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 爆豪くんの忙しさに拍車がかかっている……ような、気がする。いや、気がするのではなく、実際ものすごく忙しくなっている。
 爆豪くんは、ただでさえ忙しい雄英生。そこに仮免の補講が入っているのと、今年の一年生はもろもろの事情から例年より早いペースでカリキュラムを進めているのとで、話を聞いているだけで目が回りそうな状況にあるらしい。
 それでも、私がその忙しさの理由を把握しているのは、なんだかんだ言いつつも爆豪くんがちゃんと説明してくれているから。説明され、それが正当なものであるのなら、私にはどうこういうことはできない。ただただ粛々と、爆豪くんの多忙を受け入れるばかりだ。
 爆豪くんが雄英生だと知っていて、付き合っている。だからこれは、仕方がないことなのだ。

「えっ、最後にバクゴーくんとちゃんとしたデートしたの、もう一か月前も前なの!?」
「や、うん。何を『ちゃんと』と定義するかによるけど」
 何の弁明かも分からないまま、私は気まずくもごもご返事をする。
 例によって、休み時間に私の席にたむろしにくる友人に恋愛の話をゆすられているものの、ここのところの私と爆豪くんの会っていなさでは、まったく話すネタがない。爆豪くんと会っていないから、と正直に話したところで「バクゴーくんと最後にあったのいつ?」という話になり、こういうことになっている。
「や、でも、待って。デートっていったって、言葉の解釈は人それぞれだし」
「名前ちゃん、往生際が悪い。ここでは便宜上、せめて半日は自分のために時間を割いてくれるあいびきのことを、デートと呼んでいます」
「それはちょっと狭義のデートだよ」
「顔合わせて一時間で解散する会合を、はたしてデートと呼べるのか」
「呼ばせてください」
「うーん、その意見を採用するのは、さすがに厳しいね」
 主張は頑として聞き入れられず、私はがくりと肩を落とした。
 本来ならば私と爆豪くんの問題なのだから、友人になんと言われようとそんなに気にすることもない。ただ、今はそもそも爆豪くんと会えていないので、そのあたりで少し、我ながら弱気になっていた。
 連絡はとっているけれど、直接顔を合わせてはいない。だから爆豪くんと私がいいって言ってるんだからよし、という強い態度にも出にくい。爆豪くんがよしと思っているのかも、私には分からない。
 肩を落とす私を見て、友人が溜息を吐く。おおいに同情めいた嘆息に、私は自分が情けをかけられるような状況に陥っているのか、と改めて思う。
「なんかさあ、名前ちゃんは、それでいいの?」
 友人に問われ、私は眉根を寄せた。机に頬づえをつき、そうだねぇ、と情けない返事をする。
「でも、そうはいっても、だよ。いいとかよくないとか、なくない? 仕方ないじゃん。別に爆豪くんが私以外の人との約束ばっかり優先させてて、そのせいで会えないとか、そういうわけじゃないし」
 むしろ爆豪くんの自由になる時間は、ほとんど私が独占しているといっても過言ではない。学校の友人とは同じ寮なので、わざわざ学外で会う必要がないというのもあるけれど、爆豪くんが補講以外で出す外出届のほとんどは、私のために出しているようなものだ。
「これ以上、会いたいとかそういうの、言えないよ」
「名前ちゃんの言うことも分かるけどー」
 なおも友人は食い下がる。
「でも名前ちゃんがバクゴーくんと付き合おうって決めたときにはさ、まさかこんなことになるなんて思ってなかったわけじゃん」
「そうだね。敵に襲われるとか、予想できないからね」
「だったらさ、やっぱり話が違うって思うくらい、権利はあると思うよ」
 強い言葉でそう説かれ、私はたまらず唇を噛んだ。
 それはたしかに、友人の言うとおりだった。雄英生は忙しいといえど、私と爆豪くんの場合は学校が近ければ家も近い。時間の捻出はどうとでもなったはずだ。実際、私はそういうつもりでいたし、爆豪くんもそうだったと思う。付き合う前に会える時間云々についてわざわざ話をしなかったのは、付き合い始めがぐだぐだだったのもあるけれど、まさか気軽に会えなくなる日がくるなんて思ってもみなかったからだ。
「会えないのは爆豪くんのせいではないし……」
「名前ちゃんのせいでもないけどね」
「それは、そう」
「正直さ、別れてもいいとか、思わないの?」
「思わないよ」
 頭で考えるより先に返事をしていた。呆れた顔をする友人に、照れ隠しで笑う。けれど本当にそんなことはまったく、ちっともこれっぽっちも考えていなかった。
「いや、だってさ、私は爆豪くんのこと好きなんだから、別れたいと思うような理由がないでしょ。会えなくて寂しいねとは思うけど、別れたら会えるようになるわけじゃないなら、別れる必要なくない?」
「そういう理屈になるの?」
「私のなかではそういう理屈になってる」
 別れてましになることがあるとすれば、爆豪くんのことを考えずに済むようになる、というくらいだろうか。けれどそれだって、最近は勉強のウェイトを増やしているから、爆豪くんのことばかり考えているわけではない。
「爆豪くんが別れろってせまってきたら、そのときは多分別れると思うよ、それはね。でも今のところ、別れたい理由が『会えなくて寂しい』なら、会えなくて寂しいと思わないように、私が頑張ればいいのかなって思う」
「名前ちゃんって、ときどき脳筋っぽいこと言うよねえ」
「そうかなぁ、自分では理屈っぽいと思うんだけど」
「理屈っぽいの使い方、たぶん間違ってる」
 予鈴が鳴って、話が途切れる。友人が自分の席に戻っていくを見るともなく見ながら、私は今しがた自分が発した言葉のひとつひとつを思い返し、吟味する。
 寂しいと思わないように頑張ればいい。
 別れたいとは思わない。
 そういう声に出した思考の一つひとつが、自分がこうであってほしい、こうありたいと願う自分自身の理想と乖離していないのかを、間違いのないようゆっくりとたしかめた。
 大丈夫、私はちゃんとまともなことを言っている。

 まるで昼間のやりとりを聞いていたかのように、その日の晩に爆豪くんから通話がかかってきた。試験勉強の手を一時止め、私は学習椅子のうえに体育座りになって電話を受ける。
 特に何という用件があったわけではなく、いつもの定例報告会のような通話だった。とはいえ、通話で話をするのも少し久しぶりのことではある。私が試験勉強に本腰をいれだしたと話したあたりから、爆豪くんは通話よりメッセージを送ってくることの方が多くなった。
 近況報告から始まり、雄英の文化祭準備についての話題にうつる。
 春から今まで、こんなにもいろいろとあったにもかかわらず、雄英は文化祭を中止にはしないらしい。はたから聞いていると「強気すぎる」としか言いようがないけれど、雄英だって教育機関なのだ。高校生がふつうに通っている高校。理不尽に学校行事をつぶされていいなんてことはない。
 文化祭の話となれば、とうぜん出し物の話になる。爆豪くんのクラスは、参加型のライブのような催しをやる、とのこと。そして、
「爆豪くんがドラム」
 今聞いたばかりの話が信じられず、私は爆豪くんの言葉をオウム返しに繰り返した。
「文句あんのか」
「み、見たい……」
「関係者以外立ち入り禁止だわアホ」
「そんな……。悔しすぎる、どうにかならない?」
「なるわきゃねーだろ」
 そんなぁ、と我ながら情けない声が出た。
 爆豪くん以外のバンドメンバーは、残念ながら上鳴くんくらいしか分からない。けれど爆豪くんがバンドに参加している以上、生半可なものにはならないだろう。爆豪くんは自分がかかわったものがグズグズの出来になるのを許容できるような、寛大で適当で無責任なタイプではない。
「そもそも、なんで爆豪くんがドラムなの?」
「あ?」
「爆豪くんってドラム叩けるの? あれってめちゃくちゃ難しいんじゃないの?」
「やれるからやってんだよ」
 そっけないながらも自負が滲んだ物言いに、そういえば爆豪くんってそういう人だったと思い出した。
 素行が悪く暴力的な面が目立つけれど、彼は勉強も運動も人並み以上にできるのだ。公立中学校から一般入試で雄英に入学しているということは、内申点もすこぶるよかったのだろう。先生からの心証も良い。たぶん、音楽でも美術でも、やればできてしまうのだ。
「忘れてたけど、爆豪くんってなんでもできる人だったね」
 とはいえ、さすがにまったくの未経験で白羽の矢が立ったとは思えないから、多少の経験はあったということだろうか。今度光己さんに聞いておこう。
 光己さんといえば。
「ねえ爆豪くん、それって保護者も観覧できないの?」
「無理だろ。全校生徒の保護者入れたらどんだけの人数になると思っとんだ」
 たしかにそうだ。もちろん、雄英ほどの敷地面積があれば保護者参加は当然可能だろうし、例年ならば保護者や受験生の参加もあったのだろうけれど、今年にかぎっては事情が違う。生徒の保護者だけ観覧可能とするにしても、学外の人数を大勢入れる時点で、セキュリティのレベルを維持することが難しくなるのは分かり切っている。
「あーあ、そっか。残念だね。光己さんも見たかっただろうなぁ、爆豪くんがドラムどかどか叩いてるところ」
「見たがんな」
「あ、でもさすがになんらかの形で記録には残すよね? 芦戸さんたちにお願いしたら、映像だけでもあとで送ってもらえたりしないのかな」
 ぱちんと指を鳴らすと、爆豪くんが舌打ちした。
 こういうときのために連絡先を交換しているのだ。せっかく得た伝手は、有効に活用していきたい。というかもしかして、芦戸さんや麗日さんに頼めば、練習中の爆豪くんの様子も教えてもらえるのでは? 練習風景、ぜひとも見たい……。クラスTシャツとか作ったのだろうか。クラスTを着る爆豪くんって、あまり想像がつかない。
 と、思索をめぐらせていた私は、爆豪くんが黙り込んでいることに、しばらくしてからようやく気が付いた。
「あれ、爆豪くん? 寝ちゃった?」
「寝てねえわ」
 ふつうに返事があった。ただ黙り込んでいただけらしい。
「びっくりした。寝ちゃったかと思った。急に静かになってどうしたの」
「別に、どうもしねえ」
 ふうん、と相槌を打ちつつ、時計を見た。そろそろ二十一時になろうという時刻だ。爆豪くんが早寝のひとであることを差し引いても、寝落ちしかけるにはまだ少し早いような気がする。
 とはいえ忙しい爆豪くんだから、このくらいの時間には疲れてしまうということも、十分にありうる。私も試験勉強を中断したままになっている。話し足りない気もするけれど、そろそろ会話を畳んだほうがいいかもしれない。
「そっか、じゃあこれからは補講がない日曜でも、文化祭の準備があったりするんだ」
「楽器やんのに、まごまごした素人が混じってっからな」
「そういう言い方しないほうがいいよ」
 話しながら、溜息がこぼれそうになるのをどうにか堪えた。
 すでに会える時間はこれでもかというほど少ないのに、これから文化祭の準備が本格的に始まれば、しばらくはさらに会えなくなるという。もしかすると文化祭が終わって、補講も無事に終わるくらいまでは、まったく会えないということも覚悟しておいたほうがいいのかもしれない。
「そういやおまえはどうなんだよ。勉強やべえっつってたのは」
 珍しく、爆豪くんのほうから話をふってくる。てっきり今日の通話はこのへんで終わり、と思っていた私は、やや面食らって返事をする。
「え? あ、勉強? ああ、うん。大丈夫だよ」
「は?」
「いや、本気出して勉強頑張るようになったら、なんか結構どうにかなってるというか。次の中間試験、たぶん結構いい線いくと思うな」
 話をしながら、広げたままの参考書とノートに、私は視線を落とした。胸につもったもやもやを原動力に勉強に励みまくった結果、思いがけず勉強がはかどっている。一学期も手を抜いていたつもりはないけれど、やはり人間、追い詰められているときのほうがパフォーマンスが向上する、ということなのかもしれない。
「ガリ勉の再来ってか」
「ガリ勉を悪口みたいに使うのやめようね。勉強するのはいいことです」
 あざける爆豪くんに、私はむっと口をとがらせた。爆豪くんの本分がヒーローになるための特訓であるように、私の本分は将来のために勉強することだ。そこに貴賤も優劣もない。
「爆豪くんも勉強わかんなくなったら、私に聞いてくれていいんだよ」
「ハッ、ほざいてろ」
「ええー、結構本気なんだけど。爆豪くんの今の生活だと、座学の勉強する時間あんまりなくない? まあ、爆豪くんは要領いいから、どうにかなるのかもしれないけど。試験前とかさ、また勉強会できたらいいね」
 ふたたび時計に視線をやる。時計は二十一時ちょうどを示していた。
 名残惜しいけれど、今日はここまで。爆豪くんのスケジュールを圧迫するような、そういう通話のしかたはしないと決めていた。
「そろそろ切るね。次に会えそうなのって」
「来週末。今度は飯くらいは食える」
 その言葉に、我知らず頬がゆるんだ。覚悟していたよりずっとはやく、次のデートらしいデートの予定が立ったことがうれしい。
「補講のあとの時間でいいんだよね?」
「ん」
「わかった。楽しみにしておくね」
 通話を切り、携帯を机の上に置いた。画面が暗転した携帯を、私はじっと見つめ続ける。
 しばらく勉強を頑張っていてよかったと、心の底から思った。頑張っていれば、こうやっていいこともあるのだ。
 爆豪くんにとって何てことない約束なのかもしれない。それでも私にとっては、自分でも少し戸惑うくらい、浮かれてしまう約束だった。
 大丈夫、この調子なら大丈夫。視線を参考書に戻し、椅子に座りなおす。爆豪くんも頑張っている。だから私も、もっともっと頑張らなければ。




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