02
翌日、学校に行くと爆豪勝己の席の周りには人だかりができていた。元から校内では有名人の爆豪勝己だけれど、全国ネットで大々的にその姿を報じられたことで、いよいよ有名人になってしまったらしい。
爆豪勝己が賞賛されるのも当然だ。ニュースの中継映像は私も見ていたけれど、つかまった爆豪勝己はひどく苦しそうに見えた。それでも生還したのだから、間違いなく勇者だ。私だったらあんなものに取り込まれ、あまつさえ人質にまでされた日には、多分三秒ももたず死んでしまうに違いない。そう考えるとやはり爆豪勝己はすごい人間だと思う。
まあ、私には関係ない話なんだけど……。
別に爆豪勝己と仲がいいわけでもないし、あの時の話を聞きたいわけでもない。何せ昨日、よく分からないまま喧嘩を売られて絡まれたばかりなのだ。うっかり話しかけようものなら、またぞろ爆破をされかねない。
触らぬ神に祟りなし。
触らぬ爆豪勝己に爆破なし、だ。
教室に入り、まっすぐ自分の席に向かった。席につき、持ってきた小説を開く。
普段より騒がしい教室の中で、耳から入ってくる音を意識しないよう努力した。もう十か月も経てば受験期間に突入する。無駄なことに割く時間はない。私みたいな人間は、特に。
その日一日を過ごしてみて分かったのは、どうやら爆豪勝己は周囲が思っているほど──そして私が想像していたほど、調子に乗ったり機嫌よくなったりしているわけではない、ということだった。
集まってきた人間が昨日の事件のことを持ち出そうとすると、あからさまに機嫌が悪くなる。一体何がそんなに気にくわないのかは知らないけれど、あの結果は爆豪勝己にとって、満足できるものではなかったらしい。
「緑谷くん、ぼんやりしてるけど大丈夫?」
放課後、掃除当番だった私と緑谷くんは、ふたりでせっせと教室のほうき掛けをしていた。ほかにも何人か掃除当番がいたはずなのだけれど、きっとサボって帰ってしまったのだろう。別に期待はしていなかった。緑谷くんと二人の方が気が楽でいいくらいだ。
私の質問に半拍遅れて気が付いた緑谷くんは、へへ、と力なく笑って見せた。目の下の隈がひどい。なんとなく全体的によれよれしているような気もする。
「だ、大丈夫。ちょっと色々あっただけだから」
「それ大丈夫っぽくないね……。爆豪くんに何かされたの?」
あまりにも爆豪勝己からの当たりがきついようであれば、一応は先生か親に相談した方がいいのかもしれない。そう思って尋ねたけれど、緑谷くんは驚いたように胸の前で手を振った。
「えっ、かっちゃん!? かっちゃんとは何もないけど……、そんな風に見える?」
「いや、何となく思っただけだから、何もないなら別にいいんだ。昨日も爆豪くんにひどいことされてたから、また何かあったのかなって思っただけ」
緑谷くんと爆豪勝己は幼馴染だというし、これまでにも緑谷くんが爆豪勝己からひどい仕打ちを受けているのは何度か目撃している。けれど少なくとも、今緑谷くんがくったりとしているのは、爆豪勝己とは何ら関係のないことのようだった。爆豪勝己には濡れ衣を着せてしまい申し訳ないことをした。
「かっちゃんのこと怒らせやすいみたいで」
眉を八の字に下げる緑谷くんに、
「というか爆豪くんが勝手に、というか一方的に怒ってるように見える」
そう言うと、緑谷くんはまた少しだけ笑ってくれた。少しでも元気になってくれたならよかったと思う。爆豪勝己と何があったというわけではないようだけれど、緑谷くんにも本人の言う通り、いろいろあるのだろう。
「受験生だしね、悩みのひとつやふたつあるよね。あと十か月、長いような短いような。はあ、受験嫌だねー」
集めたごみを塵取りで集めて掬いながら言う。私だって受験のために今年から塾に通うことになったし、そのせいで自分の趣味の時間は減るしで、まったく面白くない。
早く受験なんて終わってしまえばいいと思う反面、永遠に受験なんて来なければいいとも思う。まあこんな中学さっさと卒業しておさらばしてしまいたいので、永遠に受験が来なければそれはそれで困るのだけれど。
「ね、緑谷くんもそう思わない?」
緑谷くんに同意を求めて視線を上げると、教室の後ろの黒板を掃除していた緑谷くんは、何故かぽかんとした顔で私を見ていた。私と視線が合うと、彼は我に返ったようにわたわたし始める。そのせいで学ランの裾がチョークの粉で汚れてしまったけれど、緑谷くんは気が付いていないようだった。
「どうかした? チョークついて慌てた?」
「えっ!? あ、本当だ。いや、その、そうじゃなくて」
驚いて、と続けた緑谷くんに、私は首を傾げる。
「何に?」
みじかく尋ねると、緑谷くんはそわそわと視線を泳がせてから小声で「個性の話じゃなかったから」と言い訳のようなもごもごとした言葉を発した。
意味が分からず、無言で説明を求める。緑谷くんはあわあわと、全身で一所懸命説明を試みてくれた。
「ほら、僕、無個性だから……、悩みがあるって話になったとき、個性の話じゃなくて普通の受験生っぽいこと言われることに慣れてないというか、なんていうか、びっくりしたというか……」
「ああ、なるほど」
言われて合点がいった
たしかに緑谷くんが何か思い詰めていたとしたら、本来真っ先に思い浮かぶのは個性についての話だろう。特に私たちは受験生。雄英を受験するというのならば尚更だ。
個性の話は普段フランクに語られることも多いけれど、本来はセンシティブでデリケートな話題だ。どういう温度感で話すべきか。頭をひねりながら、私は口を開いた。
「なんとなくだけど……緑谷くんって雄英志望なんだよね?」
うん、と緑谷くん。
「無個性でも雄英を志望するってことは、個性についてのことはもう悩み抜いたあとっていうか……なんだろう、折り合い? みたいなのがついてるのかなぁと思った、かな。みんなと違って私、普通科志望だしね。そんなに個性のこととか気にしてなかったのもある」
「あ、そうなんだ……」
緑谷くんの表情がわずかにゆるむ。納得してもらえたのだと思うと、私も少しほっとした。
「うん。それに、私も無個性の気持ち、ちょっとだけ分かるというか……。そういうのもあって、あんまり話題に出したくなかったかも」
そう言って笑うと、緑谷くんは少しだけ気まずそうな顔をした。きっと緑谷くんも私の個性のことを知っているのだろう。彼の様子からそう察することができた。
緑谷くんとは少し違うけれど、個性の発現に関しては私もまた、少し特殊な経験をした。それなりに嫌な思いもしてきている。
「苗字さんは、個性が発現したときどう思った……?」
緑谷くんの質問に私は唸る。どうと言われても、正直に言えば、もうあまり覚えていない。
「うーん……そうだなぁ。厄介な、って思った……かな? こっちの気も知らないでって、感じで……。もちろん、嬉しくなかったわけじゃないけど」
「そっか……」
「まあでも、周りがうるさくなくなったのはよかったかな。緑谷くんに言うと失礼かもしれないけど、爆豪くんみたいな子に色々言われることもなくなったし」
個性について語られるとき、そこには多かれ少なかれ偏見と差別の色が滲む。優れた個性を持つものが人間として優れているとも限らないのに、あたかも個性の優劣が人格の優劣に比例するような言説が、平気でまかり通ってしまう。
生まれ持った素質をどうこうできるものでもないのに、人と比べること自体が馬鹿馬鹿しい──そんなふうに言う人間の方が少数派なのが現状だ。
「……苗字さん、かっちゃんのこともしかして嫌いだったり……?」
ふいに問われ、苦笑した。この流れで、爆豪勝己の話になるのか。
率直な物言いだったが、嫌な気はしなかった。緑谷くんの言い方が悪口めいていなかったからかもしれない。
「どうだろう。ほとんど話したことないからなー。あ、掃除終わった? こっちも終わったから私たちも帰ろうか」
掃除用具を片付けながら、私は言った。質問の答えはかなり分かりやすくはぐらかしてしまったけれど、緑谷くんははぐらかされたことに気が付いているのかいないのか、困ったような顔をして笑っていた。
★
緑谷くんとは校門の前で別れ、私は家ではなく駅へと歩き始めた。少し前から電車で二駅先の学習塾に通っており、週に何度かはそこの自習室を利用することにしていた。
夕飯を何か買っていこう。そう思い、駅のコンビニに入る。おにぎりとサラダ、パックのコーヒー牛乳をかごに入れてレジに並ぼうと歩き出したところで、いきなり後ろから強くどんと押された。どうやら誰かが通りすがりに私の背中にかばんを思い切りひっかけたらしい。
誰でもいいけど謝るくらいしなよ。そう思ってむっとしながら振り向いて、すぐに振り向いたことを後悔した。
私と同じく眉間にしわを寄せた爆豪勝己が、私を思い切り睨んでいた。
「ば、爆豪くん……、わあ、奇遇だね。こんなところで会うなんて」
「……あ?」
「あ、はい、ごめん」
精いっぱい愛想よくしてみたというのに、普通に睨みつけられた。愛想の振りまき損だ。
「ええと…… じゃあ、またね」
別に、こっちだって仲良くしたくて挨拶したわけではない。これ以上深入りしないように会話を切り上げ、私はそそくさとその場を立ち去ろうとする。
しかし、その選択が悪かった。爆豪勝己に背中を向けた瞬間、セーラー服の襟をぐんと引っ張られたのだ。思わず呻く。首がしまる、しまってる。
「げっほ、げほっ、な、なな、なに!?」
「なに帰ろうとしてんだ」
「いやそういう空気だったじゃん」
「勝手に空気読んでんじゃねえ!」
「全然意味わからん……!」
何故二日連続で、私は爆豪勝己に絡まれているんだろう。これまでほとんど会話なんてしたことなかったのに。
爆豪勝己にばれないよう少しずつ後退しながら、私は爆豪勝己を見上げる。視線をそらしたい気持ちでいっぱいだけれど、そらしたらそらしたで、また因縁をつけられそうな気がした。
「あの、私この後塾があるんですが」
遠回しに迷惑だと伝えると、爆豪勝己はバカにしたように鼻を鳴らす。
「んなもん通ってんのかよ、根暗」
「根暗じゃないし、受験生なんだから塾くらい通うよ。爆豪くんと違って、私は普通の人間なので」
「たりめーだろうが。俺はてめえみてえなひ弱な根暗とは違ェんだわ」
だからさっきから、私もそう言っている。
「そういうわけだから、もういいかな?」
「あ゛ァ!?」
「ヒエッ、こわっ」
威嚇され、私は頭を抱えた。
とにかく、このままでは一向に話が進まない。ひとまず、かごに入っている商品の精算だけでもしなくては。
「分かった分かった、とりあえずこれ買ってくるから、話はその後にしよう」
「話なんかねーんだよ」
ならば帰ってくれないか。もちろんそんなことは言えないので、「レジ前でたまるとお店に迷惑だよ」と微妙に論点をずらす。それでようやく、爆豪勝己は店の外に出ていった。舌打ちしながら去る後ろ姿は、まさしくチンピラそのものだ。
無事、精算をすませた。レジのコンビニ店員はいたわしげな目で私を見ていた。多分、カツアゲの被害者かなにかだと思われている。あながち勘違いでもないから悲しい。
コンビニの前で私を待っていた爆豪勝己は、レジ袋片手にあらわれた私を無言のまま睨みつけた。そういえば爆豪勝己も私と同じで制服姿のままだけれど、こんな時間まで家に帰らずに遊び歩いていたのだろうか。だとしたらとんでもない余裕ぶりだ。彼が受験する雄英はたしか筆記試験もそれなりに難しかったはず。受験勉強はしないのだろうか。
そんなことを考えながら何も言わないで爆豪勝己の言葉を待っていると、爆豪勝己は面白くなさそうに舌打ちをした。そして言う。
「てめェ、根暗モブのくせになんでそんなふてぶてしいんだよ」
「は?」
思わず、素でリアクションしてしまった。なんだか今、ものすごく理不尽なことを言われたような気がする。
「耳元で爆破されりゃ、普通は泣くかビビるかするだろうがよ。どいつもこいつも、身の程わきまえてねーやつしかいねえのか」
あまりの言い草に、私は口をぽかんと開けていた。こいつ、自覚があったのか。自覚があって、そのうえであの暴力的な個性の行使に至っていたのか。まじか。
率直に、ものすごく引いてしまった。
「いや……、普通に怖いとは思ってるけど……。ていうか自覚ありであれなんだね。爆豪くんめっちゃ怖いじゃん」
「るっせんだよ。つかビビってんだったらもっと分かりやすくビビれや、おもくそガンつけやがって」
「出た言いがかり」
「言いがかりじゃねえ! 何かにつけちゃクソ生意気な顔でこっち見やがって」
爆豪勝己は怒り心頭だ。そういえば、爆豪勝己は昨日も同じようなことを言っていた気がする。私には爆豪勝己を見ている意識なんてまったくないし、むしろできるだけ視界に入れないようにしているくらいなのに。
一度ものすごく引いてしまったためか、なんだか妙に冷静になっていた。そのためだろうか。普段なら怖くて言えるはずないことも、今なら言える気がする。
そんな心情に後押しされ、私は口を開いた。
「あのさ、爆豪くん。爆豪くんがどういう状況の話をしてるのか、私は本当に、全然分かんないのね。爆豪くんの言う睨んでる? とか、ガンつけてる? とかも身に覚えがないし。昨日も言った通り、爆豪くんが不快に思うなら謝るけど」
「何聞き分けいいこと言っとんだ。ごめんで済んだらヒーローいらねんだよ」
「うーん、堂々巡り」
爆豪勝己は今日何度目かの、不機嫌そうな息を吐き出した。これはもしかして、昼間の機嫌の悪さを引きずっているのだろうか。だとしたら完全な八つ当たりじゃないか。
冗談じゃない。ただでさえ忙しい受験生なのに、こんなところで爆豪勝己の八つ当たりに付き合っている暇など私にはない。
面倒になって、私は会話を切り上げることにした。
「とにかく、私は爆豪くんと喧嘩するつもりはないし、喧嘩売ってるつもりもないし、気に入らないなら関わらないでほしいし、私もこれまで通り極力爆豪くんには関わらないようにするよ。もしガンつけてるように見えたら、それはおそらく爆豪くんの気のせいです。私にそのつもりはありません。だからあと十か月、卒業まで今まで通りの絡みのないクラスメイトでいよう」
変に笑いかけたりしたらまた怒られそうなので、極力普通に、頼み事をするテンションで、一息に言い切った。私の言いたいことはこれで全部だ。
爆豪勝己は眉間の皺を一層深くする。むっつりと黙り込んで、こっちを睨みつけていた。普段から所かまわず他人に罵詈雑言を浴びせるような人間が急に静かになると、それはそれで怖い。
ちらりと腕時計を見る。そろそろ電車に乗らなければ、自習室の開講に遅れてしまいそうだった。
「それじゃ、私は塾に行くので」
爆豪勝己の返事を待たず、くるりと背を向ける。今度こそ、全力でその場から走り去った。振り向いたりはしないけれど、爆豪勝己が追ってくる気配はない。
ぎりぎり滑り込んだ電車に乗り込んで、私はほっと胸をなでおろした。かばんから読みかけの小説を取り出す。
少し早い帰宅ラッシュで、電車のなかはひどく込み合っていた。ほかの乗客たちから四方八方ぎゅうぎゅうに押しつぶされる。どうにかポジションをとり本に視線を落としているうち、爆豪勝己との一件についてはいつの間にやらすっかり頭から抜け落ちていた。