辿り着いた空白


 稀代の政治犯として歴史に名をのこした学生。大罪人として全宇宙に記憶されたであろう青年。
 たいせつな、私の幼馴染。
 かつて穏やかな笑みの裏に策謀を巡らせた彼は現在、すっかり脂も毒気も抜けきったような顔をして、朝食のコーヒーを口に運んでいる。
 朝のコーヒーのともとしてあるべきニュースペーパーも、ぶつ切りになったラジオの音声すら、ここにはない。インスタントのコーヒーとともにあるのは、ただひたすらに静かな空気の流れだけだ。
 今がいったい何年の何月何日なのか。ともすれば時間感覚も希薄になる環境は、ゆるやかな牢獄そのものだった。
 シャディクの罪状が理由なのか、この屋敷には通信機器がほとんどない。外部に連絡をとるにはまず、専用の回線で敷地内に待機している監視兵に連絡をつける。彼らに外との窓口になってもらう必要があるのだが、そのさい、シャディクが監視兵に直接声を掛けることは禁じられている。そのため必然的に、監視兵とのやりとりは私の仕事になる。
 必要最低限の生活用物資と食材は、週に一度、コンテナで運び込まれる。私が受領のサインをする。ここでの生活でシャディク以外の人間と接するのは、その事務手続きのときだけだ。

 人工の太陽の光が大きな窓からダイニングに差しこんでいる。保養所としての使用を目的に建てられた屋敷だけあって、ここには住人が快適に過ごすための工夫が、随所に取り入れられている。
 シャディクがカップをテーブルに戻す。その音に反応したのか、ハロが移動用ユニットに乗って無音で接近してくる。微笑ましいものでも見るようにそちらをやわらかく一瞥してから、シャディクはこちらに視線を向けた。
「昨日、屋敷のなかを歩き回っていたら、物置の奥に天井裏に続く梯子を見つけたんだ」
 にこやかな主人の話に耳を傾けながらも、なぜシャディクが物置の散策などしているのかと、内心では少しだけ呆れてしまう。もちろん時間を持て余しているからなのだろうし、悲嘆にくれて一日を過ごすよりははるかにましだ。私がどうこう言うことでもない。だが、あのシャディクが物置の散策……。
 シャディクとともに生活をはじめて、今日で十日。
 屋敷全体の散策、もとい探索は、ここに移ってきて最初の数日であらかた済ませた。物置として使われている空き部屋も、そのとき発見した。
 ざっと見た様子では、なかに目ぼしいものはなかったように思う。シャディクをここに送り込んだ人間たちはわざわざ、家具をみすぼらしいものに置き換えるいやがらせを働いている。そんな人たちが高価で重要なものを、屋敷内にそのまま置き去りにしているとは思えない。天井裏をのぞいたところで、どうせあるのはがらくただけだろう。
 だが、シャディクはそうは思わないらしい。
「梯子があったら、その先に何があるのか知りたくなるだろ?」
「……そうでしょうか?」
 抗議の意を込め正直に答えるも、シャディクは「そういうものさ」と目を細め、椅子から立ち上がった。
「朝食の片付けが済んだら、一緒に物置に行こう。運が良ければ面白いものが見つかるかもしれない」
 まるで子どもが探検でもするような無邪気な物言いに、私は困惑しながら頷いた。

 *

 平均的な幼少期を過ごしていないためか、私はあまり子どもらしい遊びというものを知らない。そういう遊びをした記憶もない。救貧院にいたころのことは薄ぼんやりとしか記憶していないし、グラスレーに拾われてからは、余暇の時間をほとんど持たなかった。
 カリキュラムの上での自由時間はたしかにあった。それなりに交友関係を育んでいた子どももいる。だが私はいつも、できるだけ目立たないようにと息をひそめていた。
 単に呼称というだけでなく、プリンスと呼ばれるにふさわしいだけの才覚を持ち、アカデミー内でも瞬く間に頭角を現したシャディク。私と彼が古くからの知り合いであることは、アカデミーの誰もが知っていた。
 これといった才能もない、努力の成果も出ない私。そんな私に許されたのは、シャディクの評判を落とさないよう、劣等生であると周りにできるだけ知られないようにすること。それだけが、唯一私に許されたおこないだった。

 朝食の片付けと朝の仕事を終えて居間へ戻ると、シャディクが私を待っていた。シャディクにも多少の家事を割り振ってはいるが、今のところはまだ、私の分担の方が多い。加えてシャディクは要領がいいので、何をするにも私より短時間で仕事を済ませてしまう。
 布地の擦り切れたソファーから腰を上げたシャディクは「それじゃあ行こうか」と口の端を上げる。その表情を見て、先ほどシャディクに呆れてしまったことを、私はひそかに反省した。
 この屋敷に移ってきてからというもの、シャディクは常に端然としているように見える。それでもときおり、翠の瞳を深い色に沈ませて、ひとりでじっと考え込んでいることがあった。
 本来背負うべきであった以上の罪を背負い、何もかもをはく奪されて、シャディクは今ここにいる。大それた事件を引き起こしはしたが、元来彼は、彼の責任のうえで失われた命を、むやみに軽んじる人ではない。
 シャディクが平気な顔をしているというのなら、それは罪を背負うことも、恨まれ憎まれることも、とうに覚悟しているというだけだ。けして他者を軽んじたり、塵芥のように思っているわけではない。
 こんなことになって、気が滅入っていないはずがない。だが、悔いることすらシャディクは己に許していない。超人的とすら思われる克己心で、今なお彼は己を律し続けている。そうでなければ一体どうして、地球のためにテロなど企てられただろう。
 少しでもシャディクの気が晴れるのなら、散策も悪いことではない。シャディクの心がすこやかであるよう尽力するのも、私のつとめのひとつだった。

 居間の棚に非常袋が収納されていることは、初日に調べて知っていた。なかから小型のライトを取り出す。試しにスイッチを押してみると、ライトは十分な光量で辺りを明るく照らした。
「電池式でしょうか。使ったら充電しておかなければいけませんね」
「ここにハンドルがついているから、ぐるぐる回せば充電できそうだ」
 おもちゃで遊んででもいるように、シャディクが言った。
「それに非常用の持ち出し袋の中身もついでに確認できて、ちょうどいい防災訓練になったじゃないか」
「ものは言いようですね……」
 果たしてこの辺境の地で、非常事態に見舞われることがあるのだろうか。
 天災でも起これば、この老朽化した建物だ。きっとひとたまりもないに違いない。けれどこればかりは天の定め。死ぬときは死ぬと諦めていれば、それほど大きな問題でもない。
 問題は、シャディクを狙った武装集団が襲ってくるだとか、そういう人為的な非常事態が起きた場合だ。そちらの方が、私にとってはよほど恐ろしい。
 ここの監視兵がいくら屈強であろうと、彼らにシャディクを守る意思がなければ意味がない。丸腰の私たちになすすべはない。
 そんなことを考えながら、私はシャディクにライトを手渡した。
 廊下の床板を軋ませながら、シャディクの先導で物置へと向かう。廊下の突き当りまで辿りつくと、シャディクは迷うことなく、そこにあった扉を開いた。
 扉の蝶番が不快な音を立てる。シャディクの背中越しに中を覗き込んだ。以前に一度探索したときと、室内の様子はまったく変わりないように見える。明かり取りの窓もなく、天井からは裸電球がひとつぶら下がっているだけだ。
「この奥に梯子があるんだ。ついておいで」
 臆することなく、シャディクは進む。手でも引かれそうな雰囲気だったが、シャディクは肩越しに私を振り返っただけで、さっさと物置のなかへと入っていってしまった。手持ちのライトを点けたのだろう。暗闇の満ちた埃くさい室内が、にわかに明るく照らされる。
 ライトの光が、空気中の埃をちらちらと瞬かせている。部屋の広さ自体はそれほどない。窓がなく、屋敷の突き当たりにあることから、最初から物置として用意された部屋なのかもしれない。
 雑多にがらくたが詰め込まれ、見通しが悪く死角が多い。
 遅ればせながら、シャディクを先に行かせたことに危機感を抱いた。
「シャディク様、万一のことがございますから、私が先に」
 こういうとき、先陣を切るのは使用人である私であるべきだ。危険なことがなかったとしても、うっかり蜘蛛の巣に顔を突っ込むとか、そういった事態はじゅうぶんにあり得る。
「大丈夫。こんな場所に不審者なんかいないよ」
「そうおっしゃいますが」
「俺がきみに危険かもしれないことをさせるとでも?」
「私は使用人ですから」
「そうか。だが、俺はもう主人じゃない」
 それを言われてしまうと、言葉に詰まった。黙り込んだ私に、暗闇のなかでシャディクが困り笑いをする。
「もちろん、きみが先に行きたいというのであれば、止める権利も俺にはないわけだが」
 主従関係も雇用関係もないのだから、と言外ににおわせるようなシャディクに、私は無礼と分かりながらも嘆息するしかなかった。いっそ権高に命じてくれた方がまだましだ。私はしぶしぶシャディクに従った。
「……分かりました。気を付けてお進みください」
「ありがとう。頭をぶつけないようにしないとな」
 シャディクは早くもけろりとしている。私は彼に続いて、梯子に足をかけて天井裏に上がった。
 天井裏は物置よりもさらに埃っぽく空気がよどんでいた。立ち上がると、私の頭すれすれのところに、きつく傾斜になった天井がある。前を歩くシャディクは、頭をぶつけないよう中腰になっていた。
 数歩前で、シャディクが足を止めた。後ろにつき、シャディクの背中ごしに確認する。ライトに照らされて浮かび上がった光景に、私は息をのんだ。
「これは……」
 そこには、暗闇の中にあっても分かるほどの、立派な家具や調度品のたぐいが、空間を埋めるような乱雑さでぎっしりと詰め込まれていた。
「なるほど、元々の家具はひとまずここに押し込まれていたわけか」
 家具に近寄り、シャディクが呟く。彼の言うとおり、これらの家具はもともと、この屋敷に置かれていたもののようだった。これだけの物量を運び出すには手間も時間もかかる。ぼろぼろの家具に入れ替えるにあたり、いったんここに押し込めていたのだろう。物置の奥に隠すように置かれた梯子など、注意深く探索しなければ見つからない。
 私も家具に近寄った。もっとも手前にあったこれは、ダイニングセットだろうか。一枚板の天板は豪奢すぎて腰が引けてしまうようなしろものではなく、機能性と美しさが兼ね備わっている。表面を手のひらでなでると、うっすらとした埃が付着した。
「多少ほこりをかぶってはおりますが、どれも今階下で使用しているものよりは、しっかりしていて使い勝手がよさそうですね」
「無断で下ろしたらまずいかな?」
 シャディクが悪びれずに問う。現在階下で使っているのは、いつ壊れてもおかしくないようなおんぼろ家具ばかりだ。お宝をここに眠らせておくよりは、利用した方がいいに決まっている。
「屋敷内のものはすべて自由に使ってよいと言い付けられておりますから、勝手に取り替えたところで、まずいということはない、と思うのですが……」
 問題はある。
「私の……いえ、私たちふたりの力では、下ろせたとしてもかなりの重労働になるのではないでしょうか?」
 ここにあるのは、見るからに重厚な家具ばかりだ。重さと高級さが比例するわけではないだろうが、軽く簡単なつくりでないように見える。平均的な成人女性程度の腕力の私と、禁錮生活で体力がまだ戻っていないシャディクでは、さすがにこれだけの重労働は難しい。
 だが、このままむざむざ引き下がるのも悔しい。
 しばしの逡巡ののち、私は提案した。
「……難しいかと思いますが、監視兵の方に、お手伝いいただけないか頼んでみる……というのはいかがでしょう」
 口にしながらも、それが望み薄であることは分かっている。シャディクもうっすらとした微笑みを浮かべたまま「無理だろうね」とばっさり言った。
「彼らは俺と馴れ合わない……俺に懐柔されないように、意図的に強硬な態度をとる人間を監視兵として派遣しているはずだ。頼んだところで聞いてはもらえないだろう。やめた方がいい」
「……シャディク様がそうおっしゃるのであれば」
 使用人としては、シャディクの判断に従わないわけにはいかない。だが、これもやはり使用人として、シャディクに少しでもこころよく日々を過ごしてほしいとも思う。間違ってもいやがらせじみた生活を、受け容れたままでいてほしくない。
 ここにある家具こそ、本来シャディクにふさわしいものなのではないだろうか。しかし当のシャディクはといえば、すでに興味を失ったように、梯子で階下におりようとしている。
 後ろ髪ひかれる思いをどうにか振り切って、私もシャディクの後へと続いた。

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