Episode.3


 次の依頼はシャワーの後にやってきた。
 浴室で汗を落として出てくると、向かい合って何やら打ち合わせめいたことをしていたふたりは口を閉じ、そして私を見る。雰囲気で、それが仕事の話だと察した。
「真面目な話ですか?」
「まー、そやな」
 そうして聞かされたのが、次の依頼についてだった。どうやら神々廻さんがこの部屋にやってきたのは、この依頼の確認をするためだったらしい。
 私にとっては珍しい、というかほとんど振られたことのないたぐいの依頼だ。
「出張ですか? 私も?」
 タオルでがしがし髪を拭きつつ、神々廻さんの言葉を鸚鵡返しにすると、おー、と気の抜けた返事が返ってくる。壁に背を預け、片方の足にだけ重心をのせるような姿勢で立ったままの神々廻さんは、手にしたスクラッチカードをひらひらと振って見せた。
「なんや、あかんかった? 車移動やし構へんやろと思てんけど」
「いや、まあ、構いませんけど……」
 不特定多数の人間と接する、公共交通機関は私にとって鬼門だ。そのあたりについては、ちゃんと事情を汲んでくれているらしい。が、肝心の私への依頼は事後承諾──というか、すでに任務を受けてしまったあとのようだ。私は内心、嘆息した。
 出張ということは、移動時間も長ければ滞在時間も長いということだ。安心できる拠点を長く離れ、多くの人間と接する。私のような体質の人間にしてみれば、任務の難易度とは別に、出張というだけで不安要素が各段に多くなる。
 だが、ひとまず不満は飲み込んだ。私が依頼を受けなければ、神々廻さんと大佛ちゃんがふたりで向かうことになるのは分かっている。しがない個人事業主の身としては、些細な不満でひとつ仕事を失うのは、できれば避けたい。
「ちなみに、行き先はどこですか?」
「日本の真ん中、名古屋や」
「味噌カツ食べよ……」
 大佛ちゃんが割り込んでくる。大佛ちゃんはすでに出張任務の詳細を把握していた。おおかた、私がシャワーを浴びている間に概要を聞いたのだろう。
「やったやん大佛、ご当地グルメでゲン担ぎまでできてラッキーやったな」
「ガイドブック買わなきゃ」
 名古屋名古屋と、大佛ちゃんはうきうきした表情を隠そうともしていない。
 一方の私はといえば、名古屋と聞いて、さらにテンションを下げていた。
「名古屋かぁ……」
「名前は嬉しくないの……? 神々廻さんのおごりで、味噌カツ食べられるのに……?」
「いつのまに俺の奢りになったん?」
「神々廻さんも食べるでしょ……?」
「食うけども」
 はぁーっとわざとらしい溜息を吐いてから、神々廻さんは私の方へと向き直った。
「出張に気ィ乗らんのは分かるけど、そんなあからさまに嫌そうな顔せんでもええやん」
「出張が嫌というわけでは……、いや出張も嫌なんですけど。それよりも、行き先が。名古屋って、あんまりいい思い出ないんですよね」
「なんや、名古屋住んでたことあるん?」
「住んでたというほど、長く暮らしたわけでもないんですけど」
 はぁと溜息を吐き、私は湿ったバスタオルを肩に掛けた。
 別に名古屋という土地が悪いわけではない。ただ、当時は今ほど堂に入った引きこもりではなかったから、自宅の外でトラブルに巻き込まれることも多かった。今にして思えば、あれは場所の問題というよりも、時代の問題のような気もする。
 と、横から視線を感じて首をひねれば、私の隣──相変わらずベッドのふちに腰かけたままの大佛ちゃんと、目が合う。
「どうしたの、大佛ちゃん」
「なんか意外だね……。名前って、ずっと同じ場所に引きこもってるんだと思ってた……」
「ああ、そういう」
「まーけど考えたら、ここ越してくる前にも住んでた場所があるんやし、ずっとひと所に引きこもってるわけでもないか」
 神々廻さんが言った。私の略歴は知られているのだろうが、さすがにこれまでの転居歴まで事細かに知られているわけではないようだ。
「そうですね。どちらかといえばむしろ、各地を転々としてる方が常というか。こんなにも長く同じ場所にとどまってるのって、そういえば珍しいかも」
「じゃあ、名前が今ここにとどまってるのは、私がいるから……?」
「そうだよぉ、大佛ちゃんがいる場所が私にとって、エデンでユートピアなパラダイスだよぉ」
「名前……」
「もう一生ここに定住するっ、ずっと大佛ちゃんのそばにいるっ」
「この間大佛との仕事の最中にキレて、信じられへんような暴言吐いてたん誰やっけ」
「あー、それたしか神々廻さんでしたっけ」
「しれっとした顔で罪なすりつけんのやめぇ」
「そうなの? 神々廻さん……?」
「ちゃうで、大佛。おまえの敵は俺やない、苗字や」
「それで、仕事の話に戻りますけど、名古屋で私は何をすればいいんですか?」
 脱線しかけた話題を無理やりに本筋に戻すと、神々廻さんは一瞬呆れたような顔をし、けれど結局何もかも面倒になったのか、
「簡単にいえば、おとりや」
 と投げやりにこぼした。
「なるほど、じゃあまあいつも通りってことですね」
「すまんな。ほんまは大佛におとりやらせてもええんやけど」
「最短日数で片付けるなら、私と神々廻さんが別行動しない方がいいから……」
「絶対おとりやりたないだけやろー」
「できないわけじゃないもん……」
「まあ、私は貰うものさえ貰えれば、仕事なんでかまいませんけど。出張ってその分の手当もらえるんですか?」
「おまえ、ベースの料金からかなりぼったくってるやん。たまの出張くらいお得意様サービスにならへんの? そもそも俺ら普段、ほかの同業者よりかなり景気よく支払いしてるやろ」
「うーん、そうは言っても、こっちも生活と命かかってますからね……」
 そもそもORDERの仕事の依頼料を割高に設定しているのは、彼らからの依頼がそこいらの殺し屋の依頼とは比べ物にならないほど、危険に満ちているからだ。
「そうですね……、じゃあ食事代ホテル代おみやげ代、その他もろもろの経費そっち持ち。それで手を打ちましょうか」
「がめつ! いや、お前そんなんでよう客商売やれんなぁ!」
「神々廻さんのお財布からっぽになっちゃう……」
「ちょい待ち大佛、なんで俺一人の負担みたいな顔してんねん。当然、大佛のボーナスからも天引きやろ」
「え……っ」
「いや本当、毎度ありです。ふたりにご贔屓にしてもらってるおかげで、次の冬も越せそうです!」
「神々廻さん……」
「こっち見んのやめ。文句は苗字に言おな」
 大佛ちゃんの無言の抗議を、心を鬼にして黙殺した。ともあれ依頼料の折り合いもついたところで、ようやく正式に依頼受諾だ。契約書は追って届けてもらえるそうなので、堅苦しい話はここまでということになった。
「それにしても、最近こっちに仕事の依頼を振る頻度が増えてませんか?」
「あー、そやな。あちこち物騒になってるらしいで」
 かなわんで、ほんまに。そう言って神々廻さんがけだるげな溜息を吐く。
 実際、ここのところはORDERからの依頼が立て続けに入っていた。ほかの殺し屋からの依頼もないではないが、ORDERからの大きな案件を優先していると、どうしてもORDERから以外の依頼の受注頻度は減ってしまう。払いがいい依頼を優先するのは当然のこと。現に受注する仕事の数は減っているが、実入りは確実に増えている。
 だが、そもそもORDERからの依頼が続く、というのが異常事態だ。彼らは特記戦力のようなものなので、余程のことがない限り、私に仕事を回したりしない。この部屋に神々廻さんと大佛ちゃんがやってくるのは、だからもっぱらのところ、仕事と無関係の理由によることがほとんどだった。
「ORDERの仕事も、増えてるよね……」
「もともとブラックな職場やけどな、ここんとこ特にな」
「そういう話を聞くと、ますます外に出たくなくなりますね」
 気が滅入ることこの上ない話だ。ただでさえ外の世界は危険極まりないというのに、治安は悪化の一途をたどっているとなれば、もはや私の安住の地は自宅のなかをおいて他にない。
「まあ苗字の場合はたしかに、今はちょっとくらい引きこもってるくらいの方が、危ないことはないやろなー」
「今じゃなくても引きこもってるけど……」
「私もねぇ、出られるもんなら外に出て思う存分遊びたいんだけど」
「無理やろ」
 神々廻さんがばっさり切り捨てた。ですよね、と私はうなずく。
「それでも、このマンションのなかにいれば安全なんだから、つくづく引っ越してきてよかったと思いますよ」
「殺連の借り上げマンションに、ちょうど空き部屋があったんやったな。よかったやん」
「そうそう。前の住人の人がお亡くなりになって」
 そうなんだ、と大佛ちゃん。ちなみにこの部屋は神々廻さんの口利きで借りている。本来ならば殺連所属の殺し屋でないと借りられないのだが、さすがに神々廻さんはORDERの一員なだけあって、こういう横車を押すようなことができたりする。
 殺連所有のマンションだけあって、このマンションのセキュリティは、民間とは比べ物にならないくらい堅牢だ。内装は多少ぼろぼろだが、そこには目を瞑ることにしている。
 この部屋に自由に出入りできるのは目下、住人の私と保証人の神々廻さん、それに大佛ちゃんの三人だけ。この部屋は世界でいちばん安全なシェルターだ。
「それなのに、そんな私を引っ張り出して、名古屋くんだりまで連れていこうなんて、神々廻さんも大佛ちゃんも鬼ですよね」
「そこに話を戻すんかい。てか今回はええやろ。俺と大佛の同伴で危ないことある?」
「おとりの依頼がそもそも危ないというのは」
「そんなもん今更すぎるやろ」
「味噌カツ食べよ、名前」
「ゲン担ぎもええけど、仕事の準備も頼むで、大佛」
 上司らしいことを言った神々廻さんだったが、しかし彼もすでに手元のスマホで、名古屋のグルメ情報をチェックし始めている。私はわざとらしく溜息を吐いて見せた。神々廻さんが、
「幸せ逃げんでー」
 と、笑みもつくらず呟いた。



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