Episode.2


 殺し屋は服を脱がない。
 少なくとも、神々廻さんと大佛ちゃんは。彼らはけして、私の前で服を脱ごうとはしない。
 ジャケットを脱ぐだとか、ベールを外すだとか、そういうことは時々ある。任務で衣服が汚れれば、街中を歩くのに相応の対応は必要だ。
 が、彼らはけして、私の前で必要以上に肌をさらさない。
 たとえそれが、肌の熱を交換し合うような行為のさなかであったとしても。
「名前の手、あったかい」
 ベッドのふちに座った大佛ちゃんは半身で振り返り、私の手を両手でおがむように持ち上げ、そっと手の甲に頬を寄せた。私はベッド上でうつ伏せになり、されるがまま、持ち上げられる自身の左手を眺めている。
 手の甲に、ひやりとした大佛ちゃんの肌の温度を感じる。先ほどまでもっとしっかりと触れ合っていたのに、こうして頬ずりされていると、不思議と先ほどまでよりも親密にふれあっているような気がしてくる。大佛ちゃんの着衣には、寸分の乱れもない。私は裸にタオルケットをかぶせただけの格好で、ぐったりと疲労に身を浸しながらも、大佛ちゃんの美しいかんばせに見惚れていた。
 きれいな顔をしている。本当に、私なんかと一緒にこんなことをしているのが勿体ないと、ついつい卑屈なことを考えてしまいそうになるほどに。
「名前の手、こどもみたいだね」
「そうかな。はじめて言われた」
「してることは大人なのに……」
 一糸まとわぬ姿を晒し続ける私を、まるで揶揄するみたいな物言いに、私はせいいっぱい可愛らしく「大佛ちゃんのいじわる」と答えた。

 生まれてこの方、恋人というものができたことがない。そもそも私はこの特異体質のせいで、ろくに自宅から出られない生活を送っている。家から出るのは仕事のときだけ。それだってたいていは、自宅付近まで依頼人に迎えに来てもらっている。
 仕事以外では、以前は散髪のときだけは渋々外出をしていたが、現在ではそれも、器用な依頼人に格安でお願いするようになった。プロの美容師の技術など望むべくもないが、背に腹は代えられない。そんな有様の人生なので、恋人なんて、当然できるはずもない。
 だから現状、私にとってもっとも「恋人っぽい」相手は、大佛ちゃんと神々廻さんのふたりということになる。ふたりのどちらとも、私はときどき「恋人っぽい」ことをする。恋人というわけではないけれど、私だって、たまには人恋しくなるときがある。
 大佛ちゃんは飽きもせず、私の手を撫でさすっている。重量のある獲物を扱うわりに、大佛ちゃんは驚くほど華奢な骨格と美しい肌をしている。私の手なんてさわっていても面白くも何ともないだろうに、大佛ちゃんはおかまいなしに私の手をもてあそぶ。
 事後で火照った身体には、大佛ちゃんのきよらかな冷たさが、むしょうに心地よかった。
「あんなに動いたあとなのに、大佛ちゃんの手がそんなに冷たいの、なんでなんだろう。いつも不思議になる」
「手が冷たいひとは心があったかいんだよ……?」
「ああ、それよく言うよね。あれって本当かなぁ」
「どうだろう。名前の手は、あったかいね」
「今の流れだと、私の心が冷たいってことになる」
「名前は可愛いよ」
「心が冷たいことは否定してくれないんだ」
 呆れて言うと、大佛ちゃんは不思議そうに首を傾げた。毎度のことだが、大佛ちゃんとの会話は微妙に噛み合わない。神々廻さんがいれば律儀にすべてツッコミを入れてくれるのだろうが、あいにく私にはそれだけの根気はなかった。こういうところを指して心が冷たいと言われるのなら、甘んじて受け容れるしかない。
「そういえば、神々廻さんの手も冷たいよね」
 思い出して、私は言う。大佛ちゃんの冷たさとは少し違うが、神々廻さんの手もやはり、いつも低い温度を保っている。
「神々廻さんのこと、さわったことないから分かんない」
「さわったことないはさすがに嘘では……。いや、でもうん。やっぱりあの人の手も冷たいよ。さわられたとき、いつもひやっとするもん」
「…………」
 ふいに大佛ちゃんが、もてあそんでいた私の手を、ぱっと離す。重力に従って、私の左手はベッドの上に音もなく落ちた。
 頭は依然として枕に載せたまま、私はぼんやりさせていた視線を上げて、大佛ちゃんの顔を見る。大佛ちゃんはあからさまに不満げな表情を浮かべていた。
「ベッドの上でほかの人の話をするのは、マナー違反……」
「神々廻さんの話でも?」
「だめ。神々廻さんの話でも」
「神々廻さんとのベッドの上では、結構よく大佛ちゃんの話するよ」
「……! ……!!」
「めちゃくちゃ喜ぶじゃん」
 可愛いね、と私が言うと、大佛ちゃんは頬をゆるめてこっくり頷いた。表情の変化が乏しいかわりに、大佛ちゃんの気分は雰囲気に如実に反映される。ORDERでは珍しく、大佛ちゃんは分かりやすいタイプだ。
「私も大佛ちゃんの話ばっかりするし、神々廻さんも大佛ちゃんの話ばっかりしてるよ」
「それでも、私といるときに神々廻さんの話はだめ……」
「俺が何やって?」
 そのとき、唐突に部屋のドアが開いて、神々廻さんが顔を覗かせた。頭を上げてそちらを見ると、顔をしかめた神々廻さんと視線がぶつかる。
「なんや、終わってへんのかい」
「ううん、終わってる」
 私のかわりに大佛ちゃんが答えた。
「今ちょうど、大佛ちゃんとピロートークで神々廻さんの話をしてたところですよ。噂をすれば影」
「知ってる。外に話し声が聞こえてきたから、すること全部済んだんやなと思って来たんや。にしても、相変わらずこの部屋のドアうっすいな。外のセキュリティがちゃんとしてる言うたって、家ん中防音もクソもないぼろぼろやん」
「それより神々廻さん、どうしたの……?」
 神々廻さんの苦言をぶったぎり、大佛ちゃんが小首を傾げた。神々廻さんの溜息。
「どうも何も……いや、それより苗字、先に服着た方がええんちゃう? 全裸で俺の話すんなよ。大佛も服くらい着せてから話そな」
「全裸でも名前は可愛いよ……」
「そういう話してんのとちゃう。素っ裸で雑談なんかして、風邪ひくいうてんねん」
 神々廻さんがそう言った途端、くしゅんくしゅんと、私の口からくしゃみがふたつ飛び出した。ほれみぃ、言わんこっちゃないと神々廻さんが呆れ顔で言う。
「噂話されてたのは神々廻さんなのに、名前がくしゃみするんだね……変なの」
「身体冷えてくしゃみって、何も変やないなぁ」
「ううー、たしかに神々廻さんの言うとおり、身体冷えてきた」
「年頃の娘が身体冷やしたらあかんよほんまに」
「はぁーい」
 まだ怠い身体をどうにか起こし、私はタオルケットをぐるりと身体に巻き付けた。行為の前まで身に着けていた衣類は、とうの昔に用をなさない状態になって、ベッドのあちこちに放り投げられている。洗濯機にいれる下着を順につまみあげ、私は大佛ちゃんに尋ねた。
「このままシャワー浴びてくるけど、大佛ちゃんも行く?」
「ううん、いい」
 ふるふると首を振る大佛ちゃんに、だよね、と返して私はベッドをおりる。ぺたりと裸足で床におりると、薄い床がかすかに鳴った。かまわず、ぺたぺたと部屋を横断する。
 寝室を出る直前ふと思い立ち、私はそこに突っ立ったままだった神々廻さんの手を、下着をつまんでいない方の手でとった。そのまま、軽く握ってみる。
「ん、何や?」
「いや、神々廻さんの手ってやっぱ冷たいなって、その確認です」
「あー、俺昔から平熱低いらしいわ」
 ごつごつとした神々廻さんの手には、当然ながら可愛さのかけらもない。機能的で、使い込まれた手。なんとなくだが、そんな印象を受ける。肉体の一部である手までもが、まるで彼の扱う道具のひとつのように思えた。
 節くれだち、骨の形がはっきりと分かる手。しかしこの手が見かけによらず、存外繊細で精緻な動きをすることも、私は知っている。
「うーん、なんていうか、必殺仕事人の手! って感じ」
「お前また引きこもって再放送のドラマかなんか見てるやろ」
「大佛ちゃんもさわってみる?」
 神々廻さんの手をにぎにぎしながら振り返ると、大佛ちゃんはまた、ふるふると首を横に振った。
「いい……」
「いいって、拒否られてますよ神々廻さん」
「拒否られてはないやろ。俺が一方的に拒否られた感じで言わんとって」
「だって、大佛ちゃん」
「……神々廻さんがどうしてもって頼むなら」
「頼まへんし、さわってくれんで結構や。適切な距離、保とな。なんや殺連もそのへん最近やかましいらしいし」
「そのへんって、セクハラとかですか?」
「時代のあおりを受けるのはどの業界も変わらんってことやろ」
 人殺しなどという人倫にもとる行為を斡旋する組織でありながら、そのあたりのコンプライアンス意識は高いらしい。むしろ人倫にもとる行為を扱う組織だからこそ、それ以外の道義的な部分は正しくあろうということだろうか。
「ほんで苗字はいつまで俺の手握ってんねん」
 それまでされるがままになっていた神々廻さんは、ようやく私の手を振りほどいた。冷たさを宿した手のひらが、するりと私の手から離れていく。温度を分かち合うこともなく、いくらふれても神々廻さんの手は冷たいまま、そして私の手は熱く火照ったまま。
「神々廻さんも大佛ちゃんも、手が冷たくて羨ましいなと思って」
 思ったままのことを口にすれば、案の定神々廻さんは「はぁ?」と訝しげな声を上げた。
「何やそれ。末端冷え性でええことなんか一個もないけどな。なぁ、大佛」
「どうして神々廻さんが私が冷え性なの知ってるの……?」
「流れや、話の流れ。聞いてたら分かるやろ」
「私は、名前のあったかい身体が好き……」
 大佛ちゃんはほんのわずかに微笑んで、私を見た。その微笑みに、私も微笑を返す。神々廻さんはやはり、訳が分からないというような顔をしている。
「名前は、冷たいのが羨ましいの……?」
 どうして? 大佛ちゃんが、静かに尋ねた。私は先ほどまで感じていた大佛ちゃんの体温と、神々廻さんの手の冷ややかさを思い出しながら答えた。
「だって、手があったかい人で心まで本当にやさしかった人を、私はひとりも知らないから」
 神々廻さんと大佛ちゃんが、顔を見合わせるのが分かった。
 これまで私が一体どれだけの人間の、仄暗い欲望を無自覚に煽りたててきたことか。そしてその膨らんだ欲望の向かう先として、一体何をされてきたことか。他人の手のぬくもりを信じて、何度痛い目を見てきたことか。
 そのひとつひとつについて、今ここで、わざわざ説明する必要はない。今更何を言うまでもなく、彼らは私が過去に何に巻き込まれてきたのか、だいたいのところを知っている。
 そのうえで、彼らは何も言わないのだ。私への遠慮などではない。ただ、それは彼らに無関係なことだから。
「冷たい手の人の方が、なんか信用できるって感じがする」
「アホ、俺らなんかいっちゃん信用したらあかん人種やろ」
 神々廻さんが、面倒くさそうに吐き出した。それもそうだと思ったところで、
「え、私も……?」
 大佛ちゃんが、驚いたように、それでいて平坦な声音で問いかける。
「そらそうやろ。なに自分だけ信用得ようとしてんねん」
「私って信用されない人種なの……?」
「大佛個人がどうかいうより、殺し屋全般、信用したらあかん人種やろ」
 それだけ言うと、神々廻さんはタオルケットにくるまれた私の肩を、とんと軽く押した。
「そんなことより、はよシャワー行って着替え。ほんまに風邪ひいても知らんで」
「お腹空いた……名前、はやく出てきてね」
「了解。なに食べたいか考えておく」
 そんな適当な言葉をかわし、私は寝室をあとにする。背中には誰の視線も感じることはない。ふたりのその優しい距離のとり方が、私は好きだった。



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