「にん…?」 「人魚。上半身はヒトで、下半身は魚。人間が作り出した想像上の生き物ね」 「はぁ?気持ち悪いだろ、そんなの」 「…まぁ、これにはいろいろ訳がありまして」
そして私は清雅に人魚姫の物語をかい摘まんで話し、人魚姫が人々から愛される理由を簡単に説明した。王子様が好きなのに結ばれず、しかも最後には泡となってしまう人魚姫。哀れな死に様は幼い子供達の同情心をかきたて、はかなくてかわいそうな人魚姫像を創りあげる。
「…というわけ。どう?」 「どうもこうも、完全な創り話だ。夢物語は夢だけでしかない、それだけで人魚というものが美化されるとはな」 「…んな身も蓋も無いこと言いなさんな」
はっ、と清雅は鼻で笑いながら手に持っていた筆の先で私の額をこつんと小突いた。清雅の向かい側に座り彼がなにかを書き付けている様子をじっと見ていた私は、眉を寄せて嫌悪感を明らかに出しながらその筆を払う。
「お前がいた世界は、よっぽど平和らしいな」 「…ま、平和っちゃ平和だったけど」 「けど?なんだよ」
先を促されるがその先は言えなかった。適当な笑みを浮かべてやりすごすと、清雅は不機嫌そうな顔をする。私はそれに苦笑を漏らしながら清雅の少し乱れた前髪を整えてやった。瞬間、びくりと震えた彼にかわいいと思ってしまったことは内緒だ。
「平和は素敵だよ。争いがない世の中は素晴らしい。ただ、それに溺れると、見失う」 「何を」 「…まぁ、いつか分かるかもしれないんだから、そう急いで答えを探さなくてもいいじゃん。いつか平和な彩雲国になって、それが続いたら、清雅も気付くかもしれないね」 「おい、はぐらかすな」 「はぐらかしてないよー」
ぴょん、と椅子から下りてステップを踏んだ。げんなりしたようにそれを見てくる清雅ににこりと笑みを浮かべる。
願いすぎて、自ら死へと向かった人魚姫。有り余る欲望は、滅びへと運命を導いた。
「…あんま欲張っちゃだめだよ、清雅」 「はぁ?なに言ってんだお前」
なーんでも、と呟いて清雅の寝台に飛び込んだ。いつからだろうか、私が清雅の部屋にいても怒られなくなったのは。私が清雅の寝台で眠りこけても怒られなくなったのは。正確な時期を、もう私は覚えていない。そういや清雅の家に転がりこんでどれくらいの季節が巡ったのだろうか。久しぶりに元の世界の話をしたが、一体いつまで私は元の世界のことを覚えているのだろうか。未来は未知数で、何も分からない。
家主のふわふわな毛布に包まっていると、清雅も寝台に潜り込んできた。もうお仕事はいいのと聞くと、急ぎじゃねえよと返ってくる。そっか、という意味を込めて清雅の髪を梳いてやると、お疲れらしい清雅はとろとろと瞼をおろす。
「…稀世も、寝ろ」 「うん。おやすみ、清雅」
その挨拶を告げてから私も瞼をおろした。また明日、変わらない日々があること、それくらいの小さな欲望なら、願ってもいいよね。
願いが溶けた海で踊るの
121224/人魚の話から飛躍…
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