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社会人になって数か月経った、十一月下旬。私は昼休みのラボの自席で、携帯の画面を睨みつけていた。
今日は待ちに待った今期ビルボードチャートJPの発表日。発表会に先駆けて、正午ちょうどに速報がネットで発表されている。ページを開き、目を細め、私はチャートを上から確認していく。
今期も変わらず、ナンバーワンにはルミリオンの名が燦然と輝いている。以下、ショート、シンリンカムイ、Mt.レディと名だたるヒーローたちがずらりと名を連ねている。
ページをスクロールし、大・爆・殺・神ダイナマイトの名前を発見したところで、私は止めていた息をはあああと長く吐き出した。
キャリア七年目。上の世代が詰まっているなかで考えれば、かなり上位には入っている。が、今期のトップテン入りは逃していた。
いや、分かる。今期は大きな災害や事件が起きなかったことで、どちらかといえば実績よりも支持率偏重の結果になっている。とにかく実績でアピール、結果を出しゃ評価なんざ後からついてくるだろというスタンスの大・爆・殺・神ダイナマイトには、かなり苦しいシーズンだったはず。
しかし、けれど、だからって。
「ううう……、なんで? いや、こんだけ活躍してるんだから、もうちょい上でもおかしくないでしょ……」
出てしまった結果に文句を言っても仕方ないと知りつつ、それでも不満を隠しきれなかった。
いや、絶対おかしいって……。みんな大・爆・殺・神ダイナマイトの暴言を、そのまま真面目に受け取りすぎでは? あんなものは季節の挨拶みたいなものなんだから、適当に聞き流しておけばいいじゃないか。というか言い方が悪すぎるだけで、べつに発言内容自体は間違っていないことも多いし……。
ちなみに過去、大・爆・殺・神ダイナマイトがもっともトップに近づいたのは、彼が右腕のけがから完全に復帰した実質のデビューシーズンだ。その際に出したコメントで「同情票も高校時代の懐古票も、んなクソみてえなもんは一つもいらねンだよ」とか言っちゃったせいで、今こんなことになっている。本当に、なんでそんなこと言うんだ。別れた人間がこんなこと思うのもどうかと思うけれど、いい加減爆豪くんには謙虚って言葉を覚えてほしい。
私が大・爆・殺・神ダイナマイトの結果に頭を抱えていると、外に昼食に出ていた同僚の何人かが戻ってきた。携帯の画面を見ている私に気付いて寄ってくる。
「苗字さん、それビルボード?」
「そうです、今日が発表ですよ」
「どれどれ、見せて見せて」
職業柄というのもあるけれど、この会社で働く同僚たちはみな、世間一般の平均以上にヒーローへの関心が強い。仕事として契約しているヒーローのサポートアイテムだけでなく、自分の好きなヒーローや注目されているヒーローに、どういうサポートアイテムを提案するか、なかば趣味として考えているような人たちばかりだ。
私や同じ部署の同僚は畑が医療・福祉のほうにあるので、ほかのメンバーほど熱心にヒーロー業界に関心を持っているわけではない。それでも私に限っては、学生時代のヒーロー文化への無関心を思えば、これでもずいぶんヒーローに興味を持つようになったほうだ。
先輩のひとりが、椅子を転がし近くにやってくる。昼休みはまだあと十五分ほど残っている。
「うちのラボは当然として、この時期はやっぱ世間全体が盛り上がるよねぇ。で、私の推しのファントムシーフはどうだね」
「ええと……、だいたいいつも通りの位置ですね」
「うんうん、いつも通り私のなかではナンバーワンだね」
うむうむ、と頷く先輩。爆豪くんや緑谷くんの代の雄英生は、当時のA組だけでなくB組も人気が高い。実力は大戦の成果として折り紙付きなうえに、メディア露出も盛んだ。
「苗字さんの推しはどう? 上がった?」
にやにやと問われ、私はぐっと拳をにぎりしめた。
「健闘は、健闘はしてるんですが……!」
「下がってるんだ。あははははは。まあ、このあいだクッソ態度悪い動画で炎上してたし、しゃあないね」
「いいところはバズんないで、悪いとこばっか炎上するのなんなんですかね? いいとこもあるはずなのに……あるはずなのに……」
「いいとこってどこ?」
「やっぱほら、単純に強いし。強さってかっこいい」
「うちのラボでもトップレベルの頭脳を持つとは思えぬ、頭の悪い表現。単純な強さだけじゃ、チャート上位は厳しくない? そもそも凶悪敵自体減ってるわけだし」
先輩のいうことは正論で、私には反論のすべもない。
かつてのメディア映え重視のヒーロー業界ではなくなったものの、近年の「実績」はどちらかといえば、社会貢献度やクリーンな印象を重要視する感が強い。家庭に問題を抱えていたエンデヴァーや、現代社会と真っ向から対立した敵連合の台頭、消滅を経ての風潮だが、この風潮と爆豪くんの食い合わせが最悪であることは言うまでもない。
私たちの会話を聞いていたアルバイトの学生が、ちょこちょことこちらに寄ってきた。
「苗字さんの推しって誰ですか?」
「当ててみて」
学生くんに向けて、先輩がにやりと笑った。そうだなぁ、と学生くんは視線を宙に彷徨わせ、思考するポーズをとる。
「炎上っていうとシシクロスかな。このあいだたしか、小学生とキッズ向け掲示板でガチのレスバしてたのバレて、めっちゃ炎上してましたよね」
シシクロス。士傑高校出身の、思想が強めのヒーローだ。爆豪くんと同じく現代のヒーロー人気との食い合わせは悪いけれど、一部シンパのようなファンがついている。
「シシクロスすごいよね。なんであの人、あの感じで幼稚園や小学校から講演依頼が来るのか、本当に意味が分からなくて怖いよ」
「声がでかくて姿勢がよくて、大人にも子どもにも分け隔てなく変だからじゃない?」
「まあたしかに、面白くはありますよね、あの人」
「ちなみにシシクロスじゃありません。はずれ」
私が言うと「違うのかぁ」と学生くんが声をもらした。先輩が笑って、私のデスクにおいてあったボールペンを手に取る。
ヒントのつもりだろう。そのボールペンはかつて、大・爆・殺・神ダイナマイトがデビューしたさい、所属のベストジーニスト事務所から発売された記念品だ。
ちなみに私が持っている、唯一のダイナマグッズでもある。デビュー時のグッズは「ご祝儀」として買ったほうがのちのちの人気につながる。当時、ヒーローファンダムに詳しい知り合いがそう教えてくれたので、これだけと決めて購入したのだ。
ボールペンをゆらゆら揺らして見せながら、先輩が笑う。
「苗字さんの推しは、シシクロスの仇敵のほうだよね」
「仇敵って……えっ、もしかしてダイナマイト!? 苗字さんってダイナマイト好きなんですか!? うわっ意外!」
「ね、意外だよね」
「普通にミルコ推しだと思ってました」
「シシクロスって予想してたじゃん」
「それはそれというか、炎上ってワードからの連想じゃないですか。ミルコは炎上しないから」
「ね、ミルコはそのあたりのセルフプロデュースというかブランディングがうまいんだ」
言いながら、意外そうな視線を投げかけてくる後輩から、目をそらした。爆豪くんのファン層を考えると、私がそこに合致しないので不思議なのかもしれない。
爆豪くんと昔付き合っていたことがバレているわけではないのだけれど、こういう話題で大・爆・殺・神ダイナマイト推しだとバレるのは、やはり未だに何だか気まずい。
「苗字さんは、じゃあミルコには投票してないんですか?」
「まあ、うん。というかミルコは推しってより、私の人生の太陽、生きていくうえでの光みたいなものだし……」
「それは推しとは違うんですか?」
「太陽は人間が推すまでもなく、つねに光り輝いてるんだよ」
「ダイナマイトは推さないと輝かないんだ」
先輩に言われ、私は神妙にうなずいた。
「ダイナマイトはもっとこう、光の波長が四百ナノメートルくらいの光り方をしてるんで……」
「紫外線の波長じゃん」
「人類の目には見えない光なんですね……」
「いや、でも適量なら人体にも健康をもたらすんですよ」
「どういう推し方?」
どうと言われても、こうとしか言いようがないので仕方がない。元カレなんでひいきしてます、とは口が裂けても言えない。
「ダイナマイトといえば、苗字さんもう今月号のニャンニャン読んだ? ダイナマイトがインタビューに答えてるやつ」
ふと思い出したように、先輩が私に尋ねる。ニャンニャンは歴史の長い女性誌で、たびたびヒーロー特集を組んでいる。今月号は女性人気がいまいちぱっとしない大・爆・殺・神ダイナマイトをなぜか巻頭特集しているので、ネット上ではジーニストのごり押しだのなんだのと盛んに陰謀論がささやかれていた。
「まだ読んでないんです。帰りに買って帰ろうと思って」
「さっき休憩室で同期が読んでたからちょっと見せてもらったんだけど、かなりすごかったよー」
にやにやと笑う先輩の笑顔の迫力に気圧され、私はごくりと唾をのんだ。
「す、すごいとは? 写真が?」
「あー、たしかにアイドルヒーロー顔負けのでっかい写真も載ってたけど、それよりインタビューがね。あのひと私生活の話とかすんだね」
「私生活!? ダイナマイトの!?」
あまりの衝撃に、思わず悲鳴じみた大声をあげてしまった。大・爆・殺・神ダイナマイトの私生活って、一体どういう何なんだ。呆然として、私は虚空を見つめる。
これまで七年間、大・爆・殺・神ダイナマイトはかたくなに私生活についての情報を伏せていた。何せ危険がつきまとう仕事だから、そういうスタンスのヒーローは少なくない。
それでも、私生活の情報というものはどこからともなく漏れていくもの。しかし大・爆・殺・神ダイナマイトはまさに水も漏らさぬプライベートの固さで、雄英卒ということと本名以外のすべてを、デビュー以来完全に秘匿しきっていた。
それが、どうして急に私生活。何が彼をそうさせたのか。
「大・爆・殺・神ダイナマイトそういう話って基本的にしないイメージだったから、かなり意外だった」
「たしかに。ダイナマイトって硬派なイメージありますよね」
「女子受けも狙えるとは思うんだけど、そういう売り方しなくても十分活躍してるからね」
先輩と学生くんの会話も、もはや私の耳を素通りしていた。
「私生活……インタビュー……」
うわ言のように呟いているうち、昼休憩の終了を告げるアラームが鳴る。
いくら衝撃を受けていたとしても、就業時間になれば切り替えられる。ひとまず大・爆・殺・神ダイナマイトの私生活という、まったく理解不能な情報は頭の奥底にしまいこみ、私は午後の業務を開始した。