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ミルコはじろじろと私と自販機を交互に見る。そしてふいに、私の背後の自販機を指さした。
「で、大事なもんってのは、その下にあんのか?」
「わかんないです、今から確認しようとしてて」
「ふーん。じゃあちょっとそこ、どいとけ」
言われるまま、私は少し横にずれる。私が立っていたところに、ミルコが大股で歩いてきた。と、次の瞬間、ミルコが自販機に抱きつくように腕を回し、気合の入った調子で「ふん!」と一声発する。直後、自販機がその場で数十センチ持ち上がった。
「うわっ、すごっ」
唐突な力業に、普通にびっくりしてしまった。すごい、自販機って持ち上げることができるんだ。もちろんミルコだからこそできる芸当だとは思うけれど、そもそも自販機を持ち上げようなんて思ったことがなかったので、素直に感動した。
自販機の後ろにわだかまっていたコードが伸び、ほこりが舞う。「おら、さっさと見ろ」と言われ、私は急いで自販機の下を懐中電灯で照らした。
懐中電灯の照らす光の円のなかに、にぶい金色の物体がひとつ。
「あ、あった! ミルコ、ありました!」
私はわぁっと声をあげ、素早くそれを拾い上げた。間違いなく、爆豪くんからもらった、あのイヤーカフだ。
「よかったぁ……」
「大事なもん失くしてんじゃねえ。気をつけろ」
「はい、ありがとうございます」
話しているあいだにも、ミルコが自販機を元あった場所に置きなおしている。私は何度もミルコに頭を下げながら、見つけたイヤーカフを大事にポケットにしまいこんだ。ポケットのなかにはすでに、エンデヴァーのキーホルダーが入っている。今度こそ、どちらも落とさないようにしなければ。
それにしても、まさか今ここにあのミルコが現れるなんて。イヤーカフが見つかったことで、今更のようにミルコの登場に対する驚きがぶり返してくる。
ヒーローの数が激減しているこのタイミングで、まさかこの国のトップレベルのヒーローとの対面が果たされるとは思わなかった。今までの人生、困ったことは何度もあったけれど、こんなふうに抜群のタイミングでヒーローが現れて救けてくれたことなど一度もない。正真正銘、これがはじめての経験だ。
これが本物のヒーローってことなのか。柄にもなく、そんな夢見がちなことを考えてしまう。なるほど、こんな鮮烈な経験をしてしまったら、そりゃあみんなヒーローのことが大好きになってしまうだろう。そう思わされてしまうくらい、はじめて生で見るミルコの存在は鮮やかで、強烈そのものだった。
そしてそんなことを思うのと同時に、否応なしに目に入るミルコの固く冷たそうな左手、右足に、どうしたって意識を吸い寄せられてしまう。
痛々しさは感じない。ただ、やはり見た目のインパクトの大きさは凄まじいものがある。
ミルコのケガはニュースで見て知っていた。先の連合との戦いのさい、ミルコは片手片足を失っている。右耳も、中ほどから先がちぎれてなくなっていた。
「んー、なんだおまえ。私のファンか? じろじろ見やがって」
「す、すみません」
言われて、私はさっと目をそらす。自分でも無意識のうちに、ミルコの義肢にじろじろと不躾な視線を送ってしまっていたらしい。
失礼な態度をとってしまったにもかかわらず、ミルコはこれといって気にした様子も見せなかった。ただ、いきなりばしんと私の肩を叩いて、彼女は言った。
「女子がひとりでふらふらしてっとあぶねえぞ。送ってってやっから、避難所戻っとけ」
「あの、そもそもミルコは、どうしてここに」
「リハビリがてら、ザコ探して蹴っ飛ばしてんだよ。実戦で調整しとかなきゃ、いざってとき意味ねえしな」
「リハビリ……」
「おかげでだいぶ出遅れちまったぜ」
そう言って、ミルコはさっさと歩き始める。大きな兎足のデザインの左足と、ばねのきいたアスリート用のような義足の右足が、交互に前に出てはアスファルトの地面を踏みしめる。
人間本来の脚の形状とはかけ離れた、機能を追求しつくした義足の美しい曲線を見ているうち、しだいに私のなかにむらむらと、興味の欲がわきあがってきた。
セントラル病院でイレイザー・ヘッドと話したときにも感じた、まとまりなくも抑えがたい欲求。あのときと同じ、けれどわずかに濃度を増した感情に突き動かされ、私は勢い込んでミルコに声を掛けた。
「あのっ」
「あん?」
歩く足を止めず、ミルコは私を振り返る。小走りになって、私はミルコの隣に並んだ。
見上げなければならないほどの身長差は、私とミルコのあいだには存在しない。もちろん体格は比べるべくもないけれど、それでも、少なくとも私とそれほど変わらない身長しかなくても、ミルコはトップレベルのヒーローにまで上り詰めていったのだ。
そんなミルコの顔を私はまっすぐ見つめ、そして尋ねた。
「ミルコはどうして、あんな大けがをしてまで戦って、そして今でもそうして、ヒーローを続けているんですか?」
「ハァ? んだそりゃ、どういう質問だァ?」
心底意味不明、という顔でミルコが首を傾げた。今の質問で意図が伝わらなかったのだろうか、と不安になるも、今以上にシンプルな問いもそうそうない。これ以上言葉をそぎ落とすと、伝えたいニュアンスまで一緒に落としてしまうような気がした。
どうして、あなたはヒーローをしているのか。
自分の身を文字通り犠牲にして、手足をもがれてなお、どうしてあなたはヒーローをやめないのか。
それは私にとって、この上なく真剣で、かつ切実な問いかけだった。
処置着姿でベッドに横たわる爆豪くんの姿は、未だ私の脳裏にまざまざと焼きついてしまっている。爆豪くんもまたミルコと同じように、あれだけ傷ついてもなお、戦おうとするのをやめない。
一体みんな、何に突き動かされているのだろう。分かるようで、分からない。自分の身よりも大事なものなんて、私にはそうたくさん思いつかない。こうして爆豪くんの恋人らしい振る舞いを試行錯誤している今ですら、それはただの真似事で、自分本来の感覚や思考とは程遠いものでしかない。
もしもミルコがその答えを知っているのなら、私にそれを教えてほしい。この国のヒーロー界のトップをひた走る彼女なら、きっと答えを持っているだろう。私はそう信じていた。
けれどミルコは私の問いに「意味わかんねえなぁ」とぼやき、ざっくり切られた後ろ髪の上から、首の後ろをがりがりかいた。そして、
「んなもん、できるからやってるに決まってんだろ」
ぱっきりと音が鳴りそうなくらい、端的にそう言い切った。
「できるから。で、私にはそのための足があるから。だから、やるんだよ」
「でも……」
「なんだ、こいつらがそんな気になんのかよ」
私の視線が下がったことに気付いたのか、ミルコは足をとめる。右の膝を伸ばし、膝の接続部から先の義足部分を、前蹴りを繰り出すような姿勢で持ち上げた。
ミルコの生来のものである左足と比べ、細くしなやかで無駄がそがれたフォルム。無骨なはずのそれは、月の光を浴びて鈍く光を放って見える。
「おまえ、私のファンなら私の個性は知ってんな?」
「兎、ですよね」
ファンじゃなくても知っているだろう。ミルコのビジュアルはあまりにも目を引くし、活躍ぶりも相応に派手だ。ミルコは足をふたたび地につけ、頷いた。
「そう。そしてこの機械やらがごみごみしてんのは、私専用の義肢と義足だ。この間のバトルのあと、サポート会社が短期間で仕上げて持ってきた。私の兎の個性のパフォーマンスを最大限に引き出すための機能であり、道具だ。なんなら場合によっちゃ、もとの私の肉体より勝手がいい部分まである」
まったく屈託ない口調で言うミルコは、そこでにぃっと口角を上げて笑った。その迫力あふれる笑顔を前に、私は頬がひきつるのを感じる。
きっとさぞかし多くの敵たちが、ミルコのこの笑顔に怯え、震えあがってきたのだろう。きっとこれから先も、ミルコがヒーローでいることをやめるまでは。
「さっきも言ったが、私は私にできることを、できるからやってんだよ。ひとまず、今は死柄木たちをぶっ飛ばす! そのために必要なのが機械の身体だっつーんなら、それを受け入れることに何の問題がある? ちぎれた手足に固執する弱虫より、メカの手足で蹴っ飛ばせるヒーローのが強い! そんなもんだろ」
単純明快。子どもにでも分かるようなミルコの説明に、私は言葉を失った。
できるからやっている。多分、ミルコは本当にそう思っている。
ヒーローであることに固執しているわけではない。ただ、手足が一、二本もがれたくらいではヒーロー活動に支障をきたさないと、そう判断しているだけのこと。
だからミルコはヒーローをやめていない。彼女は手足をもがれたところで、まだヒーローでいられる。機械の手足は不能の証明ではない。
替えの利く部位を機械に置き換えたところで、彼女の魂はひとかけらも損なわれていない。むしろ肉体をバージョンアップして、さらなる高みを目指している。
もちろん義肢と義足を装着して活動するために、何の努力もしていないはずがない。ミルコ自身がさっきリハビリと言っていたように、調整の苦労は続いているのだろう。今日ここに彼女がいるのも、決戦に向けて義肢と義足を少しでも慣らすためなのだろう。
それでも、やれるのだ。やってくれる。
鐡の手足を駆使し、彼女は戦い抜いてくれる。
ヒーロー・ミルコならば。
「かっこいいですね……」
「なんだァ? 知らなかったのかよ。私のかっこよさ」
豪快に笑ったミルコの声が、夜のしじまをぶち壊す。まるで悪いものなんか何一つ寄せ付けないような、破魔のちからを宿すような、力強い笑い声だった。その声に付き添われ、私は無事に避難所まで帰り着いたのだった。
避難所の前まで戻ってくると、母が心配そうな顔で携帯を握りしめて私を待っていた。
「名前! 本部の人に名前が出て行ったって聞いたから、心配したんだよ!」
「ごめん、今戻った」
「よかった、何もなかった?」
「うん、大丈夫。それにミルコが送ってくれたから」
そこでようやく母は、私のかたわらに立つミルコに気付いたようだった。とたんに、ぺこぺこと何度もミルコに頭を下げ始める。
「ありがとうございます、ミルコ。本当にありがとうございます」
「気ィつけとけよ。このミルコが付き添ってやったんだ。このあと勝手に死んだら承知しねーからな」
そう言って颯爽と去っていくミルコの後ろ姿を、私はしばらくじっと見つめた。
できるから、やっている。ミルコの言葉がずっと、胸に残っている。
できるから、やっている。失った器官は、テクノロジーによって代替可能だから。機械だらけの肉体で敵に立ち向かっていくミルコの姿は、なるほどたしかにどこから見ても文句のつけようがない、完全無欠のヒーローそのものだった。
爆豪くんにケガはしてほしくない。無事でいてほしい。危険な場所にはいかないでほしい。ずっと、安全にいてほしい。今までずっと、そう思っていたはずだった。
それなのに、ミルコのおよそ生身の人間らしからぬ肢体を目の当たりにして、彼女のヒーローとしての哲学を突きつけられ、今の私はこれまで感じたことのないほどに、胸の高ぶりを覚えていた。