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「さてさて、何から聞こうかな! やっぱなれそめ? 告白はどちらから!」
 注文してテーブルに着くと、芦戸さんはさっそく身を乗り出した。その大きな黒目をらんらんと輝かせ、期待の目を私に向ける。
 テーブルの上にはポテトとシェイク。このあと夕飯がひかえているため、そしてお財布の中身がやや心もとないため、あくまでも小腹を満たす程度の注文だ。
 昂る芦戸さんを、麗日さんがなだめた。
「三奈ちゃんどうどう」
「も、もう少し軽めのところから始めていただけると助かる」
「じゃーぁ、んーと……。実際のとこ、彼氏としての爆豪ってどんな感じ? 甘い言葉とかささやいたりする?」
 さて、どう答えたものか。ポテトをつまみつつ、私は素早く思案した。
 うまいこと爆豪くんの話を聞き出したい気持ちはあるものの、こちらから提供できる情報はそれほど多くない。恥ずかしいとかそういう問題ではなくて、現実問題、私と爆豪くんはまだ手すらろくにつないでいないからだ。
 ついでに言えば、相手は爆豪くんのクラスメイト。あまりあけすけに話しすぎては、今後の爆豪くんの交友関係にも傷がつきかねない。端的に言って、爆豪くんのメンツをつぶすわけにはいかない。
 ここはひとつ、慎重にならなければ。爆豪くんのパブリックイメージを壊さないように。逆に言えば、爆豪くんのイメージを損なわない程度にならば、何を言っても許される。
 爆豪くんのイメージ、すなわち、暴言、暴力、唯我独尊。
「どんな感じって、けっこう普通だよ」
「ふつう?」
「たぶん、麗日さんと芦戸さんが思ってるとおりというか。暴言と暴力と侮蔑って感じ」
「それ普通じゃないから! ふつうの恋人にそういうのはない!」
「でも、爆豪くんの普通ってそんな感じじゃない?」
「確かにそうやけど、恋人にする態度と違うんじゃないかなぁ……」
 そうはいっても、爆豪くんは本当にそんな感じなのだから仕方がない。暴力と侮蔑にかんしては、付き合ってからはだいぶマイルドになった感があるけれど、とはいえそれもゼロではない。暴言にいたっては、付き合おうがどうしようが、つねに全力だ。
 ふだん、爆豪くんのことをよく知らない相手に彼の話をするときには、かなりオブラートに包んで話すようにしている。どうせ引かれるだけなのは分かり切っているし、最悪の場合DV疑いで通報されかねない。
 私がいくら大丈夫だといったところで「被害者はみんな大丈夫って言うんだよ」と言われてしまえば終わりだ。たしかに。むしろ相手の言うことの方が正しいまである。
 しかし、爆豪くんのクラスメイト相手ならば、ありのままを話してもいいのかもしれない。そう思い話してみたのだけれど、引かれるものは引かれるようだった。そりゃあそうか、私だって自分の彼氏でなければ引く。というか通報する。「被害者はみんな大丈夫って言うんだよ」って言う。
「そっか、恋人に接する爆豪くんとか、ちょっとすごいアレなんかと思ってたけど……、全然アレじゃないんだね。なんか逆に安心した」
 麗日さんが微妙な顔で言う。爆豪くん、本当にクラスのみんなから何だと思われているのだろう。
 私の心境を察したのか、芦戸さんが笑った。
「や、だってアタシら、ヒーロー名を考えさせたら『爆殺王』とか言い出す爆豪しか知らないからさ」
「『爆殺王』って……すごいネーミングセンスだね。爆豪くんっぽくて微笑ましい」
「微笑ましいで済ませるんだ!?」
「まあ、ほら爆豪くんだから。というか微笑ましいと思っておかないと、正気に返ったら引いてしまう」
 そう言って笑ったら麗日さんには苦笑されてしまった。
「正気をあえて失うことが、爆豪と付き合う秘訣……!」
 と芦戸さんがつぶやいているのが聞こえる。さすがに、そこまでではないけれど。
 しかし爆豪くんと付き合っているのだ。今更「爆殺王」くらいで困惑していたら、お付き合いなどとうてい不可能だ。むしろ「すごい分かる、爆豪くんそういうところある」くらいに構えておかないと、こっちが疲れ果ててしまう。
 そう考えると、正気を失うというよりは、諦めが肝要なのかもしれない。そういえばそんな話を、前に緑谷くんともしたような。
 とはいえ、私は爆豪くんのそういうセンスが、じつはそんなに嫌いではない。私のセンスとは相いれないけれど、爆豪くんらしくて面白いとは思う。でも「爆殺王」は、まじでやめたほうがいい。
「名前ちゃんって、付き合うべくして爆豪と付き合ってんだねー」
 シェイクのストローをかじりながら、しみじみと言う芦戸さん。そうだろうか。そういえばこれもまた、緑谷くんが同じようなことを言っていた。
 私自身は爆豪くんのことが好きで、爆豪くんに好かれてもいて、その結果なんとなく付き合うことになったという感覚がいまだに抜けない。実際を詳しく見ていくと、どうして付き合ってるんだかよく分からない、流れでふわっと付き合っている、というような。よくある、どこにでもある恋愛という感じ。
「爆豪はねー、ちょっとアレだけど強いし実は真面目だし、面白いよね! 名前ちゃん雄英の体育祭見た?」
 芦戸さんの質問に私は首を横に振る。
「決勝戦だけ。あの氷の子と戦ったところだけ見たよ」
 本当は見ようと思っていたのだけれど、その話をしたところ、当の爆豪くんから絶対に見るなと釘を刺されてしまった。それでも決勝戦と表彰式だけはこっそり見て、爆豪くんが不完全燃焼だったことがうっすらと理解できてしまった。
 納得いかない試合を見られたくないという、爆豪くんのおそるべき自尊心も分かる。だから結局、それ以外の部分は見ないままでいる。わざわざ率先して爆豪くんの嫌がることをする理由もない。
 そんな事情を知らない芦戸さんと麗日さんは、揃って「エーッ」と声をあげた。雄英体育祭といえば国民的なイベント。自分の彼氏が出ているとなれば、見ていて当然だと思うのだろう。私もそう思う。
「録画はしてあるんだけど、爆豪くんが絶対見るなって言うから」
「爆豪に内緒で全部見よ! アタシ騎馬戦で爆豪と一緒に戦ったんだよー! 爆豪が騎手でねー、その氷の轟対策に私と組んでたんだ。あ、切島と瀬呂はわかる?」
「切島くんは前に会ったことあるよ」
「そうなんだ。切島と瀬呂と、爆豪とアタシで組んでたの」
「すごいねえ……爆豪くんがチーム組むってことは、芦戸さんもすごいってことだよね?」
 爆豪くんのことだ。組んでメリットのない相手を、チームメイトに選ぶはずがない。
「いやいや、そんな。ていうかすごいって言えば麗日だよ。麗日なんてトーナメントで爆豪と戦ってるからね」
「お恥ずかしながら。まあ全っ然、歯ぁ立たんかったけどね……」
 と、そこで気付く。爆豪くんと騎馬戦で組んでいるということは、芦戸さんも本戦に進出、さらにそこでも勝ち上がっているということ。そして麗日さんは本戦のトーナメント戦で爆豪くんにあたっている。
「えっ、あれ、それじゃあ二人ともトーナメント戦まで残ってたんだ?」
「へへー」
 ピースをつくってはにかむ麗日さんと得意げにしている芦戸さんに、私は思わず「すごい……」と呟いた。
 爆豪くんがすごいのは分かる。彼は普通の男子よりもかなりがっつり身体を作りこんでいて、体格もよければ個性も戦闘向きだ。個性の使用を原則禁じられていた中学時代ですら、爆豪くんの実力は抜きんでていた。
 性格だって、かなり難はあるものの、向上心があって好戦的、絶対に敗北しない……というより何としても敗北を是としないさまは、ヒーローっぽいといえなくもない。しろうとの私にも、そのくらいはなんとなく分かる。
 けれど、見た目は私と大して変わらない芦戸さんや麗日さんも、間違いなく爆豪くんと同じ、雄英高校ヒーロー科の生徒なのだ。そのことを、改めて実感した。
 爆豪くんと手を組んだり、対等に戦ったりできる人たち。
 爆豪くんと比肩するヒーローの卵。
「爆豪はやっぱりすごいよね。あいつ、柄は悪いけど色々考えて特訓とかもしてるし。ちょっと前に必殺技を考える訓練があったんだけど、爆豪はなんかもう、最初からかなり練ってあった感じしたもん」
「あー、あれね、仕上がっとったね爆豪くん」
 麗日さんが、うむうむ頷く。
「爆豪くんって勉強もできるし、多分才能マンなのもあるけど、努力したりとかもきちっとやってるんやろうなあって感じする。デクくんといい、爆豪くんといい、すごいなぁーと思うわけでね」
「そういえば名前ちゃん聞いた? 爆豪と緑谷が真夜中にバトって謹慎くらった話!」
「えっ、なにそれ聞いてない」
 思いがけない話題が飛び出し、思わず私は前のめりになった。謹慎? バトった? 爆豪くん……はともかく、緑谷くんが?
「少し前、あれって仮免試験あった日の夜だっけ?」
「そうそう。夏休みの最後のほう」
「朝起きたら謹慎! 掃除当番! って言われて、もうびっくりしたよ。ふたりとも、めっちゃケガしとるし」
 ふたりの話を聞きながら、私は訳が分からず混乱していた。仮免試験の当夜ということは、爆豪くんが荒れに荒れた結果、緑谷くんに喧嘩を吹っ掛けた、というところだろうか。いや、しかし最近の爆豪くん、というか中三の春以降の爆豪くんは、そこまで露骨に緑谷くんに突っかかっていくことはなかったはずだ。いったい何があったのだろう。
 爆豪くんからは何も聞いていない。私には関係のないことだろうから、話してくれないのは当然のことだとしても。
「相変わらず仲は悪いけど、最近ちょっと、あのふたりの雰囲気変わったよね」
「ふたりってゆーか爆豪?」
「そうかも」
「爆豪もすっきりした顔してること増えたしねえ」
「すっきりと暴れてる」
「そうそう」
 最後の方はもう、ふたりの会話はあまり私の耳には入っていなかった。ただ内心で、深い納得感のようなものを感じていた。
 そうか、そうなんだ。爆豪くんが元気を取り戻したのは、きっと緑谷くんと何かあったからなんだ。何かけじめがつくようなことが、心境の変化ともよべるものが、爆豪くんのなかであったのだろう。
 何があったのかは分からないけれど、多分、きっとそういうことだ。私の知らないところで何かがあって、私の知らないところで片がついた。そういうこと。
 胸がまた、小さく一度、ちくっと痛む。
 爆豪くんはいつも、自分だけでちゃんと前に進んでいくことができる。私はそういう、爆豪くんの強くて、はっきりしているところが好きだ。
 元気になってくれたらいいなと、光己さんと一緒にいろいろ考えて差し入れをしたのとか、たぶんそういうのは全然関係なかったのだと思う。もしかしたら、少しくらいは何かあったかもしれないけれど、でも、それが大きく何かになったわけではない。
 ただ、爆豪くんのなかで何かしらの問題が片付いた。爆豪くん自身のちからで。
 そして私は、爆豪くんのクラスメイトに教えてもらうまで、そんなこと、ちっとも知りもしなかった。
「あ、そうそう連絡先交換しとこ! そんで学校近いんだし、また遊ぼう!」
 にこにこと笑う芦戸さんと麗日さんに、私も笑顔で携帯を差し出した。あっというまに連絡先が交換される。読み込まれた連絡先に、クラスの子にしか使わない可愛いスタンプを送る。
 学校での爆豪くんの話を聞けた。自分でのぞんでここに話を聞きに来たのだから、当初の目的は達成されている。
 爆豪くんのことを分かってくれる、素敵な級友がいることも分かった。私だって、麗日さんや芦戸さんのような、素敵な女の子たちと仲良くなることができた。
 嬉しくないはずがない。もちろん嬉しい。
 それなのに、どうしてだろうか。このあいだも感じたちくちくしたものが、またしても心の中を刺激する。ちくちくして、攻撃的で、居心地が悪い気持ち。
 嫌なものが、ふいに胸のなかからあふれ出て、嫌な自分になりそうで。
「うわっ、シェイクとけちゃう」
 ごまかすようにそう言って、私はシェイクを飲み干した。物理的に喉をふさいで、嫌なものが飛び出してこないよう気持ちを鎮める。
 効果があったのかなかったのか、そのあとはふたりと、最後まで笑顔で話しきることができた。




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