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あれから数日。薄々分かってはいたけれど、あれきり爆豪くんからの連絡はなかった。
爆豪くんのキャラを考えれば、向こうから謝ってくることなど、ほぼ確実にありえない。だから和解をするにしても、まずは私が引いて連絡をとる必要がある。
ただし今回にかぎっては、私のほうから連絡する気もなかなか起きずにいた。原因は明白、喧嘩の理由が爆豪くんの行きすぎた暴言にあるからだ。
もしもこのまま連絡をしなければ、最悪そのまま自然消滅ということだってありえる。というかもしかすると、爆豪くんのなかではすでに、私とは別れたことになっている……そんな可能性すらある。おそろしい話だけれど、爆豪くんなら大いにありうる。
しばらく眺めていた携帯を置き、私はソファーから立ち上がった。
もう夕方、いや夜といってもいい時間だ。それなのに、今朝起きたときと同じシャツとジャージのまま、今日もだらだらと一日を過ごしてしまった。夏休みの最初のデートで出鼻をくじかれて以来、何をするにもまったくやる気が起きなくなっている。
我ながら覇気のない動作でキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。今日は両親とも帰りが遅くなるらしい。昨晩のカレーを温めなおし、ひとりで夕食を済ませる。
爆豪くんは今ごろ、林間合宿中だろうか。カレーを食べながら、ぼんやりと考える。
昼も夜もクラスの友人たちと一緒に訓練したり寝食を共にしたり、もしかしたらレクリエーションなんかもあるのだろうか。それはそれは、さぞかし楽しいに違いない。私のことなんか、きっと一ミリも思い出したりしないのだろう。
「……どうせね、どうせ」
すねた気分になって、思わず大きな溜息を吐いた。
爆豪くんとデートをして、言い争って帰ってきたあの日。家に帰ってきてから、私もいろいろと考えた。
ブスと言われた直後は、とにかくその事実が腹立たしくて悲しくて、どうしようもなくて仕方がなかった。けれど落ち着いて思い返してみれば、そもそも他人の外見についてとやかく言うということ自体、人としてどうなんだという話だ。
いくら相手が私だからって、見たまんまブスとか言うの、まじで爆豪くん最悪では。
これが今の私の、爆豪くんに対する正直な感想、気持ちだった。
爆豪くんの性格が最悪なことは知っていたけれど、本気の本気で人間性が最悪だと思ったのは、中学時代、緑谷くんに自殺教唆しているのを目撃してしまったとき以来だ。そのくらい、今回のことには大きな衝撃と嫌悪感があった。
ただひとつ、緑谷くんのときと違うのは、今の私が爆豪くんと付き合っていること。そして多少なりとも、彼に対して情があるということ。
いくら性格が最悪だと分かっていても、今更嫌いになれはしない。いっそ最初みたいに嫌いになれたら。あるいは嫌いなままだったら。爆豪くんを見直すこともなく、仲良くなることも、好きになることもなければ。
けれど今更そんなことを考えたところで、すべては後の祭りだ。今はもう、「嫌」だとは思っても、「嫌い」とは思えない。だから今、私はこうして溜息を吐くはめになっている。
このままいけば、自然消滅かな。
ふとそんなことを考えて、また溜息がこぼれた。そもそも私が好きとか嫌いとか以前に、爆豪くんの方から願い下げだと言ってくる可能性もある。連絡をしてこないのは、爆豪くんも爆豪くんなりに、腹に据えかねるところがあるからなのかもしれない。
いやだな、こういう時間……。
私が別れを考えていない以上、決定権を握っているのは爆豪くんだ。少なくとも爆豪くんの林間合宿が終わるまでは、私はこのどうにもならない不安定な気持ちのまま、夏休みを過ごさなければいけない。そう思うと、とたんに憂鬱が加速する。
本日何度目かの、長い溜息。それを吐き出し終えたとき、ジャージのポケットに入れていた携帯が着信を伝えた。
もしや、爆豪くんから?
大慌てで画面を叩いて確認する。けれど画面を見て、がくりと肩を落とした。なんてことはない、発信元はクラスの友人のひとりだった。
しかし、メッセージではなく通話。何だろう、何か急ぎの用事とか?
「はぁい」
首をひねりながら通話ボタンを押すなり、電話の向こうから猛烈な勢いの叫び声が聞こえてきた。
「ちょっと名前ちゃん!! 大丈夫!?」
「えっ、な、何が……?」
あまりの声量に、思わず携帯を耳から遠ざける。友人の声はむやみと大きいだけでなく、激しく狼狽もしている。なにか重大なことがあったのだろうか。
「何が、じゃないよ! 爆豪くんのこと!」
「えっ、えっ、爆豪くんがなに? 喧嘩の話なら依然、膠着状態だけど……」
「そんな話じゃなくて! ていうかニュース見てないの!? どこの局も臨時ニュースで持ちきりだよ!?!?」
電話越しなのに唾が飛んできそうな勢いだった。通話をハンズフリーに切り替え、いそいでテレビをつける。
途端に目に飛び込んできたのは、夜の闇の中に浮かぶ建物と、その建物を囲むように鬱蒼と生い茂る樹木。どこかの施設を空撮で捉えた、ライブ映像だった。救急車両のランプが、画面のなかにやけに明るく映る。
「え、何これ」
このあたりは比較的都市部なので、近所の事件というわけではなさそうだ。家の外も、いたって静かなもの。
「このニュースがなに……」
困惑しながら電話の向こうに問いかけて、けれどすぐ、私の目は画面に釘付けになった。
早口なキャスターが捲し立てる言葉を、耳がランダムに拾う。
プッシーキャッツ、宿泊施設、雄英高校、敵連合、襲撃。
拾い上げた言葉が頭のなかでつながって、やがてはっきりと意味を持った。
「うそ……」
全身の血の気がさっと引くのが分かった。頭が混乱している。襲撃? 合宿所を、敵が、襲撃。
呼吸が知らず浅くなる。さっきから心臓が嫌な高鳴りかたをしていた。
爆豪くんが、爆豪くんたちが林間合宿で宿泊していた施設が、敵連合に襲撃されたのだ。そしてそこで民放も国営放送も、全局がこぞって臨時ニュースで取り上げるほどの、甚大な規模の被害が出たのだ。
爆豪くんがいる、その場所で。
「ね……、うそだよね……?」
漏れ出した声は掠れていた。自分のものとは思えないつぶやきが、余計に事の重大さを示しているように思える。
被害の詳細は不透明であり、敵の人数なども分かっていない。少なくとも、ニュースでは伝えられていない。それでも、そこで戦闘があったという事実だけは、はっきりと報道されていた。
「大変だ……どうしよう……」
爆豪くんがいる合宿所で、対敵の戦闘が発生した。そうなると、爆豪くんが戦闘に参加しているのではないかということを、いやでも想像してしまう。
引率の教師としてプロヒーローがその場にいるはずだけれど、敵の人数や規模によっては、生徒が戦闘に巻き込まれる可能性だってゼロではない。というか爆豪くんの場合、率先して戦闘につっこんでいきそうな喧嘩っぱやさがある。
「名前ちゃんしっかりして!? 大変どころじゃないよ! ていうかこれ爆豪くん無事なの!?」
「いや、そんな、ねえ。大丈夫だよ、爆豪くんは強いから。さすがに怪我くらいはしてるかもしれないけど、まさか死んではいないって、ねえ。……多分」
「そ、そうだよね? 体育祭一位だもんね?」
「そうそう。体育祭一位」
自分に言い聞かせるように、わざと軽い調子で話をあわせる。
実際には心臓がばくばくと早鐘を打っているけれど、それを悟られたくはない。友人に心配をかけたくはなかった。なにより、爆豪くんに何かあったかもしれないなんて、自分にも友人にも、そんなことを少しだって思ってほしくはなかった。
大丈夫、爆豪くんなら大丈夫。それは自分自身への暗示のようなものだ。
大丈夫。だって最後に会ったときは、あんなに元気にキレ散らかしていたのだし。まさかそんな、深刻な事態に巻き込まれてはいないはずだ。もちろん敵の襲撃を受けたというだけでも十分に深刻だけれど、でも、一学期のときだって、平気な顔をして生還したではないか。
「大丈夫、うん、大丈夫だよ。絶対」
何度も何度も、同じ言葉を繰り返す。大丈夫。爆豪くんなら、絶対に大丈夫。
そのとき、ニュースの中のキャスターが一段と声を高く大きくして、画面の外から手渡されたばかりの原稿を読み上げはじめた。
「たった今入ってきた情報です! この施設に宿泊していた雄英高校の生徒一名が、敵連合側に連れ去られ安否不明であるとの情報が入りました。この連れ去られた生徒は昨年にも街中で敵に捕らわれており、警察では今回の事件との関連を否定しながらも──」
爆豪くんだ。
そう直感したのと同時に、手にしていた携帯が、床に落ちる音がした。
それからのことは、正直ほとんど覚えていない。
雄英高校が大バッシングを受けていること、生還した雄英一年生たちのこと、敵連合のこと。ニュースでひっきりなしに流れてくる情報は、どれもこれもつぶさにチェックしていたはずなのに、まったく記憶に残らなかった。
爆豪くんが敵に連れ去られたと知り、私が真っ先にしたことは、緑谷くんに連絡をすることだった。緑谷くんの個人的な連絡先は知らなかったので、中学時代のグループトークから緑谷くんを探して連絡した。けれどその連絡にも、返信はなかなか来なかった。
もしや緑谷くんにも何かあったのでは。爆豪くん以外にも被害を受けた生徒がいるとは報道されていたけれど、まさか緑谷くんが?
返信を待つあいだは、ずっと生きた心地がしなかった。
やきもきすること二日。ようやく緑谷くんから返信が届いた。
待ちわびていた返信には、緑谷くんもひどい怪我をしていたこと、まる一日以上意識を失っていたことが記されていた。
文章を一度読み、思わず悲鳴をあげかけた。あっさりと書かれているものの、その内容は壮絶だ。緑谷くんですらそれほど大変なことになっていたのなら、それでは拉致されている爆豪くんは、一体どうなってしまっているのだろう。考えるだけで怖くなってくる。
おびえながら、それでもどうにか緑谷くんにお礼と、お見舞いのメッセージを送った。すると直後、今度は緑谷くんから架電があった。
挨拶もそこそこに、さっそく本題に入る。
「大丈夫、……とは言い切れないと思う、正直……。でも少なくとも、敵の目的がかっちゃんだったってことはたしかで、だから多分、そう簡単に殺されたりはしない……と、思う」
緑谷くんなりに励ましてくれているのだろうと思う。それは分かる。けれど話を聞けば聞くほど、私のなかの不安はどんどん膨らむ一方だ。
敵にさらわれただけでなく、最初から標的にされていた。なりゆきで無作為にさらわれるのと、端から狙われているのとでは、一体どちらの方がましなのだろうか。考えたくもない二者択一だ。
まだ入院中でそう長くは話せないという緑谷くんは、その情報を教えてくれたあと、少しだけ雰囲気を柔らかくして話を続けた。
「でもそっか……、苗字さんとかっちゃん、つ……付き合ってたんだ……」
「うん、実は、ちょっと前から」
「かっちゃん、そういうことあんまり人に話さないから」
「だろうね、緑谷くんと爆豪くんで恋愛の話なんて、死んでもしなさそうだよね」
気分が沈んでいくのをごまかして、私は緑谷くんと何でもない会話をする。それでも緑谷くんは察してしまったようで、わずかに声のトーンを落とした。
「……心配だよね、かっちゃんのこと」
「うん、……そうだね。すごく心配だよ」
緑谷くんのストレートな言い方に、私も自然にうなずくことができた。悩むこともなく、言葉がするすると紡がれる。
「気が付くとさ、爆豪くんに電話かけようとしてるんだ。拉致されてるんだし、携帯なんてさわれないだろうし、そもそも今、私と爆豪くんちょっと喧嘩してて……。だからさ、絶対出ないの、分かってるんだけどね」
こんな話をしても緑谷くんは困るだけだろう。そんなことは分かっている。
けれど今この状況で、こんな話をできるのは緑谷くんしかいないのも事実だった。緑谷くんは、自分だって大変だというのに、それでも私の話に静かに耳を傾けてくれた。
やがて緑谷くんは、何かを吹っ切るように言った。
「苗字さんが心配なのも分かるよ。でも、大丈夫だから。……信じて、待ってて」
そう言った緑谷くんの言葉はまっすぐで、声には芯が通っていた。中学時代に小突き回されていたいじめられっ子の影は、今はもう少しも感じられない。
誰のことを信じてほしいのか。緑谷くんにそれを尋ねるより先に通話は切れてしまった。お礼を言いそびれてしまったことに気が付いたのは通話のあとで、いそいで追撃のようにありがとうとメッセージを送ったけれど、それにはもう返事はこなかった。