「ふん…いい加減、楽士なんてやめて俺のところに来いよ」
「もっといい部屋頼めるようになったら、考えてあげるわ」

とある妓楼の一室で笑みを零しながらそう告げると、清雅の引き攣ったような顔が見えた。彼の俸禄が少なくはないことくらいは知っている。そしてわざわざ高い部屋を頼まなくても私に会うことはできるから、決して低くはないけれど高くもない部屋を選んでいるということも。次は高い部屋に呼んでやるから覚えてろ、とお酒を飲みながらふて腐れたように呟く彼にくすりと笑みを漏らしながら手中にある琵琶を一度掻き鳴らした。

「部屋に呼ぶのは妓女ではなくて、楽士だけ…さらに毎回お相手は私ひとり。ねぇ清雅、あなた楼閣で自分がなんて呼ばれてるか知ってるかしら?」
「…さぁな」
「『芙莅にほだされた美男子』、ですって。笑えるわよね」
「あながち間違っちゃいないんじゃないか?」
「……」

清雅は無言になった私を鼻で笑い、手に持っていた杯を置くと、皿に盛ってあった果物に手を伸ばした。その手は迷わず葡萄に伸びて、あろうことか彼は皮ごと口の中に放り込む。手が汚れるしめんどくさいとは言えどもなんとも豪快な食べ方だな、と琵琶の弦を指で弾いた。

「芙莅」
「ん、なに?」
「俺のところに来る気はないか」
「またその話?ないわよ、いまはね。自分の生活費くらい自分で稼ぐわ。楽士の仕事も楽しいし」

適当に、清雅が好きそうな曲を奏でながらそう答える。視線は琵琶に向けたまま告げたので、清雅の様子を伺うことはできなかった。いつもの応答。いつもの私と清雅。

清雅と私はいわゆる幼なじみというやつで、もともとは私の生家も清雅と同じくらい裕福な貴族だったのだ。けれど一族を皆殺しにされて、生き残った私たちは一夜にしてなにもかも失った。なにも残っていなかった。陸家と燈家、お互いの家の唯一の生き残りである、お互いを除いては。

それでも清雅の陸家は少しずつ、本当に少しずつではあるが立ち直っていったけれど、女の私にはそれだけのことはできなかった。自分が生きていくだけで精一杯。燈家は没落し、残ったのは貴族という重しを投げ捨てた、ひとりの貧乏な女だけ。もう、清雅の隣には立てなかった。

なのに、清雅はしつこく邸に来いだとか嫁になれだとか俺のものになれだとか、そういうことを言ってくる。妓楼で住み込みで楽士をしている私に会うために、わざわざ嫌いな楼閣にまで足を運んでお金を積んでくれるのだからそれを冗談だとはぐらかしはしないものの、やはり肯定の返事はできなかった。片や踏ん張って貴族で在り続ける若き陸家当主、片や貴族で在ることを投げ捨てた妓楼の楽士。天と地ほどの差がそこにはあった。

「いつも大嫌いな妓楼に来てくれてありがとう。私はすっごく嬉しいのよ、清雅に会えるのは」
「…俺は、妓楼に来たときだけじゃなくて、毎日芙莅に会いたい」
「そうね…会えたら、いいのにね」
「ならなんでそんな頑なに拒否すんだよ」

琵琶を掻き鳴らしながら、無言を貫いた。一緒にいることができるくらい私の位が高かったら、よかったのになぁ。けれどもうその高き地位には戻れないと分かっているから、どうすることもできなかった。没落したといえど私ももともとは貴族だ、譲れないものが、ある。

「…私は、清雅の踏み台にも、駒にもなれないわ。妓楼の楽士だもの」

清雅に聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう呟くと、清雅は溜息をついて「帰る」と部屋を出ていった。その背中に抱き着くことができたらと、琵琶を強く抱きしめながら、清雅の後ろ姿に強く唇を噛んだ。




宵闇に沈む



120930/