噂 と 真実
01
「あー、かわいいねぇ、はるちゃん」
カラフルな光を背景に狭い車内で俺に覆いかぶさった尋之さんから、酒とタバコの混じった香りがする。
「俺も仕事だったわけだし、責める立場じゃないのはわかってるんだけどね?クリスマス予定なし男会なんて、はるちゃんは俺がいるのに行っちゃうんだなぁなんて思ったりしたけど。まぁ、俺の家で一人で待ってろなんて言えないし、行っておいでって言ったけど、まさか流れでキャバクラ行くなんて思わなかったし、お店の子から連絡きてびっくりしちゃったなぁ」
いつもより早口で、そう捲し立てた尋之さんが噛み付く様にキスをしてきた。
「まっ、う、んっ」
「んー?」
少し苦い味がするのは酒なのかタバコなのか。口の端から伝った唾液が俺の顔を両手で抱える手と頬の間に溜まっていく。
息苦しさから尋之さんのシャツをグッと掴むと何故かキスが激しくなった。
「ひろ、ゆ、さっ」
「ん、なぁに?」
言葉を紡ぐのに必死な俺に対し、しっかり返事をしてくる尋之さんに少しムッとする。
まぁ、本気で怒っている様には見えないから、少し酔っていて気分が高揚しているだけだろうと、俺は抵抗するのをやめて尋之さんの首にそっと腕を回した。
ことの始まりは3時間ほど前、定時である18時を少し過ぎた会社で起こった。
「あぁ〜!!クリスマスだってのに残業〜!」
突然、共に作業をしていた後輩の矢島が椅子に背を預け、天を仰ぎながらそう言った。
いつもであれば山下先輩が茶化して合いの手を打つが、今日は『サンタさん』にならなければならないと足速に帰っていったので少し間が空いてしまったが返事をする。
「誰か待たせてるの?」
伸びをして肩をほぐしながらそう聞くと、矢野は二席離れたデスクから仰向けに身を乗り出してこちらを恨めしそうに見てきた。
「先輩と違ってぇ、いないんですよ〜彼女」
「あ・・・うん、なんかごめんね」
「てか!!先輩はいいんですか?待たせてないんですか?」
「ん?あぁ、今日は仕事が遅くまであるって言ってたから、まぁ、仕事終わったらあっちの家に行くけど」
「ひゃ〜、なんかやっぱアダルトだ」
飲み会で恋人がいると打ち明けてから矢島の口癖になっている『アダルト』という言葉に思わず笑ってしまう。どうやら彼は『大人な恋愛』をそう呼んでいるらしい。だとすれば、俺と尋之さんの関係は別に当てはまらない気がする。
お互い嫉妬もするし、尋之さんに至ってはそれなりに束縛もしてくる。余裕があって、お互いに干渉しすぎない関係が大人な恋愛だというのならやっぱり俺たちとはかけ離れていた。
それでも詳細を話す気がない俺は、毎回曖昧に笑って返事を返すばかりだった。
「あ!じゃあ、飲みに行けるってことですか!?」
気を抜くといつの間にか尋之さんのことばかりを考えてしまう俺は、矢島の嬉しそうな声でハッとする。
飲みに?
一瞬断ろうと思ったが考え直す。まぁ、どうせまだ尋之さんの仕事は終わらないだろうし。
時間はまだ18時半前で、尋之さんが最低でも21時まではかかると申し訳なさそうに言っていたのを思い出し、それくらいの時間までならと矢島に返事をすると、キャスター付きの椅子が後ろの席にバンっと当たるほど勢いよく立ち上がった矢島がガッツポーズをした。
「じゃあ!別部署の同期とかも呼んでいいですか!?」
キラキラとした目で叫ぶ様に聞いてきた矢島が可愛くて笑顔で頷くと、立ったままPCに何かを強く打ち込んで、カバンからスマホを取り出し、動きが追えないほど早く指を動かしていた。
この様子だと仕事の続きをする気はなさそうだ。
見えない尻尾がブンブンと振られている様に思えるほど嬉しそうな矢島に合わせて、尋之さんがいないからと前倒しで作業していた今日中に終わらせる必要はないデータを保存してPCの電源を落とした。
カバンには必要な書類だけを入れ、尋之さんが買ってくれたグレーのチェスターコートを着て、首にマフラーを巻く。
矢島も準備は終えただろうかと振り返ると、席にはもう誰もおらず、オフィスの入り口へ目をやればもうすでに準備を終えた矢島が立っていた。
「あはは、早いね」
「そりゃあもちろん!!だってようやく【あの】晴海先輩を自慢できるわけですから!」
「えぇ?なにそれ」
確か、矢島は今年25歳だったはず。女子高生並みのテンションで話し続ける矢島はある意味すごいと思う。
ビルの下まで降りると、すでに声をかけたらしい2人が集まっていた。
どちらも会うのは初めてで、会釈をすると一人は同じ様に返してきて、もう一人は何故か敬礼ポーズをとる。それだけで、ああ、矢島の同僚はこっちかと分かってしまった。どうやら似たもの同士らしい。
「あ、あの!僕、開発部の芳田淳人(よしだ あつと)です!」
「同部署の横沢です」
芳田くんは初々しく頬を染めてこちらを見上げながら、横沢さんはにっこりと笑いながら言った。
「初めまして、晴海です」
「芳田!どうだ!生晴海先輩は!」
「まじもう神!矢島も神!」
「だろ!」
とにかくテンションが高い二人に横沢さんと目を合わせて苦笑いを交わす。
矢島と芳田くんと3人じゃなくってよかったと内心胸を撫で下ろしながら、いつまでも話し続けてしまいそうな二人を促してよく飲みに行く店へと足を運んだ。
店に着き、何故か俺の隣の席を巡るじゃんけんをし始めた矢島と芳田くんに横沢さんが助け舟を出して俺の隣にスッと座ってくれた。
「ああ!ひどい!横沢さん!」
「早い者勝ちだよ、うん」
「じゃあ俺正面〜」
「え!だめだめ!矢島はいつも一緒にいるんだから譲れよ!」
またしても騒ぎ続けそうだったので、メニュー表を開いて横沢さんと先に頼むものを決める。
「横沢さん、なに飲みます?」
「んー、ハイボールにしようかなぁ」
「じゃあ俺も同じのにします。・・・二人は?なに飲むの?」
流れでいまだに立っていた二人へ聞くと、ピタッと動きを止めてこちらへ目を向ける。
その隙を突いて手前に立っていた芳田くんの腕を引き、正面に座らせると矢島がムスッとした顔で横沢さんの向かいに座った。
それから、各々好きなものを頼み、1時間ほど経った頃には矢島と芳田くんは顔が真っ赤になっていた。
「お酒、強いんですねぇ!」
ニコニコと笑いっぱなしの芳田くんが初めて矢島と飲んだ時と同じことを言ってきたので思わず笑うと、まるでアイドルでも見たかのように矢島と芳田くんが黄色い声を上げた。
もうこの1時間ずっとこの対応をされていたので、いい加減に慣れてしまった俺はスルーをして、結構飲んでいるはずなのに顔色の変わらない横沢さんに声をかける。
「横沢さんも強いんですね」
「えぇ、基本酔わないです。だからいつも芳田のお守りをしてます」
「あー、なるほど」
「矢島くんもなかなか大変そうですね」
「んー、まぁ、でもいい子ですよ」
横沢さんは表情に変化がない代わりに声色の使い分けが面白かった。少しゆったりめで聞き取りやすい話し方が、少し酔いが回った頭に心地がいい。
向かいの二人はテンションが高く、こちらはまったりと話していたが、お代わりの酒が届いたところで矢島が身を乗り出して口を開いた。
「今日は、クリスマス予定なし男会ですが、皆さんは彼女とかどうです?あ、晴海先輩はアダルトなので大丈夫です」
「アダルト!?なにそれ詳しく!!」
いい加減、アダルトって表現はやめてくれないかなぁ。
苦笑いを浮かべると、なぜか横沢さんが勢いよくこちらを向いた。隣に座っていたため、思った以上に至近距離で見つめられてしまい、たじろぐ。
「な、なんでしょう?」
「晴海さんは、経験豊富でらっしゃるのでしょうか」
「・・・え?」
予想外の言葉に、ポカンと口を開けて返事に困っていると、なぜか矢島が自慢げに口を開いた。
「我が先輩である晴海先輩は、美人で仕事ができる人と大人な恋愛を楽しんでおられるのです!どうだ!」
「ええ!!それでアダルトって言ってたの!?かっこいい!」
もう芳田くんの合いの手を気にする暇もない。
矢島の言葉を聞いた横沢さんが、突然神に祈るかのようなポーズをとって頭を下げた。
「晴海さんっ!どうか、どうか女性と緊張せずに話せる術をご教授いただきたい!」
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