15

 爆豪くんと一緒に通学したその日、何とか高校までたどり着き自分の教室の中に入ると、まだ名前も覚えていないクラスメイトたちが揃いも揃って一斉に、且つ遠巻きに私を見た。
 理由に心当たりがありすぎる。肩を落としたくなるのを必死でこらえ、あくまで平静を装って自分の席に向かった。ていうかみんな、情報が早い。
 できるだけ余裕にあふれた動作で、何事もなかったかのように自分の席に腰をおろす。直後、はらはらした顔で遠巻きに私を見ていたうちの何人かが、わっと寄ってきて私の席を取り囲んだ。
 もちろん、そこは折寺中とは違う品行方正な生徒ばかりの夢咲女子。いきなり周囲を取り囲んだところで、リンチのりの字も感じられない、なんともおどおどとした動き。
 これこれ、これこそ私が求めていたものだ。内心、くぅーっと感じ入る。
 やがて私を取り囲んだうちの一人が、やや前のめりになって、朝の挨拶もそこそこに質問を飛ばした。
「苗字さん、駅で雄英のヤンキーにカツアゲされたって本当? 大丈夫だった?」
 ここで「雄英に彼氏いるって本当!?」とならないあたりが、なんとも爆豪くんと私だった。たしかに駅での私たちのやりとりを見ていれば、カツアゲかぶつかりおじさん、いや、ぶつかり男子としか思えないだろう。あれを恋人同士だと認識する人間がいたとしたら、恋人の認識が致命的に終わっている。もっとも、実際にはぶつかっていったのは私の方だけれど、ともかく。
 もちろん私と爆豪くんは恋人ではない。しかし、ヤンキーとカモというわけでもない。爆豪くんはヤンキーかもしれないけれど、私はカモではない。カツアゲもされていない。
「雄英のヤンキーとは喋ってたけど、カツアゲではないから大丈夫」
「苗字さん、ヤンキーと知り合いなの? スケバンってやつ!?」
 スケバンて。思わずずっこけそうになる。ヤンキーはまだしも、スケバンは死語じゃないのか。
「や、違う。スケバンでもない。あれは中学が一緒だった知り合いで、たまたま電車が同じだったから、途中まで一緒に登校してただけ……」
「そんな平和そうな感じには見えなかったけど……?」
「彼ちょっと情緒不安定というか、怒りっぽい……繊細な性格で……」
 さすがに繊細という言葉の意味を捻じ曲げすぎているかもしれない。クラスメイトたちは皆困惑したように、おたがいの顔を見合わせた。

 ここ夢咲女子高校は俗に言うところのお嬢様学校というやつだ。偏差値的にも文句なしの難関校なのだが、特筆すべき点は偏差値よりもむしろその校風にある。
 穏やかたれ、清廉たれ。
 淑女たるもの和を尊び、常に楚々とすべし──そんな空気が、校内にはこれでもかというほどに充満している。特に中等部からの内部進学組には、一切の誇張なく蝶よ花よと育てられてきた生粋のお嬢様が多い。
 彼女たちは折寺中のような荒れた学校とも、そこで頭を張っていた爆豪くんのような存在とも縁がない。駅で友人相手に恫喝行為に及ぶ人間が存在するといわれて困惑するのも、ある意味仕方ないことだった。そもそも住んでいる世界が違う。
 そんなハイソサエティの住人である彼女たちに爆豪くんのことを説明するためには、ひとまず爆豪くんの分かりやすく凄い面をアピールするしかない。
 別に爆豪くんのことを売り込む必要もないのだけれど、爆豪くんの友人として、彼の汚名を少しでも雪いでやりたい……というのはもちろん建前だ。このままでは私までヤンキーの一派に認定されてしまう。せっかく掴んだ穏やかな高校生活。それだけはなんとしても避けたかった。
「えーっと……、たしかに彼は凶悪で狂暴な人間性を秘めてはいるんだけど、でもあれでも一応雄英のヒーロー科だし……、あっ、そう、一般入試一位通過だったらしいしね? そう、だからたぶん、本当はすごい人なんだよ」
「そうは見えなかったけど……。苗字さん大丈夫? 騙されてない? 詐欺とかじゃない? 彼、法はおかしていない?」
「その手の悪人ではないから、本当に……」
 ヒーローを志す高校生に、さすがに順法意識が欠けているなんてことは……いや、でもどうだろう……緑谷くんとの一件もあるし……私も訴えたらぎりぎり勝てそうなこと、何度かされてるな……。
「まあ、でも、本当に、大丈夫だから……」
 自分でも苦しいと感じる説明を、なかば自己暗示のように私は繰り返した。
 雄英高校ヒーロー科といえば、押しも押されもせぬ名門校。あんな粗暴な人間が所属しているはずがない、というのが彼女たちの、そして世間の感覚だろう。しかも入試一位突破。私だって、知り合いでなければ詐欺だと思うに違いない。
 そういえば中学時代にも、爆豪くんとの交友関係について苦言を呈されたことがあったっけ。真面目な人ほど爆豪くんの人間性に眉を顰めてしまうのは、もう仕方ないことなのだと思う。
 私だって一年前ほどではないにせよ、爆豪くんの人間性に疑問を持つことは多い。それなりに親しくなった今も、過去の爆豪くんの悪行にかんしては、本気でありえないと思い続けている。
「爆豪くん、あ、彼の名前、爆豪くんっていうんだけど……、だいぶ人としてアレなところはあっても、話してみたら会話全体の七割くらい、いや六割くらい……? とにかく何割かは普通に会話も成立するし、だから、ね。大丈夫」
「それはだいぶ……だいぶ、その、アレだね」
「うん、でも慣れれば平気だよ。中学のときはあんなんでも普通にクラスに馴染んでたし」
「苗字さんってすごい中学にいたんだね……」
 うっかり出身中学の治安の悪さを露呈してしまった。別にみんながみんな爆豪くんみたいじゃなかったよ、と慌ててフォローする。
 本当は爆豪くんだってそこまで嫌な人間ではないのだけれど、その辺りはこれ以上はうまく説明できる気がしないので、無理に弁明するのは諦めた。実際、人格に問題があることには変わりないのだし。
「雄英といえばさ、今年はオールマイトが先生やってるんだよね。すごいよね」
 クラスメイトのひとりがうっとりと言う。普通科といえど、さすがに国民的ヒーローには関心があるらしい。そういえばそうらしいね、と私は当たり障りない返事をする。
 ヒーローといえば今や一職業の枠を超え、超巨大なジャンル・市場となっている。けれど正直なところ、私はヒーローという職業についてはそんなに興味も関心もない。
「……爆豪くんもオールマイトの授業受けてるのかな」
 思ったことをそのままぽつりと口にすれば、
「苗字さんはそのバクゴークンのことが好きなの?」
 とクラスメイトに尋ねられる。
「えっ!? それはないけど、なんで?」
「だって、なんか苗字さん爆豪くんの話するとき、面白そうにしてるから」
「面白そう……?楽しそうとか嬉しそうとかではなく?」
「うん、にこにこっていうよりはにたにたしてる」
「それはちょっと嫌だなぁ」
 そのとき、教室内に予鈴が響きわたった。私の席の周りに集まっていた女子たちは三々五々に散っていき、すぐに教室内はしんと静まり返る。やはり、圧倒的にお行儀がいい。
 それぞれの席に戻っていくクラスメイトたちを見送り、私はちらりと携帯の画面を確認した。爆豪くんとは連絡するしないで朝からひと騒動あったけれど、私はまだ、爆豪くんには何のメッセージも送っていなかった。
 あのあと爆豪くんとは改札で別れたけれど、騒動のあいだ通り過ぎていく人たちの中には、雄英生の姿もちらほら確認された。もしかしたら爆豪くんも私と同じように、今頃クラスで問い詰められているかもしれない。
 そうだとしたら、悪い事をしてしまったなと思う。爆豪くんに対してではなく、爆豪くんを問い詰めてしまったかもしれない、爆豪くんのクラスメイトに対してだ。
 顔も名前も知らない爆豪くんのクラスメイトが受けるであろう、爆豪くんからの地獄の制裁を思い、私は心の中で合掌する。爆豪くんの連絡先からトーク画面を開くと、短いメッセージを作成し、送信した。

 ★

「おい爆豪、お前他校の女子のこと駅でタコ殴りにしてたってマジ!? 噂になってんぞ!」
 登校直後、朝一で金髪のやつが意味のまったく通じないことを言いながら、馴れ馴れしく俺の席に近付いてきた。
 新学期が始まって今日で二日。クラスのやつらの名前も顔もまったく覚えていないが、目の前のこいつが多分アホなんだろうということだけは分かる。そう思ったことにさしたる理由もないが、とにかくアホに違いない。
 そんなアホみたいな金髪のせいで、朝のホームルーム前のクラスの注目は、一気に俺に集まった。アホが余計なことをしやがる。
「知らねえ」
 面倒に思いながら短く否定した。しかしアホは俺の言葉など聞いていない。勝手に俺の席の横に立つと、聞いてもいないことを何やらべらべら話し始めた。
「つーかやばくね? 入学二日で他校と揉めんなよ! しかも暴力沙汰て! お前まじでヒーロー科かよ!」
「だから知らねえっつってんだろうがクソ金パ」
「クソ金パ!?」
「あ、俺朝それ見たけど、殴ってはいなかった。けど女子に怒鳴ってたのは見てた」
 アホに便乗して薄い顔のやつも話に混ざってくる。つーか誰だよお前ら。名前すら知らんやつらが俺の許可無く勝手に喋りかけんな。
 思い返せば苗字の相手をしてやっていたときに、ウチの生徒が何人か通っていったような気がしなくもない。しかしまさか、その中にクラスのやつがいたとは思わなかった。そのせいで、朝からしち面倒くさい絡まれ方をしている。
 そもそも苗字がひ弱すぎるのが悪いのだ。あんな大したことのない電車の揺れで倒れてくるなど、そんなこと俺が予想しているはずもない。予想以上のひ弱さだ。
 思い出しただけで腹が立つ。おかげで不意をつかれた。しかも根暗女のくせして、何やら嗅ぎなれない甘い匂いをさせていた。根暗の分際で。中学のときのあいつからはあんな匂いはしなかったはずだ。
「おおーい、爆豪? 話聞いてる?」
 苗字のことを思い出して腹を立てていたら、金髪がひらひらと俺の視界で手を振った。
「あ゙? 聞いてねえに決まってんだろブッ殺すぞ」
「なんでだよ!」
「うるせえ」
「いや、だからさ、実際揉めてねえなら釈明しとかねえと、お前入学早々謹慎とかになっても知らねえぞっつってんの。ヒーロー科その辺厳しいって聞くしさ」
 アホのせいで話がいっこうに進まないのに焦れたのか、薄いのが横から口を挟んだ。その言葉は、先ほどまでのアホの発言と比較すれば、まあ多少聞くに値した。
 たしかに、一理ある。こんなクソくだらないことで教師からあれこれ言われるのは面白くない。こいつ以外にもあの現場を目撃したやつは少なくないはずだし、色々憶測が飛び交って話がでかくややこしくなるのは避けたかった。苗字の学校のやつらは苗字が勝手にどうにかするだろう。つーかしろ。
「……別に。中学一緒のモブと普通に通学しただけだ」
「女子相手に怒鳴ってたのに、なお普通って言い張んのかよ……。お前の普通って何だよ。こえーよ」
「あ゙ァ?」
「だからいちいち威嚇すんなって! 近所の産後の犬かよ!」
「んだその分かりづれえ比喩は!」
 アホ相手にそんな話をしていたら、ふいに制服のズボンのポケットに入れていた携帯が鳴った。こんな時間に連絡してくるなんてどこのアホだ。次から次へとアホしかいない。
 目のまえのアホがまだ何か喋っているが、それを無視して俺は携帯を確認する。
「……!」
 表示されていた見慣れないアイコンは、テーマパークでキャラの耳付きの髪飾りをかぶった、浮かれ顔の根暗女の写真だった。

“ また電車かぶったら一緒に行こうね ”
“ 爆豪くんもううちの学校でやばいやつ扱いされてる ”
“ はやすぎ ”

 その何とも脳天気な文面に、何故だかよく分からない、ぐにょぐにょとした感情がわきあがる。
 なにが「また一緒に」だ。誰があんな根暗女なんかと一緒に通学するものか。
 腹立ちまぎれにうるせえとだけ返信して、俺は携帯をまたポケットに戻す。
「爆豪? 聞いてる?」
「聞いてねえっつってんだろ」
 しつこいアホに返事をし、俺は窓の外に視線を転じた。
 ちくしょう、何もかもがクソむかつく。明日の朝、電車であの根暗女に会ったら文句のひとつでも言ってやろうと、そう心に決めた。




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