86

 六月、爆豪くんは退院し、雄英の寮に戻った。
 一時は自宅に戻ることも視野に入れていた爆豪くんだったけれど、最終的には通学の便の観点から、学校の寮に戻ることを選んだ。自宅に戻った場合、毎日片道四十分も地下鉄に揺られることを考えれば、その判断も妥当といえる。
 爆豪くんの決断について、光己さんは「クラスのみんなの迷惑じゃなきゃいいけど」と案じる様子を見せていた。それでも、爆豪くんが左手だけでの生活動作をものすごい熱意と意地と勢いで習得したことで、結局は本人の意向が優先された。
 ともあれ、これでひとつ、区切りがついたのはたしかだ。
 現在、私の通う夢咲女子高校では、大戦後の特別体制でカリキュラムが進んでいる。具体的には一部の授業を再建ボランティアにあてたり、足りない授業数をオンライン授業や補習で補うなど。
 自宅が被災地にあり、通学が難しい生徒も多い。特別体制はそうした生徒たちへの配慮でもあり、また雄英にほど近い立地から、両校で連携をとって地域支援をやっていこうという、新たな試みでもあった。
 大戦直後の復興ボランティアは原則全員参加だったけれど、六月からは有志の生徒を集い、ボランティアとして動員する形式に変更された。
 そのときに応じて参加する有志の人数はまちまち。ただし今日のボランティアには、普段ではなかなか類を見ないほど、夢咲女子の生徒が数多く参加していた。
 理由は明白。
 今日は雄英と合同での復興作業だからだ。
 本日、夢咲女子の有志の一、二年生、それに雄英の一、二年生のなかから複数名が作業にあたるのは、両校からそれほど離れていない住宅街。このあたりは住民がみな雄英に避難しており、人的な被害はほとんど出ていないものの、建物の損壊具合はかなりひどい。もとの住民たちは現在も雄英内の仮設住宅で生活を継続しており、一日も早い復旧が望まれている。
 作業はヒーロー科の学生を中心に進められる。夢咲女子の生徒はおもに軽作業と清掃、炊き出しを担う。私たちは個性を使用できない一般人である以上、当然の分担といえる。
 学校指定のジャージを着用のうえ、こまごまとした瓦礫を掃き集めていると、クラスの友人たちがゴミ袋を片手に軽い足取りでこちらへやってきた。
「バクゴーくんすごいね、もう退院して学校に復帰してるんだ」
「うん、頑張ってたよ。安静も、リハビリも」
 答えながら、私は手元から視線を上げた。少し離れたところでは、爆豪くんが指示されたらしき作業をしている。まだ本調子ではないためか、基本的には爆豪くんも私たちと同じような、軽めの作業に従事している。
 とはいえ、本来ならばまだ療養していてもいいくらいのケガだ。それなのに、爆豪くんはすでにこうして、復興作業に参加している。それだけでも、褒められ認められて当然といえる。
「あんな大きな戦いで活躍して大けがもしてるのに、すごいねぇ」
 爆豪くんに視線を向けて、友人が言う。
 大戦での活躍が配信されていたことにより、友人たちのなかでの爆豪くんの株は最大限まで持ち上がっている。注目もひとしおというものだ。私も爆豪くんを視線で追いながら、何度も深く頷いた。
「ね、本当すごいよね」
「右腕だっけ? 動かくなってるの」
「うん。といってもそれも経過次第らしいけどね。爆豪くんはじれったそうにしてるけど、今後のことを考えると、今は無茶せずゆっくりやっていくしかないみたい」
 爆豪くんが転院してから退院するまでに、何度かリハビリの見学をさせてもらう機会があった。退院後も、予定が合えばリハビリを見学している。
 見学したところで、私に何ができるというわけではない。それでも頑張っている爆豪くんをそばで見られるのは、遠いところにいることを求められるよりもずっといい。
「退院したっていっても、リハビリ通院はあるんだもんねぇ。大変だ」
「でも、ちゃんと病院で診てもらいながらリハビリする方が、やっぱり治りも早いわけだから。爆豪くんはプロになる気満々だし」
 腕はもちろん心臓に負担をかけないためにも、リハビリの内容はまだそれほど負荷の強いものではない。無理のない範囲で少しずつ、負荷の増やしてはいるそうだけれど、それはあくまで院内での話だ。自主トレをやりすぎてしまわないようにと、医師からは強く注意されている。
 それがいっそう爆豪くんが焦らせているのも分かる。それでも、無理をしすぎないようにという指示を律儀に守っている爆豪くんの様子を見ていると、見守るしかできない私がうずうずしている場合ではないとも思う。
 もっとどっしりと構えられたらいいのに。そう思いつつ、実行するのはなかなか難しい。
「名前ちゃんもリハビリ付き合ってるんでしょ?」
 問われ、私は頬をかいた。
「いや、付き合ってるとかそんな大層なことは……。たまについていって、ちょっと応援してるだけというか」
 ごにょごにょと言うけれど、友人はまったく聞く耳を持たない。
「それ。それがもうさ、愛じゃん。愛なんじゃん」
「いや、本当に全然、まじで応援してるだけだから……」
 爆豪くんに聞かれたら「役に立ってねえのにでけえ顔してんじゃねえ」くらい言われそうだ。どうかこちらの声が、爆豪くんには聞こえていませんようにと、心の底から祈る。
 と、友人がふいに私の肩をつんつんとつつく。何事かと思ったら、友人は控えめに爆豪くんを指さし、声を潜めた。
「バクゴーくん、さっきからこっち見てない?」
「え、本当?」
 言われて見てみると、たしかに爆豪くんがこちらを見ている。見ているというか、睨みつけている。
 もしかして私たちの雑談が聞こえていたのだろうか。私の背中に冷たい汗が伝った。
 そうこうしているうちに、視線の先の爆豪くんがつかつかとこちらに寄ってきた。
「ひえっ」
 及び腰になる私の肩を、友人ががしりとつかむ。同時に友人は、素早く私の背後にまわった。ていよく友人の盾にされ、私は逃げたくても逃げられない。
 やがて爆豪くんは私の目の前までやってくると、もの言いたげな顔でじろりと私を見下ろした。まさかこんな公の場所でいきなり恫喝……は、さすがにしないと思うけれど。しかし雰囲気だけならふつうに恫喝であってもおかしくない、そんな剣呑さがあった。
「ど、どうしたの?」
「……別に」
 爆豪くんの答えはそっけない。わざわざこっちまで歩いてきておいて、別にということはないだろうに。爆豪くんにかぎってさぼりということはないだろうし、そもそも人目がある場所で、堂々と私に話しかけてくるのも彼らしくない。
 なんだろうか。くっちゃべってねえで働けよ、と言いに来たとか。一応話しながらも手は動かし続けていたのだけれど。あるいは私個人への用件ではないとか。であれば、
「……おにぎりなら向こうにあるよ」
「チッ、腹減ってんじゃねンだよ」
 予想は外れ、舌打ちまでされた。どうやら空腹だったわけではないらしい。
 それでは一体どういう用件だろうかと、私は爆豪くんのことを見上げる。
 爆豪くんはしばらく、物も言わずに私のことを見下ろしていた。爆豪くんに黙られてしまうと、私はついついたじたじになってしまう。普段はうるさい爆豪くんのほうにチューニングしているので、たまにこうして違う波長の爆豪くんを出されると、どうしたってまごついてしまうのだ。
 背後に友人の視線を感じながら、私は爆豪くんの言葉を待つ。
 しばらくして、爆豪くんは舌打ちをひとつ打ったあと、ようやく口を開いた。
「来月のどっかの週末で実家帰る」
「ん? あ、そうなんだ」
 唐突で思いがけない話の流れではあったけれど、ひとまず私はうなずいた。
「それって私も予定を空けておいた方がいいやつ?」
 爆豪くんも浅くうなずく。
「決まったら、また連絡する」
「そうしてください。ていうか今週の金曜ってリハビリあるんだっけ」
「ある」
「また一緒に行ってもいい?」
「好きにしろ。邪魔したら追い出す」
「しないよ、応援応援」
「てめえのクソ適当な応援聞くと逆に萎えるわ」
 伝達事項をすべて伝えると、爆豪くんはくるりと背を向け、もとの自分の持ち場へと帰っていった。去っていくその背中を、私はぼんやりと見つめる。
 左腕だけで作業を行う爆豪くんを見るのは、やはりまだ少し胸が痛む。けれど、ああして爆豪くん本人が普通にしているのだから、私が必要以上に思いつめることもないのだろう。爆豪くんは爆豪くんで、ちゃんと考えて先に進もうとしている。
 爆豪くんが去っていくと、友人が大きく息を吐きだした。どうやら爆豪くんがいる間は、息をつめて気配を消していたようだ。
「バクゴーくん相変わらず迫力があるっていうか、雰囲気あるっていうか……。やっぱりそばにいると緊張する」
 ほっと気の抜けた声で、友人がつぶやいた。
「まあ、そうだね。最近だいぶ、まるくなってきてはいるけども」
「あれでまるくって。でもたしかに、付き合いだしたときは『雄英のヤンキー』扱いだったもんね」
「そこは今も変わんないけどね」
 私は苦笑する。少しくらいまるくなったところで、爆豪くんのヤンキー性はそうそう損なわれるものではない。
 と、そんな話をしていると、ふいに視線を感じる。またぞろ爆豪くんかと思いきや、今度の視線の発信元は別のところにあった。
 友人も気が付いたらしい。声をひそめて、私に耳打ちする。
「雄英の一年の女子、名前ちゃんのこと見てるよー」
「うん、みたいだね……」
 私はすぐに彼女たちから視線をそらし、なんともいえない気分で返事をした。
 雄英の一年生たちはさぼることもなく、一生懸命手を動かして作業をしている。それでも時々、こちらの様子をうかがっているのか、ちらちらと視線を飛ばしてきていた。
 おおかた、憧れの先輩であるところの爆豪くんの彼女がどんな人間なのか、この機会にちょっと見てやろうということなのだろう。
 爆豪くんに彼女がいることを知っていれば、今ので私がその彼女だとあたりがついただろう。彼女がいることを知らなかったとしても、さっきの私と爆豪くんのやりとりを見れば、そこに普通以上の親しさがあると考えるのが自然だ。彼女たちが私を気にするのも、当然といえば当然だといえる。
 こういう視線には慣れている。多少種類は違えども、私は中学時代から何度となく「どうしてあいつが爆豪と」という目を向けられてきている。
「名前ちゃん動じないねぇ」
「まあ、動じたところで」
「ていうかさっきのバクゴーくんさ、もしかしたら見せつけにきたんじゃない? こいつが俺の女だぞーっていう」
 唐突に突拍子もないことを言い出す友人を、私は笑って否定した。
「えぇ? いやいや、そんなまさか。爆豪くんってそういうタイプじゃないよ」
「そうかなぁ? 結構まわりの目は気にしてそうな気がするけど」
 友人は首をひねるけれど、爆豪くんがそういうタイプでないことは私が一番分かっている。
 爆豪くんは周りの目などまったく気にしない。もしも少しでもそういうことを気にするようなら、そもそもあそこまで高圧的な物言いはしないだろう。中学時代だって内申点を気にすることはあっても、教師からの心証そのものを気にしてはいなかった。
「爆豪くんが気にしてるとしたら、あれかな。自分が周りからどう見られてるかっていうより、私が周りからどう見られてるか」
「そうなの?」
「まあ、付き合ってるわけだし。私の評価が爆豪くんの評価にもつながるってことも、なくはないでしょ」
 私がそう言うと、友人はあまり納得をしていないような顔をして「そんなもんかなぁ」と不服そうにこぼした。




- ナノ -