Episode.4


 食いしばった歯の隙間から、呻吟がもれる。服の上から、腹部にかばうようにふれる。刺された腹部が燃えるように熱い。
 どしゃりという音が身体の外と中の両方から聞こえる。次いで全身に、アスファルトの冷たさと硬さがおそった。

 ★

「よー、苗字。調子どうや」
「お見舞いに来たよ……」
 けだるげな関西弁と、はかなげな鈴の音のような声が聞こえ、私は枕の上に載せた頭を、首だけねじってドアの方へと顔を向けた。
 神々廻さんと大佛ちゃん。
 名古屋で私と一緒に仕事をしたふたりが、フルーツ盛り合わせのバスケットを手に、室内に足を踏み入れたところだった。
「これ、見舞い」
 神々廻さんが、手にさげたバスケットを持ち上げて見せる。
「いちご入ってるやつなかった……」
「おまえが食ったからなくなったんや。買ったときはあったやろ」
「神々廻さん落とした?」
「是が非でも認めへんやん」
 いつも通りのやりとりをしながら、ふたりはベッドに近寄ってきた。果物の甘いかおりが枕元までただよってきて、私の食欲をささやかに刺激する。
「これはまたどうもご丁寧に、ありがとうございます……。まだ安静にしてた方がいいらしいんで、すみませんがベッドの上から失礼しますね……」
 私が言うと、神々廻さんと大佛ちゃんはおや、という顔で、互いに顔を見合わせた。
「なんや、えらいテンション低いやん。そんなヤバい怪我やなかったんやろ?」
「全治三か月はヤバい怪我じゃないですか……!?」
「ヤバないヤバない。な、大佛」
「唾つけておけば治るよ……」
「規格外人類と一緒にされても困るんですよ」
 お見舞いに来たのか、殺し屋ハラスメントをかましにきたのか、まったく分かったものではない。私は腹部の傷口に障らないよう、そっと嘆息した。
 神々廻さんと大佛ちゃんは勝手知ったるといった様子で、それぞれ適当な場所に腰を落ち着けた。神々廻さんは私のベッドの足元、大佛ちゃんはベッドサイドに物置替わりに置いていた椅子の座面から、載っていたものをすべて床に落としたのち、それぞれ腰をおろす。果物籠は床に直置きされた。
 人心地ついたところで、神々廻さんが溜息とともに切り出した。
「ひとまず、この間はおつかれさん」
 労いもそこそこに、眉間に皺を寄せて続ける。
「しっかし、お前の体質ほんまにやっかいやな。この間まで名古屋の任務の報告書を書いててんけど、苗字も依頼にかませてた以上は、そのへんのことも書かへんわけにはいかんやろ? けどなぁー、自分で文章まとめてても『何でそんなことになんの?』としか思えへん」
「おとりの任務が終わって離脱したところで、まったく別件の通り魔に刺されたんだよね……」
「いや、おかしいやろ。なんでそこで無関係の通り魔引っかけてんねん」
「そんなの私が聞きたいですよ……!」
 畳みかけるような言葉の暴力。私は横たわったまま、がくりと項垂れた。

 神々廻・大佛コンビとともにあたった名古屋での任務で、私は滞りなく自分の仕事を完遂した。仕事の内容は連続婦女暴行殺人事件の犯人の殺害、私はそのおとり役として任務に参加していた。
 なぜ私が参加することになったのかといえば、複数名がかかわる組織犯罪でありながら、しかし実行犯は組織内の一名に絞られていたからだ。残りのメンバーは、それぞれ犯行映像の撮影や編集、販売、あるいは被害者から奪い取った金品の換金、隠ぺい工作を担当していたらしい。
 殺しだけでなく、殺しに付随するあらゆる汁をすする、まさに外道集団だ。だが、お上から殺してヨシと指名されたのは、殺人の実行犯ただひとり。私が彼らの標的になることで、実行犯をあぶりだす。そういう作戦だった。
 仕事は問題なく運んだ。実行犯ひとりをあぶり出したあとは、私はふたりの殺害行為に巻き込まれないよう、適度に距離を保った場所で待機する。そういう段取りになっていた。
 問題が起こったのは、私が現場を離れてすぐだった。ORDERの仕事だからといって、通常の殺しの仕事では辺り一帯を封鎖するなどあり得ない。だからそのとき、無関係の人間がその場を通りかかること自体は、十分に想定されたことだった。
 気が付けば、私は通りかかった民間人に、腹部を深く刺し貫かれていた。
 文字通り、ねじ切られるような痛みが全身を襲った。信じられない思いで腹部を見れば、服の上にナイフの柄のようなものが見える。
 次の瞬間、傷口がかっと熱くなるのが分かった。ずるりとナイフが引き抜かれたのだ。途端、内臓が激しく痙攣するように痛み始めた。
「う、ぐぅ……っ」 
 食いしばった歯の隙間から、呻吟がもれる。
 獲物はどこにでもあるような折り畳みナイフ。ただし刺したあとにナイフをねじりでもしたのだろう、傷口はかなりまずい状態になっていたらしい。らしいというのは、後から医者に聞いた話だからだ。そのときの私に、そこまで観察するだけの余裕があったはずもない。
 痛みと失血で意識を失う直前、最後に見たのは、ほかでもない私を刺した犯人の顔だった。うつろな目をしたその人間は、刺されて苦しむ私を見て「え、やばい」という表情を浮かべていた。
 それはまるで、ふっと一瞬魔が差して、気付けば悪事を働いていたとでもいうような、そんな表情だった。

 その後すぐ、私は仕事を終えて合流しにきた神々廻さんと大佛ちゃんに発見してもらい、どうにか一命を取り留めることができた。それもまた、後から知ったことだ。
 私を刺した犯人については、どうなったのか私は知らない。事情聴取のたぐいを私が受けていないということは、まあそういうことなのだと思う。
「けどまー、殺連の提携病院が近かったんが幸いやったな」
「あー、はい。そうですね……。入院しているあいだもずっと、鎮静剤ぶち込まれて意識なくしてたらしいんですけど、下手に苦しむよりはましだったのかも……」
 私が意識を取り戻したのは、刺されてから二日後のこと。搬送されてからもたびたび目を覚ましていたはずなのだが、そのたび鎮静剤をどかどか打たれ、すぐに眠らされていたらしい。ようやく退院できたのが入院してから半月後。現在はこうして、自宅の寝室で療養生活を送っているところだ。
「そういえば、入院の手続きとか退院時のお迎えとか、いろいろしてくださったのって神々廻さんなんですよね。病院で聞きました。今更ですが、その節はありがとうございました」
「それもなー、苗字は一応民間の協力者、ってことになってるやろ。せやから入院も退院も処置も、諸々の手続きめっちゃめんどかったんやで。薬一本打つにもいちいち書類にサインせなあかんとか言いよるしなぁ」
 私のお礼に、神々廻さんが文句を連ねる。
「ってなわけで、お前の入院手続きその他いろいろ時間外労働のぶんは経費として、今回の支払いから引かせてもらうわ」
「えぇっ!? そ、そんなぁ……」
「命あっての物種、だから……」
「おっ、大佛ようそんな言葉知ってたな!」
「いや支払い渋られたら生活立ち行かないって話ですよ! 命なくなっちゃう!」
 その瞬間、腹部に閃光のような鋭い痛みが走った。大声を出したせいで、傷口が痛んだのだ。いててて、と私が背を丸めると、神々廻さんが「無理しなやー」と呑気に言って背中をさすってくれた。一体誰のせいで大声を出す羽目になったのか、と涙目で睨みつけるも、神々廻さんは何処吹く風だ。超人的殺し屋の前では、私の眼光など露ほども意味を持たないらしい。
 とはいえ、神々廻さんに迷惑を掛けたのも事実。今回のところは、それ以上の異議申し立てを諦めることにする。最後にもう一度だけ大きく息を吐き出してから、私は怒りの矛をおさめた。
「それで? 本来の任務の方は万事うまいこといったんですか?」
「まー、ぼちぼちやな」
「思ってたより簡単な仕事だったね……」
 神々廻さんと大佛ちゃんが、順に返事をする。私が任務を離脱した段階では、任務はつつがなく進行していた。ORDER二人が揃っていたのだから、万に一つもあの後失敗するなんてことはなかっただろう。わざわざ確認したのは、自分がかかわった仕事の可否について、一応確認しておこうという程度の気持ちからだ。
「日程に余裕ができたから、本当は名前と美味しいもの食べて、観光してから帰ろうと思ってたのに……」
「ごめんね、大佛ちゃん」
「謝らんでええで。苗字が入院してるあいだ、ひととおり名古屋飯グルメツアーしたし」
 しれっと神々廻さんが言葉を挟む。
「え!? ど、どうりでお見舞いに来てくれないと思ったら……!」
「大佛に朝っぱらから叩き起こされて、モーニング食いにいったりなぁ」
「小倉トースト美味しかった……」
「あと何やっけ、ひつまぶしときしめんか?」
「手羽先も」
「そうやったな!」
「ぐ、ぐぐぐぐ」
 嫌がらせのようにご当地メニューを列挙するふたりに、私は病床で心底歯噛みし呻き声を上げた。ともすれば、刺されたときよりも切実な呻き声だったかもしれない。悔しい、食べたいもののリストアップをしたのは、この私なのに。
「呻くと傷口開くで」
「誰のせいだと……」
「まあまあ、退院までの段取りしてっただけでも感謝し」
「それに名前、どのみち麻酔で眠ってたでしょ……?」
「そうだけど……っ、そうだけど……っ!」
 間違いない正論だが、悔しいものは悔しい。私はショックに打ちひしがれた。こんな機会でもなければ、私が自宅を遠く離れて旅行することなど滅多にない。私だって少しくらいは、観光できるのを楽しみにしていたのに。
 しかし神々廻さんは、落ち込む私にさらに追い打ちをかけた。
「ってか、今日も別に見舞いに来たんとちゃうねん」
「じゃあ何しにきたんですか? エッチはまだできないですよ」
「ちゃうわい。ってか女子が下ネタに躊躇ないの、どうなん?」
「神々廻さんに言われると、なんかいらっとしますね……。やることやってるくせに、そういうこと言うの、よくないですよ」
「いやいや、一般論やん」
 そうして例のごとく脇道にそれる話題を軌道修正したのは、珍しいこともあるもので大佛ちゃんだった。
「近々仕事の依頼が来ると思うから、その話を持ってきたの……」
 しずしずと言い出された言葉に、私は言葉を失う。大佛ちゃんが軌道修正してくれたことに驚いて、では、もちろんない。大佛ちゃんが発したそのセリフと内容に、私は絶句したのだ。
「え? うそですよね? え……? だって私、全治三か月の怪我を負ってるんですけど。まだまったく動ける状態じゃないの、見たら分かりますよね?」
「あー、まあ、そうかもしれんなぁ」
 心のこもらない声で言う神々廻さん。無言でこちらをじっと見つめる大佛ちゃん。黒々として深淵めいたその瞳に畏れを抱いてか、私の背中に冷たい汗が滲む。
 救いを求めるように、私は神々廻さんを見た。
「ね? 神々廻さんもそう思うでしょ? だからね、さすがに断りますよ、考えるまでもなく、考慮の余地とかないですよ」
「ところがそうも言ってられへん事態でな」
「ええ……? いや、いやいやいや。待ってくださいよ。私は殺連所属じゃないんだし、断れないのはおかしいじゃないですか」
「殺連所属になってるよ……?」
「え!?!?」
 大佛ちゃんから放たれた言葉に、今度こそ私は大声を上げた。もはや、刺された痛みなどかまっている余裕はない。間違いなく、それどころではない事態に、私は陥っていた。
「う、うそ! なんで!?」
「正確には正式な契約とちゃう、臨時採用みたいなもんやけどな」
「そんな、いつのまに……」
「この間の任務で殺連提携の病院かかったやろ? あんとき、諸々の手続きが民間人やとえらい面倒なことになるいうから、一時的に殺連所属っちゅーことにして、手続き押し通したんや」
「当の私に意思確認もせず……?」
「名前、寝てたから……」
「これに関しては文句言われんのは心外や。殺連所属にしてへんかったら、おまえ今頃ごっつい料金請求されてんで」
「うぐっ」
「まあ、ええやん? どのみち殺連の下請けの下請け、孫請けみたいな仕事やろ」
「人の仕事を孫請け扱いすんのやめてくださいよ!」
「名前、元気出して……。分かんないことあったら、何でも聞いて?」
「大佛は急に先輩風ビュービュー吹かすやん!」
「そんな……私、殺し屋でも何でもないのに……」
「これから頑張ってこ……? 誰でも最初は初心者だよ」
「うっといバイト先の先輩やん」
「そんなぁ〜」



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