受け、くの字に吹っ飛び川へぶち込まれると言う活劇さながらの大活躍で退場したのだが。

(いや、でも私にしては、頑張った……)

 まともに食らえばもっと盛大に腸(はらわた)をぶちまけながらの即死コースだった弾道を出来る限りずらし、あの機械化歩兵相手にこうして逃げることが出来た。
 感謝します主よ、と短い祈りの言葉を呟こうとしたが、唇が震えてうまく出てこない。異常に寒いのは、夜間水泳を強行させられたせいだけではないだろう。気分も悪い。
 トレスに撃たれたことは、何とも思っていない――と言う訳ではないが、少なくとも怒りは覚えていない。周囲よりもほんの僅か懇意にしていた(というよりかは、名前の慕情を彼が切り捨てなかったというだけなのだが)とはいえ、彼はあくまでカテリーナ・スフォルツァの銃。そのひたむきさに目を奪われた名前としては、むしろ彼が自分などを撃つことに戸惑いを覚えなどしていたら、やはり残念だ。

(……寒い)

 視界が揺らぎ、思考すら億劫になってくる。多分、ここで目を閉じたら死ぬのだろう。それでもいい、と思わせるほどに出血は体力を奪っていた。
 けれども、死にたければ川の中で漂っていればよかったのだ。そこで無理を押して川岸まで泳いだのは、何の為なのか。

(生きて……)

 生きて帰って、それから。考えようとしたが、うまく纏められない。踵が水流に嬲られる感覚や、最早ぴくりとも動かない左腕や、傷口にいかほどの雑菌が入っただろうかとか、どうでもいいことばかりが名前の脳内で渦巻いては霧消していく。

(生きて帰って、それで――)

 そんな中でも悪あがきした意味を探し、そうして辿り着いたのは、

(――会いたいよ、トレス)

 己を殺しかけた、機械人形。
 どういう立場でも、もう一度会いたい。会うまで死ぬ訳にはいかないと、そう確信した瞬間、名前の意識は途切れた。

13.05.25
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