白日夢の座礁


 その日の夕刻、日用品の受け取り手続きのため、私は監視兵の詰所へと向かった。
 外部から輸送されてきたものはすべて、一度ここで検められることになっている。
 同じ敷地内にあるとはいえ、屋敷と詰所の間には、それなりに距離がある。舗装されていない地面に苦労しながら台車を押していくと、詰所にはいつも通り、見慣れた二名の監視兵が待機していた。
 初日にシャディクと私を門扉の前で待ち構えていた、重装備で屈強な兵。ひとりは四十がらみの無精ひげの男で、もうひとりはまだ学生といっても通りそうな、若々しい青年だ。
 私の訪問を受け、無精ひげの方が大儀そうに戸口まで歩いてくる。荷物の受け渡しにあたって、個人的な会話をすることはない。すでに開封され検品されたあとの物品を、納品書の内容と照らし合わせて確認する。洩れがないことを確認したらサインをする。台車に荷物のコンテナを積むのは監視兵がやってくれるので、それを待って立ち去るだけだ。
「──問題ありません。ありがとうございます」
 いつもどおりに受領証に電子サインをすると、無精ひげの男は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らして、私の手から受領証を表示した端末を引ったくった。シャディクだけでなく、私のことも良くは思っていないのだろう。好印象を抱かれるようなこともしていないが、取り立てて嫌われることもしていないはずなのだが。
 そもそも、ここまで徹底して最低限の交流しかしていないのだ。好きも嫌いもあるものだろうか。
 と、不意に天井裏の家具のことを思い出す。天井裏から戻ったあとも、結局ずっと気にかかっていたのだ。
 駄目でもともとか。私は目の前の男に声を掛けた。
「あの、少しよろしいでしょうか」
 端末を手にしたままの無精ひげの男が、怪訝そうに眉をひそめて私を見下ろす。まさか私の方から話しかけるとは思わなかったのだろう。だが、男の顔に親切そうな表情は欠片もない。そこにあるのは、ただひたすらに私を疎むものだった。
「あ? なんだ?」
 私は今日の屋根裏でのことを、かいつまんで説明した。十中八九断られるだろうとは思うが、一縷の希望に賭けてみたい気持ちもあった。
「それで、もしよろしければ、家具をおろすのを手伝っていただきたいのです」
 そう言って、私は深々と腰を折った。だが、いくら待てども男からの返事はない。
 ゆっくりと顔を上げる。そして後悔した。
 男はあからさまに侮蔑的な表情を浮かべ、頭を下げる私のことを見下ろしていた。
 男が今、私に向けている種類のまなざしを、私はよく知っていた。
 軽蔑、侮り、蔑み。
 自分よりも下等な生き物を見る目。
 昔、当たり前のように向けられていた視線が、今また、ここにある。
「どうして俺たちが、そんな手伝いなんかをしなくちゃならない?」
 暫しののち、無精ひげの男は吐き出すように言った。分かってはいたが、取り付く島もない返事だった。シャディクはまたしても正しかったのだと、私は内心で嘆息する。今更傷ついたりもしないが、ああやはりという、どうしようもない諦念のようなものが、胸のうちにじわりじわりと広がるのを感じた。
「俺たちはあんたのご主人との接触を禁じられている。上に睨まれるかもしれないリスクを犯してまで、あんたらを手助けする義理はないね」
 そう言いながら、男は今度は上から下まで、私の身体をじろじろと無遠慮に眺める。私の頼みを撥ねつけただけでは飽き足らなかったのか、不快な視線だった。
「……そうですね。申し訳ございませんでした」
 これ以上は、ここに立っていても無意味だろう。一礼し、私は踵を返そうとする。台車のハンドルに手をかけようとしたその時、思いがけず強い力で腕をつかまれた。突然のことに、私の身体は硬直する。
 無精ひげの男が、屈強な腕で私の腕をつかまえていた。それほど力を入れているようには見えない。それでも私の腕力では、とても振り払えそうにない。
「放していただけますか」
 焦りが身体を強ばらせる。それを悟られぬよう感情を殺し、できるだけ静かな声で要求した。
 屋敷からは距離があるが、万が一にでも私が大声を出して、それがシャディクに聞こえてはまずいことになる。そうでなくてもシャディクの立場は厳しく、私たちはできるだけひっそりと暮らさなければならないのだ。
 私が強く出られないことを知っているのだろう。男は先ほどまでの仏頂面を一転させた。意地悪そうに口角を上げる。
「まあ、待て。あんた、シャディク・ゼネリの女なんだろ? こんなところまで連れてこられてさ、あんたも災難だよなぁ。同情するよ」
「放してくださいと、申し上げました」
「あんた、あいつが死んでも帰ることもできないっていうじゃないか。あんなボンボンの、それもたかが情婦に科すには、ちょっとばかし重すぎる罰だな? もしかして、あんたも人に言えねえようなことをしてきたクチか?」
 その言葉から、先ほど男が私に向けた視線の意味を知る。彼は私のことを『まともな女』と、思ってもいないのだろう。嘲り、侮辱してもいい相手──彼は私を、そうみなしている。
 『シャディク・ゼネリの情婦』というのは、この男にとっては卑しんで当然の、薄汚い女というわけだ。
 返事をしない私に気をよくしたのだろう。
「あんたもあの色男以外と話す機会もなくて退屈だろ。少し付き合え」
 機嫌よくそう言って、男は私の腕を放した。薄汚いその顔を見上げれば、堪えた様子も、苛立つことすらなく、男はにたにたと笑みを深めている。
「そう睨まなくてもいいじゃないか。まあ聞いてくれや。俺たち監視の任期が最低でも二年ってことは、あんた知ってるか? こんな娯楽もない場所に、悪いこともしてねえのに二年だぞ? 正気じゃねえ。これで給料がよくなきゃ、それこそテロでも起こすところだな」
 シャディクの罪状にかけているのだろうが、まったく面白くない。
 私が顔色を変えずにいると、男はふんと鼻を鳴らして続けた。
「とまあ、文句も愚痴も山ほどあるが、とにかく二年は俺たちはここにいる。となると、だ。俺たちとは親しくしておいた方が、この先あんたらのためにもなるんじゃないか? この先暮らしていくなら、今みたいに男手が必要なこともあるだろう。二年ってのは長いからな。それに、俺たちの後に来るやつらにも、場合によっちゃ良くしてやるよう口を利いてやれる」
 男の視線が、ぬるりと下がった。私の腰のまわりに、ねばつく視線が絡みつく。
 呆れ果てて言葉も出なかった。何ということもない。この男はこれ以上ないほどに、単純で、くだらなくて、ありふれていて、なんともまあ見下げた要求を、恥ずかしげもなく口にしているのだ。
 込み上げてくる嫌悪感を、私はどうにか飲み込んだ。なにが監視兵だ。これではどちらが悪か分かったものではない。
 これ以上、この男の話に付き合う義理はなかった。シャディクの言葉に従わず、余計な話をした私がばかだったのだ。
「……お話はそれだけでしょうか。でしたら失礼いたします」
「あんたの荷物に入ってる薬、知ってるぜ」
 今度こそ立ち去ろうとしたが、かまわず男は話し続けた。
「昔よく相手してやってた女も飲んでたからな。これでも、女には苦労したことねえんだ」
 避妊薬、と。わずかばかり声をひそめた男の声は、まるで私が恥辱を感じるべきだとでも言いたげな、下卑てさもしい音だった。
 監視兵に荷物を検められる以上、私が内服している薬についても、彼らに知られていることは分かっていた。しかしまさか、その薬がどういったたぐいの薬なのかまで知られているとは、思いもしなかった。男性には縁のない薬だ。また、こんなものに興味を示されることもないだろうと、高をくくっていた。
 返事をしない私を見て、急所をついたと思ったのだろう。男がまた、私の腕に手を伸ばす。それは先ほど腕を握ったのとは違う、もっと生々しく、わざとらしい親しみを込めた手つきだった。
「なあ、あんただって楽しみも何もねえこんな場所に送りこまれて、ボンボンの相手させられてんだろ? だったら少しくらい、俺たちとも仲良くしてくれよ。孕みゃしねえんだ、いいだろ?」
「……おやめください」
 これ以上は耐えられなかった。私への侮辱にも、シャディクへの侮辱にも。
 腕力では到底かなわない相手だ。それでも、抵抗しないわけにはいかない。最悪、見えないところならば殴られてもいいから、とにかくこの男から距離をとる必要があった。
 孤児育ちでありながら、私は身を守るための技術をろくに身に着けていない。足を思い切り踏んづければ、多少は隙をつくれるだろうか。腕にふれる、男の生あたたかい感触を嫌悪しながら、軽く膝を曲げたその時だった。
「や、やめた方がいいと思います……!」
 詰所の奥から、気弱そうな、けれど不意をつくにはじゅうぶんに張った声が、私と男のあいだに割って入った。
 思わず視線を動かせば、男の背後にもうひとりの青年兵が、ぎこちない立ち姿をさらしている。胸にはハロを抱えていた。
「あ?」
 無精ひげの男が、苛立ちも露わに振り返った。その視線に怯んだのだろう、青年の肩がびくりと揺れる。けれど青年は、ぎゅっとハロを抱きしめなおすと、強いまなざしで無精ひげの男を見つめ返した。
「こ、この詰所での会話は、記録されています……! 定期的に記録を送信しなければ、本社から監査が入ります! また、無断での記録の捏造および消去は監査の対象となりますっ、罪に問われるのは我々です!」
 アカデミーで行われる討論ですら、もう少しみんな、すらすらと喋る。上官に物申そうというのであれば、それこそこそこそと耳打ちをするか、いっそ正論を武器に強気に忠告すればいいのに。
 おそらく、青年にとっては無精ひげの男に面と向かって反論することは、本当に恐ろしいことなのだろう。軍隊式の組織にあっては、上官を公然と非難するなど、けしてあってはならないことだ。
 私を助けるため、青年は勇気を奮って、割って入ってくれたのだった。
「こっ、ここでの非合法なおこないは一切禁じると、契約書にそうあったはずです。それ以上続けるのであれば、じっ、自分は隊長とツーマンセルのペアである以上、連帯責任を覚悟してでも、本部へと本事案を報告せねばなりません……!」
 言いたいことを言い切ったらしい青年は、肩で息をしながら、無精ひげの男を強く見据えていた。その膝がかすかに震えている。取り返しのつかないところまで一気に吐き出してから、遅れて震えがきたのだろう。気持ちはわかる。
 私はといえば、目の前で繰り広げられた下剋上に呆気にとられ、無精ひげの足を踏んづけることも忘れてしまっていた。隙をつくタイミングも失って、ただふたりの男を注視することしかできなくなっている。
 膠着した空気のなか、最初に動いたのは無精ひげの男だった。
「もういい、行け。クソッ、しらけること言いやがって」
 汚いものでもさわったような身振りで私の腕から手を放し、無精ひげの男は詰所の中へと戻っていった。わざと威圧的な靴音を立てて去っていく上官に、取り残された青年はほっとした顔で息を吐き出す。
「すみませんでした、うちの隊長が無礼を……」
 そう言われ、はっとした。私はまだ、この青年に助けてもらったお礼を言っていなかった。
「ありがとうございました。助けていただいて」
「いえ、悪いのはどう見ても隊長でしたから……。こちらこそ、申し訳ありませんでした」
「あなたが謝る必要はないのではないですか。悪いのはあなたではないのですから」
 困ったように笑った青年は、そこでふと気が付いて「俺はタヴァです」と名乗った。こちらも名乗り返すと、話し好きなたちなのか、彼は自分の生い立ちについて、聞いてもいないのに教えてくれた。
 タヴァは高等学校を卒業したのち、民間の軍事会社──フロント管理社の関連会社に就職したそうだ。私は詳しくないが、フロント管理社が警備を請け負う地域の中でも、特に戦闘行為が発生しやすい地域やフロントを任されがちなのが、タヴァの会社らしい。
「就職活動に失敗して、拾ってもらえる会社がここしかなくて」
 といって、タヴァは頬をかいた。
 就職したはいいものの、タヴァには警備をなりわいとする職業軍人としての資質が、悲しいほどに欠けていた。いくつかの部隊を転々とし、最終的には後方支援にまわされた。その後ほどなく、ここへの赴任が決定したという。年は私より三つ上で、話してみると気さくで優しそうな青年だった。
「それで、先ほどナマエさんが隊長に話していた件ですが、」
 ごく自然に下の名前で呼ばれたが、不思議といやな気はしなかった。タヴァからは下心のようなものが、一切感じられないからかもしれない。
「なんでも、お屋敷の天井裏の家具をおろしたい、とか……」
「ああ、そうなんです。今使っている家具よりも、いいものが天井裏に押し込められていて」
「なるほど、たしかに生活を整えることは、大事なことですからね」
 真面目な表情で微妙にずれた返事をしてから、タヴァは少しだけ頬をゆるめた。
「俺でよければ、お手伝いしますよ」
 あまりにもあっさりと申し出られ、私の方が困惑する。
「お申し出ははありがたいのですが、その、いいのですか? 上官のかたの意向を無視してそういうことをするのは……」
「いいんです。というか俺、隊長にはもとから良くは思われてなくて……、だから今更です!」
 なぜかガッツポーズをして、タヴァはうなずいた。軍隊にいて上官に嫌われているというのは、かなりよくないことだと思うのだが。しかも任期は二年。つまり二年間は、あの無精ひげの上官と、始終顔を付き合わせて、生活していかなければならないということになる。
「……タヴァさん、変わっていると言われませんか?」
「はい、よく分かりましたね? まあ、変わっていると言われるのはまだ親切な方で、大半は『いいやつだけど抜けている』だとか『善良な馬鹿』だとか、まあ罵詈雑言に近い表現をされることの方が多いんですが」
「そんな悲しいことを、清々しく、はきはきと……」
「俺としては人を貶し、おとしめるような輩だと思われるよりは、ばかだと笑われている方がずっと嬉しいですから」
 だから、むしろ誇らしく思います、と。
 そのきっぱりした言い分に、私はなんだか感心するより、笑ってしまった。彼が最前線ではなく後方支援にまわされた理由も、今なら分かるような気がする。このフロントの監視兵に任じられたのもさもありなんというものだ。もちろん、そこには無精ひげの上官との兼ね合いというのもあるのだろうが、いずれにせよ人柄で選ばれただろうことはまず間違いない。
 ひとしきり笑ったあと、私はようやくここにきた本来の用件を思い出した。タヴァに頭を下げてから、私はコンテナを載せた台車に手を掛ける。
「タヴァさん、ありがとうございます。お手伝いいただけたら、大変ありがたいです。もちろん、タヴァさんにお時間があるときで構いませんので」
「そうですか。それじゃあ明日の……午後、昼いちばんにうかがいます」
「分かりました。シャディク様にも伝えておきます」
 もう一度タヴァにお礼を言ってから、私はその場をあとにした。人工の空はすでに夕暮れの色を映し出している。夕食の支度を急がなければ、と私は小走りで屋敷へと戻った。

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