04
喋るなと言ったり、シカトするなと言ったり、じっと無言で睨んできたかと思えば、唐突に怒鳴り散らかしたり。
爆豪勝己は一言で言えば、とにかく扱いづらい人間である。
そのうえ、非常に怒りっぽくもある。そんな彼を怒らせぬよう、「とりあえず言われたことには従う」というのが、私のここ最近の爆豪勝己との距離のとり方だった。
怒られるとこちらもむっとしてしまうけれど、そうすると爆豪勝己はさらに怒る。そうなると尚更やっかいだ。隣の席という、いわば強制的に接点がうまれるこの状況下において、これはそう、戦略的妥協のようなものだ。
「おはよう、爆豪くん」
いつものように机に足を投げ出した爆豪勝己は、私からの朝の挨拶に舌打ちで返事をした。なんだその態度は。十五歳にもなってまともなコミュニケーションもできないのか? と、文句を言いたくなるのをどうにか堪える。
ここで怒ってはいけない。文句を言ったら、その瞬間から私は爆豪勝己と同じレベルになる。私は文化人。文明を持つ人類だ。平和を愛するこの地球の住人のひとりとして、むやみに感情のまま生きてはいけない。
すうはあと呼吸を整え、精神の安寧を取り戻す。そして何事もなかったかのように、私は自分の席に着席した。
そう、大切なのは平常心。平常心だ。不乱心。凪いだ海のごとき、穏やかさと静けさこそ肝要だ。これはきっと神様からの受験対策のプレゼント。この調子で頑張れば、受験本番もきっと心を乱さず乗り越えられるはず……。
無心をきわめつつ、かばんから取り出した読みかけの小説を読み始めた。するとすぐ、数名の男子がやってきて、隣の爆豪勝己の席を取り囲んだ。爆豪勝己と同じく、悪い意味で目立つクラスメイトたちだ。
「カツキ、今日の放課後カラオケ行くけどカツキも来るよな?」
「テストも終わったしパーっとやろうぜ」
「隣のクラスの女子も誘うか!」
聞きたくなくても聞こえてくる会話からは、爆豪勝己が男子たちから一目置かれる存在であることがうかがえる。確かに長所は短所、短所は長所ともいう。あの傲慢で自分本位っぽいところも、カリスマ性の発露と見えなくも……いや、私にはまったく見えないけれど。まるきり理解できない世界だ。
とはいえ実際に喧嘩は強いらしいし、三年生になった今、彼は間違いなくこの学校のヒエラルキーの最上位に君臨している。浮いた話は聞かないが、モテないわけでもないのだろう。
爆豪勝己に話しかける男子たちは、爆豪勝己の返事など待たずにどんどん話を進めていく。これだと爆豪勝己は怒るんじゃないだろうか、と傍目にハラハラしていたけれど、爆豪勝己はぶすっとした顔をしているだけで、特に何も言わない。
視線は小説に落としたまま、しばらくひそかに爆豪勝己の動向をうかがう。わいわいと盛り上がる男子たちの輪の真ん中にいた爆豪勝己は、唐突にがたんと音を立てて席を立った。
「えっ、何。カツキどうした?」
「トイレ?」
戸惑う彼らを放置して、爆豪勝己は「うるせえ」とだけ呟き、さっさと教室を出て行ってしまった。残された男子たちは、ぽかんと口を開いて彼を見送っている。
やがて我に返った男子たちは「カツキ、キレてた?」と静かにざわざわし始めた。やはり爆豪勝己の取り巻きたちも、爆豪勝己の機嫌は気になるらしい。
「今日カツキ機嫌よさそうだったから、イケるかなと思ったんだけどなー」
「なんか機嫌よさそうな雰囲気出てたよな」
「机ぶん殴られたり怒鳴られたりしなかったし、普通にかなり機嫌よかったんじゃない?」
「一理ある」
彼らの会話から察するに、私と緑谷くん以外のクラスメイトも、爆豪勝己からは普通に怒鳴られているらしい。それを聞いて、少しだけほっとした。もちろん私が怒鳴られることに変わりはないから、爆豪勝己が誰にも平等に凶悪だと分かったところで、だからどうしたという話なのだけれど。
それにしても、今日の爆豪勝己は機嫌がよかったのか。
思いがけずもたらされた情報に、私は困惑した。なにせこちらは、朝一の挨拶を舌打ちで返されている。機嫌がよかったとは、到底思えない。普通の人間があのような態度を取れば、まず間違いなく虫の居所が悪いと判断される。
つくづく爆豪勝己は謎である。解明したいとも思わないタイプの謎。謎は謎のままであっても構わないタイプの謎。近寄りたくない謎。
「そういえばカツキ、最近緑谷にも絡んでいかなくなったしな……。なんか、なんていうん? 穏やか?」
聞くともなく聞いていた雑談から、ふいに気になる言葉が聞こえてくる。
たしかに、言われてみれば。爆豪勝己が緑谷くんに突っかかっていくところを、ここ最近はほとんど見なくなった。どういう心境の変化だろうか。今更いじめの恰好悪さに気が付いたとか? まさか受験勉強に集中するためいじめが疎かに、ということはないだろうが。
何気なく視線を緑谷くんに送れば、彼は今日も朝からグロッキーな状態で机に突っ伏している。そんな状況でも手にはハンドグリップを握っているのだから、緑谷くんの執念もなかなかすさまじい。
緑谷くんの雄英入学に向けた努力を認めて、爆豪勝己も突っかからなくなったのだろうか。いや、爆豪勝己に限ってそんなたまじゃないか。爆豪勝己は他人の努力なんてそう簡単に認めなさそうだ。特に緑谷くんに対しては。
ふいに、以前緑谷くんに問われた言葉を思い出す。
爆豪勝己のことが、嫌いなのか。
緑谷くんから問われて以来、私はときどきその質問について考えを巡らせるようになった。
正直に言ってしまえば、彼のことは好きじゃない。嫌いとまでは思わない。嫌いになるほど、爆豪勝己のことを知らない。爆豪勝己とかかわっていない。
私が爆豪勝己について知っているのは、彼が中学三年生にもなって、いじめっ子みたいなことをしているような人間だということ。優秀な人間であることは間違いないのだろうけれど、怒りっぽくてちょっと怖い。いや、本当はだいぶ怖い。
緑谷くんに話した通り、私は昔、個性のことで少し嫌がらせを受けたことがある。爆豪勝己みたいなタイプは、その頃の記憶を否応なく刺激してくるのだ。
それでも、緑谷くんのことをつっつかなくなったということは、彼も彼なりに変わろうとしているのかもしれない。私の知らないところで何があったか知らないし、知りたいとも思わない。けれど私が思っているよりは多少、実際の爆豪勝己という人はましなのかもしれない。そんなふうに、思わないわけでもない。
予鈴が鳴った。席を外していた爆豪勝己が仏頂面で戻ってくる。横目でちらりと彼を盗み見るけれど、やはりその表情はどう見ても、とても機嫌がよさそうには見えなかった。
★
騒音じみた雑談から解放されるため席を立ったはいいが、別に便所に行きたいわけでもなければ、ほかのクラスに行きたいわけでもなかった。仕方なく、廊下の端にあるほとんど使われてない階段に腰を下ろし、学内持ち込み禁止の携帯をいじくる。
なんで俺がこんなところで時間を潰さにゃならねえんだと腹が立つ。が、だからといってダチに怒鳴り散らす気分でもなかった。
あそこで騒ぎを起こすと、どうせまた隣の席の根暗がうざったそうな顔をする。その顔がまた異様に俺の神経を逆なでするのだ。あそこまでむかつく人間がデク以外にいるとは、まさか思いもしなかった。
ひとけのない非常階段で、舌打ちをひとつ打つ。脳裏にあのクソ根暗女の顔がちらつくのがムカついた。
最初はデクの野郎に似てるかと思った。別にクラスで目立つわけでもなければ、直接的に俺に何かしてくるわけでもない。しかしとにかく、ひとたび視界に入ると必要以上にこちらの神経を逆なでする。あの根暗女は、そういうやつだった。
根暗女がデクと違うのは、あいつがデクよりもっと喧嘩腰で挑発的なところだ。とにかく俺を見る目に険がある。そんな目を向けられれば、当然こっちも腹が立つ。こちらから何かしたわけでもない。一方的に敵意を向けられれば、殴り返すのは当然の反応だ。
きっかけは、俺がデクのゴミみてえな薄汚いノートを爆破して捨てたこと。ほかのやつらも「あれはやりすぎだ」と抜かしたが、そんなことは知ったことではなかった。そもそもあんな汚いノートを、これみよがしに持っているデクが悪い。
俺がノートを爆破して捨てた直後、背中にとげのある視線を感じた。そういう視線は、デクのことを構っているときにも、時々感じることがある。いい加減鬱陶しいと思ってその視線の主を探してみれば、そこにいたのがあの根暗女だった。しかも俺が振り向いたときにはもう、すいと視線を逸らして我関せずというような顔をしていやがる。
デクのせいで苛立ってたところにそんな態度とられれば、いくら相手が女だといってもムカついて仕方ない。一発ビビらせて黙らせてやろうと、そう決めた。
だが実際は、そんなことしてみたところで、余計に腹が立つだけだった。
あのクソ根暗女は、俺が怒鳴って耳元で爆破を起こしても、怯むどころか余計にガン飛ばしてくる始末だった。そのくせ口調はおどおどしたモブそのもので、そのギャップがさらに俺をイラつかせる。
結局その日は教師の邪魔が入って、それ以上はどうにもならなかった。しかし、今思い出しても腹が立って仕方ない。
俺が爆破を起こしても、怯まず睨み返してくるようなクソみたいな女だ。あれは絶対、根暗で陰気なだけってたまじゃない。
しかしそんなふうに思ったことも、あのヘドロ野郎の事件のせいですっかり忘れていた。というより、どうでもよくなった。コンビニで偶然会ったときも、俺の前から逃げ出した根暗女をわざわざ追う気は起きなかった。
根暗女への興味がまたわいたのは、席替えでクソな席になってからだ。
根暗女の連れなのか、同じような陰キャ女があいつにノートを借りに来ていた。あいつもなんだかんだとうだうだ言いつつ、それでもノートを貸していた。
前に一度だけ、別の女が根暗女にノートを貸してくれるよう頼んでいたのを見たことがある。おおかた自分より数段賢い根暗女にノートを借りて、試験を乗り切ろうというゴミみたいな算段だったのだろう。しかしその時の根暗女はへらへら笑って、しかし要求ははっきりとはね退けていた。
凡人なりにちまちま勉強しているのだろう根暗女が、ぽっと出のバカに利用されるのは我慢ならないという心理は分かる。あとは単純にうざかったんだろうというのも分かる。かりにその場面だけを見ていたとしたら、他人に努力の成果をみすみす貸したりしねえやつなんだな、で終わっただろう。
しかし自分の友達が相手ならば、うだうだ言いつつもノートを貸すのだ。予習しなかった自分が悪いんだとつっぱねることもせず、さりとて黙って貸してやるわけでもない。
こいつちゃんと相手を見てやがる──そう思った。
努力している人間を、相手を、ちゃんと見ている。評価するための自分なりの物差しを持っている。そういうヤツなのだと気が付いた。
そうなると、根暗女のあの俺への態度が余計にムカついて仕方がない。別にあの根暗女に気に入られたいなんてつもりはまったく、露ほども、毛ほどもないが、それにしたってあいつの評価基準にのっとれば、あいつにとっての俺はゴミみたいな存在だということになる。その事実が、単純にムカつく。死ぬほどムカつく。
俺があいつを根暗女と嘲るのは問題ない。なぜなら根暗と俺とでは、はっきり俺の方が立場が上だからだ。人間としてのステージが違う。
下々の凡人が俺を見下すことはあってはならない。根暗が俺を見下すなど、言語道断。ありえない。
今日は登校したら真っ先に根暗女をビビらせてやろう、二度とナメた口きけないようにしてやろう。だから、そう決めていたのに。
「おはよう、爆豪くん」
あまりに普通に挨拶されて、正直面食らった。てっきりまた今日も分かりやすく、俺のことを避けまくるのかと踏んでいたのに。まるで普通の友人のような、あり得なさすぎるノリで来るから、こちらとしても肩透かしを食らった。
舌打ちをしてごまかしたら、あからさまに不機嫌そうな顔をされた。その顔を見て俺は内心ほくそ笑む。
そうだ。てめえごとき根暗女が俺をびびらすなど、百万世代早いに決まっている。百万回出直せクソ雑魚。