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 大晦日にたっぷり爆豪くんと過ごした反動かのように、ふたたび爆豪くんにまったく会えない期間に突入している。たっぷりといったって、実際には午後のたかだか数時間。けれどいかんせん、普段の会えなさ具合が尋常ではないので、それでもじゅうぶんにたっぷりと錯覚してしまう。悲しい適応力。
 大晦日はいつになく、恋人らしい時間を過ごした。延期になっていたクリスマスもできた。大きな喧嘩もなかったし、おおむね言うことなしだったと思う。
 爆豪くんにもらったイヤーカフは、週末に出掛けるたびに耳につけている。鏡にカフがうつるたび、爆豪くんのことを思い出す。
 ふだんアクセサリーをつけない私は、気づかないうちにどこかで紛失してしまうのが怖くて、すぐに手で耳元にふれたり、鏡を見たりして確認してしまう。
 それでも、つけるのをやめておこうとは思わない。爆豪くんはどんな顔をして、このイヤーカフを選んだのだろう。私にこれが似合うと思ってくれたのかな。そんなことを考えるだけで、自然と顔がほころんでしまうから不思議だ。
 爆豪くんがインターン先に、私が贈ったマフラーをつけていってくれていることも知っている。私が「カフ使ってる」と写真付きでメッセージを送ったら、爆豪くんは律儀にも、返信でマフラー着用の写真を送ってきてくれたのだ。
 もちろん顔はうつっておらず、マフラーから胸くらいまでのよく分からない構図、かつ今適当にインカメで撮りましたという感じの写真だった。
 けれど、私はそれでも満足だ。爆豪くんにこれ以上のクオリティの自撮りを望んでは罰が当たる。人間はある程度、与えられたもので満足しなくては。
 と、そんな感じの低燃費で済ませていたものだから、すっかり忘れていた。
「名前ちゃんはバレンタインもう何作るか決めた?」
 クリスマスから続く、怒涛の恋人強化期間後半戦。バレンタインという、恋人イベントの存在を。
 体育の授業のため更衣室に移動する道すがら、唐突に持ち出されたその話題に、私は一切受け身をとれないまま、本気で素のリアクションを返した。
「……バレンタイン?」
「な、なんだそのきょとーんとしたリアクションは! 彼氏もちじゃないの!? バレンタインなめてんのか!?」
「やっ、な、なめてないけど、いや、本当にふつうに、完全に忘れてたなと思って……」
「彼氏いる女子高生が、受験生でもないのにバレンタイン忘れることある!?」
 あるのだ、これが。バレンタインねぇ、と実感なく口の中で言葉を転がし、私は体操着袋を抱えなおす。
 折しも一月の末、明日から二月という本日。近頃ほとんど家と学校の往復しかしていなかったから、街の様子などまったく目に入っていなかった。
 クリスマスと冬休みに少し出費がかさんだので、今は自主的に節制期間としている。物欲を刺激しそうな場所には極力近寄らないようにしているからか、そうした世俗のイベントにはうとい状態になっていたらしい。
 体育館前の渡り廊下で北風に吹かれ、身を縮こめる。早足に、逃げるように歩く私に、友人が追撃をかました。
「いやいや名前ちゃん、コンビニとかだって早いところは、バレンタインコーナー作ってるじゃん」
 呆れ混じりに言われるけれど、本当に気付いていなかったのだから仕方ない。
「そんなこと言われてもね……。バレンタインって今まで、私には縁のないイベントだったんだよね。だからかな、脳がそんなイベントがあるということを、認識してなかったのかも」
「縁がないことないでしょ。去年はバクゴーくんに何も贈らなかったの?」
「去年はまだ付き合ってなかった」
 そもそも去年の二月といえば、受験期間真っただ中だったはず。受験勉強のことで頭がいっぱいで、まったくもってそれどころではなかったのだと思う。
 もしかしたら、そういうことで盛り上がっていた子もいたのかもしれないけれど、私の視界に入る範囲の友人たちはみなもれなく、受験勉強にひいこらしていた。バレンタインだのなんだの、そういうのは高校に入っても遅くない、くらいのつもりだったんじゃないだろうか。まあ、高校に入ったところでバレンタインの存在をすっかり忘れている、私のような人間もいるのだけれど。
「でもねぇ……。バクゴーくんと名前ちゃんが付き合いだしたのって、五月くらいだったっけ?」
「うん、そのくらい」
「中学からの知り合いなわけだし、去年のバレンタインの時点でそれなりに仲良くなってたんじゃないの? 付き合ってなくても、仲良かったらチョコくらい渡すことない?」
「どうかなぁ。私と爆豪くんって、まあまあ殺伐とした関係でやってたような気がするから……」
 そもそも、仲がよかったという前提からして疑わしい。卒業時、このまま疎遠になるのは惜しいとは思っていたけれど、だからといって特別親しくしていたわけでもない。
 今にして思えば、私と爆豪くんの付き合う前の関係というのは、友達でもなんでもなかった。名前がつかない関係というか、とにかく、なんだかよく分からない距離感だったように思う。
「殺伐っていうと、どんな感じ?」
「もし渡したとしても、いらねえ殺す死ねくらい言われてたかも」
「受け取らないうえに、アウトな暴言をみっつ並べてくる人いるんだ。バレンタインなのに」
「多分ね。私の脳内のイマジナリー爆豪くんなら、言うかな……」
 そして現実の爆豪くんも、まず間違いなく言っただろう。伊達に爆豪くんからの暴言に、二年ちかくさらされ続けていない。爆豪くんの言いそうなことは、だいたい分かるようになっている。
 更衣室に到着する。前のクラスが使ったあとなのか、制汗剤のにおいがわずかに残っていた。外に比べれば寒さは当然ましなものの、暖房などないのでここも寒い。今日の体育はなんだっけ。考えながら、手早く荷物をロッカーに入れる。
 着替えをしながらも、バレンタインの話はまだ続いていた。
「とはいえ今年は付き合ってるわけだし。最近また会えなくなってるんでしょ?」
「んー、そうだね。大晦日から会ってないかな」
「もうまる一か月会ってないんじゃん! やっぱ、ここらで一回がつんとさ、インパクト大きいのをかましたろうじゃないの」
「バレンタインってそういうイベントだったかな」
「ほぼほぼこれで合ってるでしょ」
 制服のスカートの下にジャージをはきつつ、私はそうかなぁと頭をひねった。
 バレンタインとは、そこまで大きなイベントだっただろうか。クリスマスと大晦日が同時消化だったとはいえ、少し前に恋人イベントを満喫した身としては、こんなに畳みかけるようにバレンタインに浮かれてしまってもいいものかと、少しだけ不安になる。
 もう少し間隔をおいて、少しずつ楽しんだ方が、なんというかお得なのではないだろうか。心臓への負担も少なく済む。お財布にも優しい。お年玉をもらったとはいえ、依然として気を抜けないお財布状況は続いている。
 一方で、もしも私がバレンタインをスルーしたら、爆豪くんはめちゃくちゃ怒りそうだな、という気もした。爆豪くんはクリスマスのときも、なんだかんだ言いつつきちんと、プレゼントを用意してくれている。記念日なんかはお互い気にしないことにしているけれど、そういう世間の流れのような一般的なイベントにかんしては、積極的ではないにしても、嫌がっているわけではないように見える。
 多分、実家でイベントごとをちゃんとやっていたからなのだろう。光己さんや爆豪くんのお父さんを見ていると、なんとなくそんなふうに思う。寮生活で縛りが多いからこそ、というのもあるのかもしれない。
 この状況で、自由に動けるほうの私がバレンタインに何も贈らなかったら、爆豪くん烈火のごとく怒りそうだな……。
 イベントをややタスク寄りに考えているというか、きちんとやることはやれ、という感じで怒られる気がする。爆豪くんにはそういうところがある。
 しばしの思案ののち、結論を出した。
「そういうことなら、買いに行くかぁ……」
 そう言った瞬間、友人がものすごい勢いでこちらを見た。
「えっ、まさか名前ちゃん、この期に及んで買って済ませようとしてる?」
「それはもちろん。爆豪くんが喜んでくれそうなのを、ちゃんと吟味して買うよ」
「えーん、そういうことじゃなくて! 私と一緒にチョコ作ろうよー!」
「いやー、でもねぇ、うーん……。というか手作りしたとして、誰かあげる相手いるの?」
「いないけど、作りたいから作るんだよっ!」
 力強く言い切られる。
「名前ちゃんはさ、その点あげる相手がいるんだから。絶対に作ったほうがいいって! ねっ」
 爆豪くんに手作りのチョコ……。
 考えてはみるものの、ものすごく要らなさそうにされるところが、未来視レベルで目に浮かんでしまった。知らず、私は渋い顔をしてしまう。
「いやー、やめたほうがいいと思うんだけどなぁ」
「なんで!? いいじゃんいいじゃん、バクゴーくんだってきっと手作りチョコ欲しいと思うよ!」
「いや、絶対いらないと思う……」
 クリスマスにも思ったことだけれど、爆豪くんになにか贈り物をするというのは、普通よりもハードルが高いのだ。彼氏だからというのではなく、爆豪くんだからこそ、ハードルは上がる。
 いつのまにか着替えそっちのけになっている友人に、私はジャージに袖を通しつつ言う。
「そもそもね、爆豪くんは雄英に通ってるわけだよ。ランチラッシュの食事を食べなれているわけで、ものすごーく舌が肥えてると思うんだよね」
「ごはんと甘いものは別舌じゃん」
「あと爆豪くんのクラスに、ものすごく美味しいスイーツをつくる子がいるらしい」
「うっ」
「爆豪くん、そんなに甘いもの好きじゃないし」
 別に好きでもない、食べるとなればプロ級のものを食べているスイーツを、果たして爆豪くんが「彼女の手作りだから」という理由で食べるのだろうか。いや、食べんだろうな。百歩譲って食べてくれたとして「食った」以外の感想はないにちがいない。
 こう考えてみると、私が爆豪くんに手作りチョコを用意するメリットが、本当にまったく、ひとつもない。私も手間だし、爆豪くんだっていらないだろうし。それでも渡すというのなら、それはもう私の自己満足以外の何物でもない。
「ね、だからやっぱり買った方がいいと思うよ」
 そう説明を締めくくる。唸っていた友人は、苦渋の決断とでもいうような険しい顔をして、それから絞り出すように言った。
「……名前ちゃんの言い分はわかった。じゃあ、こうしよう。この際、チョコを二パターン用意する」
「買うのと作るの、どっちも用意するってこと?」
「そう。そのうえで、バクゴーくんに選んでもらおう」
「……それ、手作りを選んでもらえなかったときに、余計に目も当てられない感じにならない?」
「それはそうだけど! でも私は信じたい、バクゴーくんを! 手作りには、バクゴーくんの心すら動かすちからがあると……!」
「爆豪くんのことなんだと思ってるの……」
 そんなことで生き方が曲がるひとではないんだよ。と思いつつ、いったんは私は友人の主張をのんだ。そうでもしないと、友人の着替えが体育の授業に間に合いそうになかったからだった。




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