21

 改札を出て緑谷くんと別れると、ふたたび爆豪くんのことを考えながら歩いた。金曜の夜以来、何かに集中していたり誰かと会話をしていないと、すぐに爆豪くんのことを考えてしまう。爆豪くんのことで頭がいっぱいになっている。
 なんだかおかしくなってしまったようだ。
 これではまるで、爆豪くんのことが好きみたい。いや、でも別に好きになってはいけないということはないわけで。というかもしも私が爆豪くんのことを好きだとしたら、それってつまり私と爆豪くんは両思いということになるのだろうか。益体のないことをぐるぐる考える。
 けれどすぐ、あることに気が付いた。
 でも別に、爆豪くんから好きって言われたわけではないんだよね……。
 手に持った傘を杖代わりにこつこつ鳴らしながら、私はうんうん唸りつつ歩く。
 そう。爆豪くんが私のことなんかを好きになるわけがないという言葉こそ暗に否定されたものの、だからといって、爆豪くんから好きだと言われたわけではない。「好きにならないわけじゃない」と「好き」ではまったくの別物だ。
 とはいえ、ああも真剣な表情で否定されれば、それはもう好きと言われているのと同じなのではないか。都合がいいのか悪いのか、そんなふうに勘繰ってしまう自分もいるわけで。
 結局のところ、事の真相は爆豪くん本人に聞かないことには謎のままだ。肝心のところ、最後のピースはどうあがいたって、爆豪くんが握っている。
 会って話をしないことには何も始まらない。
 けれど、もちろんそれはそうなのだけれど、会うと言ったってそれが一番ハードルが高いから困っているのであって。多分避けられているこの状況で、拒否される可能性が濃厚なのに爆豪くんを呼び出せるのか。よしんば呼び出せたとして、私は何を話せばいいのだろう。
「好き、かぁ……」
 周りに人がいないことを確認し、声に出して呟いてみた。けれどそれは中身を伴わない、どうにもうつろで空っぽの言葉にしか聞こえない。
 好き、好き、好き。
 爆豪くんは私のことを好き、かもしれない。全然そんなふうには見えないけれど、そうなのかもしれないらしい。
 根暗女とかモブとか無能とか、ちょっと思い出してみるだけでも多種多様な悪口をぶつけてくるけれど、それでも、それなのに、どういうわけか私のことを好きかもしれないのだ、爆豪くんは。

 だけど、それじゃあ、私は?

 ふいに、そんな問いが頭に浮かんだ。
 降ってわいた疑問に、一瞬頭が真っ白になる。その問いへの答えを探すのに、一秒。そのまま数秒の間をとったあと、今度は勢いよく顔が熱くなった。
 私は? 私はじゃあ、どうなんだ?
 みずからを省みた瞬間、急にからだが火照りだす。まるで全身の血が沸騰したみたいに、制御できない熱が生まれる。
 この間まで感じていたむずむずした気持ちとは、とてもじゃないけれど比にならない。
 感情というよりは、衝動に近かった。
 滾るように熱くて、ほかの感情すべて置き去りにするように強い。からだの中で火花が散って、はでな閃光、爆発が起きたみたいだ。
 それはまるで、私がかつて見た景色のように。
 爆豪くんの手のひらが起こす爆破のように。
 なんなんだこれは。
 突如として訪れた激しい衝動に、私は激しく困惑した。
 私は爆豪くんのことを好きなのか。
 そんな当たり前に考えるべき事柄を改めて思考しようとしただけで、痛いくらいに身体と心が熱くなる。
 こんな気持ちを、私は知らない。こんな途轍もない感情を、こんな手の付けようがない衝動を、私は感じることができたのか。
 手の付けられない奔流のようなもの。それでも女子として十五年間生きてきた経験から、この感情に結びつく名詞の心当たりくらいはある。
 つまるところ、私は爆豪くんのことを憎からず思っているということ。爆豪くんのことを、好きだということ。
 ……え、本当に?
 自分自身がくだしたその判断に、ほかでもない自分自身で驚いた。だって、相手は爆豪くんだ。あの爆豪勝己。
 爆豪くんのこと、好きになること、あるか?
 先ほどまでの激しい感情のうねりも、思わずいったん冷静になってしまった。爆豪くんを好き? 私が? いや、私か。私しかいないか。
 と、その時。
「名前ちゃーん、おっはよー」
「うわあっ!?」
 驚きすぎて思わず飛び上がる。考え事にふけっていたせいで、完全に不意を衝かれてしまった。
 柄にもなく大きな声を上げて驚く私に、友人はすぐに何かあったことを察したらしい。ははーん、とにやにやしながら言うと、私の顔をびしりと指さした。
「ねえ、何考えてたか当ててあげようか? 爆豪勝己のことでしょ」
「な、なん、なんで」
「いや、分かりやすすぎだからね。そういや映画行くっていってたのって先週末だっけ? ていうことは、アレか? 告白された? んで付き合った?」
「ち、ちが、ちがう」
「名前ちゃん、目が泳いでるよぉ?」
 面白がっている友人は、是が非でも事の顛末を聞きだしてみせるとでもいうように、がっしり力強く私の腕をつかむ。学校まではまだしばらく歩かねばならない。そのあいだ黙秘で逃げ切るなんて、今のメンタルがぐらぐらな私に到底できるはずがなかった。
「……いや、本当に、全然たいした話じゃないんだけど」
「大丈夫、たいした話かどうかはこちらが聞いて判断するから」
「鬼の尋問……」
 結局、私は金曜日の出来事の一部始終を友人に話すはめになった。さらりとふれるにとどめようと思っていた帰り道のやりとりまで克明に語らされてしまい、話を終えるころには羞恥と情けなさと混乱で、立っている気力すら失っていた。
 こんな話を第三者にしたことがバレたら、確実に爆豪くんに締められる。どうかこの友人が、死ぬまで爆豪くんと相見えませんように。それだけを強く願う。
 私の話を最後まで聞き終えた友人は、顔を伏せ、ふーっと長く息を吐き出した。そして、
「爆豪勝己って、めっちゃ名前ちゃんのこと好きじゃない!?」
 なんとも恐ろしいことを言って、輝く笑顔を私に向けた。
「ねえそれ、普通に好かれてるやつじゃん! ていうかそれで好きじゃないとかありえないでしょ。いやー、でも、そっかー。あの有名人の爆豪勝己が名前ちゃんとねー。ふんふん、爆豪勝己のこと全然知らないけど、多分お似合いだと思う! ていうか両想いじゃん、よかったね!」
「いや待って……」
 さらりと言ってのける友人に、私は慌ててストップをかけた。このままでは私が引っかかっている部分が、土石流のような友人の言葉で流されていってしまう。
 私の腕をつかんだままだった友人の手をはずし、私は友人の顔を見つめる。ここで流されてはならんと、私は少しだけ両目に力を込めた。
「あのさ、いくら何でもそれは展開が早すぎない? 盛り上がるならせめて、もっと平易に分かりやすくというか……初心者の私にも分かるように説明してからにしてほしいんだけど……。そんなにいろいろ端折らないで……」
「ええ? そうは言ってもなぁ、名前ちゃんは具体的にどこら辺が分かんないの?」
「そもそもね、まず両想いってことは爆豪くんは私を好きなの? 私は爆豪くんを好きなの?」
「そこからなの? 分かりやすく初歩っていうか、それチュートリアルじゃん。義務教育で済ませてきなよ、そういうのはさ」
「私の疑問ってそんなレベルなんだ……」
 思ったよりも出来が悪いらしい自分の情緒に、不甲斐なさを噛み締めた。
 しかし、そうなるとさらに事態は切迫している。義務教育レベルでつまずいている私が、高校生の恋愛を自力で理解・解決できるとは思えない。
 そのうえ、猶予もそう残されていない。いつまでも爆豪くんを怒らせたままにしておくことはできないし、対応が遅れるほどややこしくなっていくことは、さすがに鈍い私でも分かる。
 助けを求め、友人を見つめる。
 友人は呆れたように溜息をついた。
「まずさ、名前ちゃんの知ってる爆豪勝己ってどんな人?」
「えっと、口が悪くてすぐ暴力行為に訴えがちで、短気で辛辣で傍若無人で傲岸不遜なヤンキー」
「名前ちゃんは爆豪勝己のことが嫌いな可能性出てきたな」
「いやいやいや、大丈夫、嫌いではないよ」
 さすがに今のは言いすぎた。それに中学時代の爆豪くんへの印象まで混ざっている。今の爆豪くんは、中学時代よりはずいぶんましだ。
「今はそんなに……ちょっとぬるくなってきたというか。いや、ぬるく、じゃなくて丸く、か。あとたまに、本当にたまに、すごく分かりにくく優しいときもあるよ。暴言吐きながらも家まで送ってくれたり、ほとんど私のこと無視しながらも一緒に通学してくれたり、あと私のこと荷物置き扱いしながら電車で席譲ってくれたり」
「悪口の陳列?」
「え? 直近のハートフル爆豪くんエピソードなんだけど」
「ハートフルではないんだよなぁ」
 どこの世界のハートフルなのそれ、と友人が笑う。どうやら爆豪くんと親しくしているうちに、私の中ではハートフルエピソードの閾値が恐ろしく下がってしまっていたらしい。
「やばい、いつのまにか爆豪勝己くんに毒されている……?」
「まあまあ。環境に順応したと思えばいんじゃない? ていうかアレだな、あばたもえくぼ的な。あるいは暗殺を生業とする部族の人たちが普段から少量の毒を服用することで耐毒性を身に着ける的な」
「涙なくしては見られない過酷な過去と同じ扱いなんだ……」
 友人はまあまあ、とまた笑う。
「私からみれば、爆豪勝己ってだいぶ人間としてやばいやつなんだけど。それでも名前ちゃんは爆豪勝己のこと、見所のあるまあまあ優しいやつって思うんでしょ? 会えないと寂しいし、会いたいなとも思うんだよね?」
「それはまあ、……うん」
「私は名前ちゃんじゃないから分かんないけど、それを『好き』って認めるのは、そんなに難しいこと?」
「……たぶん、難しくない」
 今度は不思議と、すんなり受け入れることができた。
 あの言い知れぬむず痒さや、ふわふわとしたもので満たされる感覚。そして先程感じた全身の血液が沸くような目まぐるしさ。私から爆豪くんへの、溢れ出しそうになる気持ち。
 世間ではこれを、恋と呼ぶのだろう。たとえ人によって感じ方が違っても、私にとってはこれが好きということ。
「爆豪勝己もきっと同じだよ、知らんけど」
 暴言ばかりで時々暴力行為もあって、ぶっきらぼうで素直じゃなくて、分かりにくくて不器用で。
 だけどあれが爆豪くんの、爆豪くんなりの「好き」の形なのだろう。確信はないけれど、きっと、多分。
 「爆豪くんが私を好きになんてなるはずがない」、でもそれをいえば私だって、爆豪くんを好きになるなんて思わなかった。
 勝手に爆豪くんの気持ちを決めつけて、そんなことあるはずがないと目を背けたのは私だ。爆豪くんはあんなにまっすぐ私を見てくれていたのに。




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