火を恐れるなかれ。そは汝の忠実なる僕である。




 狛枝くんの笑顔はいつもと変わらない。いつもと変わらないのに、私の額からは汗が止まらない。

「流石南国だ、暑いね。クーラーでもあればいいんだけど」

 自分はコートの袖を捲りもしないで、何気ない風にコテージの窓を開けた。ちょうど良く風が入って汗を冷やしたが、逆に今度は寒気がした。ただ、窓を閉めてとは言わない。汗も寒気も私の心に起因するものだったし、今私は呼吸だけでいっぱいいっぱいだったのだ。

「話を続けようか」

 位置を動かしたソファに座って本棚を背に、狛枝くんは精神科の先生のよう、一つ一つの動作に何かしらの意味を、今は私を落ち着ける意味を持たせてゆるりと動く。手を広げて、それから軽く指と指を組んで、ベッドに座る私の方に身を乗り出して、いつも通り優しい笑顔で話しかける。

「僕はね、苗字さんの――苗字さんの持つ希望の礎になりたいんだよ」

 それは、花村くんの裁判からこっちずっと、狛枝くんが繰り返し語っている事だった。俯いた前髪の間から狛枝くんの瞳を見る。古い鋼みたいな色の奥、ちかっと暗く何かが輝いた気がする。慌ててまた視線を己の膝に戻した。

「苗字さんは、この島から出たいんだよね」

 顎をちょっと引くと、狛枝くんはさらりと告げる。

「なら、苗字さんは誰かを殺さなきゃいけない。殺すしかない。当然もう分かっているとは思うけど」

 殺す、と言うフレーズのところで私が思わずびくついたのを見て、彼が苦笑した。

「うーん、殺すって言うのは厳しいのかな。苗字さん、とっても優しいしね」

 子どもに話すときに使う言葉を選ぶ。そんな風に狛枝くんは少し考えて、結局諦めたみたいだった。「だめだね、ボクなんかの貧弱な語彙じゃうまく言い換えられないや」。それはそうだ。狛枝くんの語彙云々の問題でなく、「殺す」なんて物騒な行為はどんな言葉で取り繕ったって結局物騒だ。

「でもまあ、ちょっとだけ我慢してボクの話を聞いて欲しいな。――で、正直な話、苗字さんは誰かを殺せる?」

 とんでもない問いだ。首を横に振ると、狛枝くんはそれも分かっていた、と言うかのように頷いた。

「だろうねえ。うーん……」

 考え込んでいる風を装ってはいるが、表情は相変わらず薄ら笑いなので、これはただのパフォーマンスなのだと思う。やがて上向いていた顔を元に戻し、ところで、と話を再開する。

「苗字さん、肉料理好き?」

 フライドチキンとか、ビーフシチューとか、トンカ……生姜焼きとかさ。
 トンカツにちょっと吐き気がしたけど、とりあえず頷いておいた。
 肉は好きだ。野菜より食べるので、お母さんが献立を工夫してくれていた事まで思い出してしまって、届かなくなってしまった思い出に涙が出そうになったけど、とりあえず留める。
 このまま、何でもない話に逸れてくれないかな。
 毎日いつのまにか用意されている食事が不思議とか、狛枝くんはあんまり量を食べられないとか、さっきと変わらず一方的に話されるだけだったけど、それでも殺す殺さないよりは随分平和な心持ちで頷く事が出来る。
 狛枝くん自体は食に興味が薄いようだったけど、その幸運とやらで口に入ってきた色々珍しい食材の話をしてくれて、それで少し楽しくなってきたころ。

「つまりさ、苗字さんは食事の延長線上の行為をするだけでいいんだよ」

 呑み込めずに首を傾げると、朗らかに両手を広げて解説してくれる。

「苗字さんが肉を食べるよね。苗字さんの口に入っているのは死んだ肉だけど、その豚とか鶏とか、羊とかも食べる? まあそういうのって、当然生きてたんだよね。それをさ、苗字さんが食べるからって殺しちゃった訳」

 唐突な理論に目を瞬かせる私にも狛枝くんは焦る事なく解説を続ける。

「あ、何となく言いたい事は分かるよ。苗字さんが食べる食べないに関わらず、毎日食肉用動物は屠殺されてるもんね。だから苗字さんだけの為ってわけじゃない、って反論は勿論あると思うんだけど、でも苗字さんを含む消費者の数に応じて供給は変動するでしょ? 苗字さんが肉を食べなきゃ、消費がちょっと減るから殺される肉もちょっと減るはずだよ。まあ、終里さんクラスでもない女の子一人の胃袋が市場に及ぼす影響なんてたかが知れてるけど、バタフライエフェクト……あ、違うかな? まあいいや。
とにかくちょっと乱暴かもしれないけど、ボクの考えとしては苗字さんの為にも彼らはスーパーに死んだ肉として並ぶって訳。だからさ、彼らの命を奪うスイッチって、苗字さんが押したと言ってもよくないかな? 苗字さんが生きる為に彼らを殺したって言い換えても、おかしくないよね?
そりゃ実際に手を下してるのは屠殺場の職員だけど、そんなのって「自分は手を突き出しただけで、実際に殺したのは包丁だ」なんてナンセンスな言い訳をする殺人鬼と同じだよね。結局今大事なのって、誰の意思で命を奪ってるかってことなんだから。ただちょっと、自覚してなかっただけだよね。それが普通だけど」

 立て板に水という言葉が相応しい勢いに、私は異論も同意も挟めない。絶対おかしいと思ってはいるのに、手近な反論のポイントは柔らかく狛枝くんが押さえてしまっている。結局僅かなうなり声を上げるに留まってしまう私だが、狛枝くんは気にも留めずに続けた。

「つまりね、一足飛びにはなっちゃうけど、ここでも同じ事をすればいいんだよ。初めてにしてはちょっとヘビーかもしれないけど、大丈夫。牛に比べれば体積はずっと小さいし、目を瞑ってしまえばすぐだよ。人間はそんなに頑丈じゃないからね。知性があることに戸惑うなら、コンビーフとか考えてみたらいいよ。馬とか、頭いいよね。あとはイルカもかな? これは食べた事ないかもしれないけど」

 いつの間にか狛枝くんは、私と並んでベッドに腰かけていた。寒くもないのに勝手に震える私の背を撫でてくれる。大丈夫? という問いにだけ、頷く事がやっと出来た。

「ね、この島は素敵だけど、やっぱり――帰りたいよね。ボクにはいないけど、苗字さんには大事な家族とか、いるんでしょ?」

 聞いて思い出したのは、第一の裁判だ。
 花村くんがお母さんの為に十神くんを殺したと聞いて、私は心の底から同情した。哀れむ、と言う意味ではなく、彼の気持ちが痛いほどわかったのだ。
 毎日早起きして家事をしてくれて、希望ヶ峰に入学が決まったときなんて一番に喜んでくれたお母さん。ちょっと怖いけど、家族の為に一生懸命毎日毎日働いてくれていたお父さん。
 私だって、帰れるなら今すぐ帰りたい。花村くんが言った様に、何だ二年経ってるなんて嘘じゃないって笑い飛ばしたい。それで自分の部屋で本を読んだり、携帯を弄ったりして、ご飯の時間よって呼ばれて、下らないテレビを観ながら、下らない話がしたい。
 どうにもならない焦燥感に涙が滲んだ私の頭を狛枝くんが慌てて撫でた。

「ごめんね、そんな風に泣かせるつもりはなかったんだけど……」

 本当に困った様に言うから、私はそもそもひどい話を振ったのは彼だと言う事も忘れて無理に少しだけ微笑んだ。大分ぎこちなかったけど、狛枝くんがほっとした顔をする。その後彼は真面目な顔つきになって、私の手を握った。

「ボクは、苗字さんの助けになりたいんだよ。苗字さんがここから出るって言う希望を叶える為の手助けをしたい」

 真摯に言ってはくれるが、その示す事はつまり、人殺しだ。彼は食事の延長線上だと言うが、到底割り切れはしない。
 この島に来て日は短いし、まだあんまり話した事がない人もいる。が、みんないい人だ。そんな彼らを、例えば日向くんを――殺す? 七海さんをソニアさんを左右田くんを田中くんを弐大くんを九頭龍くんを辺古山さんを終里さんを小泉さんを西園寺さんを罪木さんを澪田さんを?
 狛枝くんを?

「ボクを使ってよ」

 行き着いた思考を読んだ様に、狛枝くんは囁く。私の手を強く握って、熱っぽく、愛を囁く様に吹き込む。

「誰かを選ぶ事に抵抗があるなら、ボクを使えばいいんだよ。ボクは希望の礎になりたいんだ。苗字さんがここから出たいって希望の為に必死にその素晴らしい才能を、全てを使うところが見たいんだよ。希望の為ならボクは死んでもいいんだ。希望の為なら死ねるんだ。希望の為に喜んで死にたいんだ」

 その言葉は最早私に向かって話しているものではなかった。彼は私など見ていない。私の中の希望、どのような方向であれそれを誘い出そうと、物語の狼さながら言葉を尽くしている。
 分かっているのに、私は狛枝くんを否定して、手を振り払って逃げる事が出来ない。その純粋にどす黒い、輝く闇が私を、私の中の希望を絡めとって離してくれない。
 ――離してもらう必要があるの?
 狛枝くんは私を助けてくれる、と言ってくれている。大丈夫だと、命を投げ出してでも私をここから出す手伝いをしてくれる、と。あの頭の切れる彼が。
 学級裁判で私が勝てば、当然私以外は全員死ぬ。けれどもそれは、狛枝くんの言う通りに今までと同じ、私の自覚なしに私によって殺されていた肉と同じではないだろうか。
 モノクマの言う通りであればこれからも動機は与えられ続ける。そうしたら、私以外の誰かがきっと他者を殺すだろう。そして裁判が開かれて、そこで犯人当てに失敗したら? 私も、私に協力してくれると言ってくれている狛枝くんも死ぬのだ。
 そんなこと、許されるのか? 
 私にこんなに優しくしてくれる狛枝くんがむざむざと、何の意味もなくとばっちりで死ぬことが? 
 狛枝くんの希望を守るために、狛枝くんを殺すことは間違いなのだろうか?
 口を閉ざすしかなかった私だが、彼を窺う様に見る視線で心持ちが伝わったらしい。狛枝くんは手を握り直してにっこり、いつも通りに微笑んでくれる。

「良かった。分かってもらえないかと思ったけど、やっぱり苗字さんは聡明だよね」
「でもそんな……できる、わけ、ない……」

 狛枝くんを無駄に死なせたくはない、けれどもと私の最後の理性が、からからの舌を操って言葉を吐く。にも関わらず、私の瞳は熱っぽく潤んでいるのだ。浅ましく、何かを期待するかの様に。
 とんでもなく白々しく響いた形ばかりの言葉も、狛枝くんは優しく受け止めてくれた。

「大丈夫大丈夫、ボクなんかには大した事は出来ないけど手伝うよ。苗字さんの希望を輝かせる為に、ボクは何でも、してあげる」

 楽しそうに弾んだ声が私を救い上げて、大丈夫だと言ってくれる。私だけに、私を助ける為に。
 汗はすっかり引いていて、ただ身の内の不思議な熱だけが、握られた手に灯っていた。




 されど、されども。
 悪しき主人でもある事を、努々忘れぬよう。

13.04.14
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