小さな室に鳴り響く、ガチャンという金属の音。慌てて後ろを振り返るものの時は既に遅く、扉に駆け寄って開けようとするものの予想通りそれが開くことはなかった。小さく揺れる扉に向かって思いっきり体当たりしたり蹴ったりしてみるものの、びくともしない。古びているといえども流石宮中の一角、作りは頑丈で早々と力ずくで開けることは諦めた。

「ガキじゃないんだからさぁ…!」

最後に思いっきりガンッと扉を蹴った。八つ当たりである。私の落ち度だった。小さな物置、人通りが少ない場所に位置するこの室に用心なんてさらさらしてなかったのだ。まさか、こんな幼稚な嫌がらせに遭うなど、誰が想像しただろうか。

今はまだ火が灯っているので動けるものの、蝋や油が切れたらもう明かりはない。窓がなく、通気孔は小さなものが天井にひとつだけ。逃げ道は、やはり目の前の扉しかなかった。

「あーもー…吏部試を受けさせてたまるかってか…」

きっと、犯人の目当てはそれなのだ。明日行われる吏部試に参加させないのが、目的。吏部試に合格できなければ部署配属すらさせてもらえない。古びた扉にもたれ掛かりながらずるずると腰を落とした。誰か、通って、お願いだから。指を組んで縋るように額に押し付けた。お願い、お願いかみさま、私はここで立ち止まるわけにはいかないの。

ぐっと唇を噛み締めた。私の嫌がらせは、去年の紅秀麗へのものと比べたら大分マシなのだと吏部のとある方に聞いた。彼女は、たったひとりでこれ以上のものを乗り切ったという。彼女にできて私にできないはずはないと強気に思うものの、やはり、私は彼女ほど強くは在れないようだった。こんなことまでされて官吏になりたいのか、こんな辛い思いをしてまで官吏で在りたいのか。私には、常に揺らぐ弱い心しかない。

紅秀麗が羨ましかった。確実に前に進んでいる彼女が羨ましかった。見えないだけで、知らないだけで、きっと彼女も辛い思いをたくさんしてきただろう。それは分かる。分かってはいるのだ。けれど彼女は、私にはないものをたくさん持っていた。切磋琢磨した同期や、支えてくれた先輩官吏、見守ってくれる親運。私にはないものだ。

「ふ…、…醜いね」

ただの妬みだ。今頃茶州にいるという、顔も見たことがない一年先輩の彼女を思う。私が会試に合格して宮中に顔を出しはじめた頃、彼女の同期だという方から短い文を受け取った。知らない方から受け取った文を怪しんで開けば、そこには2人目の女人官吏誕生への祝辞と、激励の言葉。やわらかな筆跡は男のものとは異なり、じんと胸に染みたのを覚えている。彼女はとても良い人なのだと、会わずとも分かった。

泣いてたまるか。これくらいの嫌がらせなんて、なんてことない。そう自分に言い聞かせるように、目をきつくつむった。



◇◇



急に後ろに身体か傾いで、それで眼を開けた。ぼんやりとした頭で、いつの間にか寝てしまっていたのだと思う。そのまま後ろに倒れて背中を強打し、そしてそこで私は誰が扉を開けてくれたということに気付いた。視界に映る空は、とうに日が暮れたことを告げている。半日以上閉じ込められていたわけか。背中を床に寝かせたままふと視線を真上にやると、そこには誰かがいた。暗闇なので顔は分からないが、この扉を開けてくれた人なのだろう。

「おい」
「…はい」
「起きろ。踏むぞ」
「お、起きます」

慌てて上半身を起こすと、その人は手を差し延べてくれた。どうやら紳士的な方らしい。ありがたくその手を借りて立ち上がると、少し皺になった官服を軽く伸ばした。

視線を感じて正面の人を見遣ると、月明かりでぼんやりと顔が見える。夜目は利くほうなのだが、如何せん先程まで眠っていたので頭が上手く働かないのだ。数秒見つめ合う。知らない顔だった。

「どなたか存じませんが、開けてくれてありがとうございました。感謝致します」
「…外から鍵が掛かっていたが。嫌がらせか?」
「…まぁ」
「寝てたのか?」
「……まぁ」
「図太いな」

くくっ、と喉で笑う声が聞こえる。うるさいやい。唇を尖らせて視線を泳がせていると、ひたりと目の前の人物の右手が私の左頬に急に触れた。あまりに冷たい手にびゃっと身をすくませると、再び喉で笑う声が聞こえる。何なんだ。

「お前が結稀世か」
「は、い…」
「ふん。紅秀麗よりはマシか」
「え?あ、ちょっ…」

言うだけ言うとさっさと踵を返したその人は、私がおたおたと戸惑っている間に夜の廊下に姿を消した。どうして私の名前を知っているのか、なにが紅秀麗よりマシなのか、そもそも貴方は誰なのか。疑問だけが頭に残り、ぐるぐるといろんな考えが脳裏を駆け巡った。
けれどどの考えにしても決定打はなく、腑に落ちないままくるりと室を振り返ったところで、床に置かれたままの燭台に気付いた。呆気に取られてそれを見つめるまま、数十秒。たぶん、いやきっと先程の人物のものだ。忘れたわけでは、ないのだと思う。恐らく故意に置いてかれたのだろう燭台をそっと手に取り、この燭台の持ち主が消えていった方向を振り返った。




真夜中にされた



120822/