遠浅のクレバス


「ナマエさんは仕事としてこのフロントに滞在しているんですよね?」
「そうですね。一応、そういうことになっています」
「ですが、ここではもらった給与を使うこともないと思うんですが……そのあたりは、どういう仕組みになっているんですか?」
 アーシアンとスペーシアンの格差の話から、なぜか私の雇用事情についての話題に飛んでいた。一体どうしてそんな話になるのかと思ったが、そういえばつい先ほど「タヴァは自分の仕事をまっとうしているだけなのだから、謝る必要はない」というような話をしたばかりだったことを思い出す。
 おそらく、そのあたりから思考が派生しているのだろう。私からすれば突拍子もない話題転換だが、きっとタヴァの中では筋道だった会話の展開になっているに違いない。
 「そうですね」と、私は一度言葉を切った。私を雇用しているのは、ミオリネさん──株式会社ガンダムということになっている。なっているというか、事実そうなのだ。
 どういう事情や取引、契約が絡んでいるのかは不明だが、シャディクの身柄一切にかんしては、今後シャディクが死亡するまで生涯、株式会社ガンダムの監視下に置かれるということになっている。私は世話係として随行を許されているが、名目上はたしか監視員ということになっているはずだ。
 一方タヴァは、あくまで株式会社ガンダムから業務委託を受けた企業の従業員ということになる。となると、ここで詳しい契約の内容について話すのは、多かれ少なかれ具合が良くない。
 だが、こと給与形態にかんしてのみいえば、特に隠し立てしなければならないこともない。ここでの生活では、あらゆる通貨を使う必要がないことは、誰の目にも明らかだ。
「そうですね。基本的には賃金から私の生活費や雑費がもろもろ天引きされているので、実際のところそれほど残るわけでもないと思うのですが」
 そう前置きしてから、私は答えた。
「私が手を付けなかったぶん……というか、私が使えないぶんの給料は、私の雇用主に運用をお願いしています。いずれはしかるべき場所への支援に役立てていただくという約束になっているので、そのようになるのではないですか?」
 具体的にいうと、地球の戦争孤児支援に役立ててもらう約束になっている。
 もともと株式会社ガンダムでは、旧グラスレー社の慈善事業を引き継ぐかたちで、地球の紛争地帯に対し支援事業を展開している。私の給料など、事業の規模から考えれば雀の涙程度の金額でしかないはずだが、一応はその事業に募金というかたちで役立ててもらっていた。
「ナマエさんはそれでいいんですか?」
「いいも何も、そうしてほしいと、私が頼んだことですから」
 家族のひとりでも残っていれば、仕送りしようという気にもなるのかもしれない。だが孤児出身の私には、そういう相手もいなかった。もっとも家族に近い存在であるシャディクは、やはりこのフロントで通貨とは無縁の生活を送っている。
 私個人としては、地球の孤児に対して何か思うところがあるわけではない。労働という体裁をとる以上発生を避けられない賃金の行く先として、なんとなくもっとも相応しいような気がするというそれだけの理由で、私は投資先を決めた。
 これも罪滅ぼしといえば罪滅ぼしなのかもしれない。シャディクがしでかしたことへの、罪滅ぼし。そして何より、自分だけ安穏とした生活に身を置いて、一向に顧みようとしなかった故郷への──ずっと無関心でいつづけたことへの、罪滅ぼしかもしれなかった。
 むろん、お金で解決しようというやり方が、シャディクの胸にある理念にそっているのかは分からない。分からないが、やらないよりはやる方がましだとも思う。
 すると何が琴線にふれたのか、
「いやー、ははは。すごいなぁ、ナマエさん」
 タヴァが唐突に笑いだす。
「なんというか、ナマエさん、突き抜けてますね」
「突き抜けてますか?」
「だってそれって、愛のなせるわざってことですよね。突き抜けてますよ、愛が」
 これまた突拍子のない話だった。愛も思い入れもないからこそ、故郷である地球に対しても、他人まかせ、それも微々たる額の金銭支援しかしていないのだが。
 しかしタヴァが言いたかったのは、私の給金の使途についてではなかったらしい。
「要するに、給料、金銭っていう明確な見返りがないのに、ナマエさんはこの僻地までついてきて、そして今もこれからも、ずっとここにいるわけですよね。だから、愛が突き抜けてる」
「手元にお給料をいただいていないとはいえ、もらっているものはもらっているわけですし……。仕事で来てるという前提があるんですから、一概に愛のなせる業ということにはならないのでは?」
「でも、愛がなくちゃそもそもこんな仕事を、しかも無料奉仕でなんて無理ですよ」
「無料奉仕ではないのですが……」
「実質、無料奉仕みたいなものですよ」
 この点については、私とタヴァのあいだには理解しあえない、明確な思考のみぞがあった。実際には、タヴァの言うような無償奉仕とは程遠い、どころかまるきり正反対の欲得ずくで、私はこの役目を引き受けている。
 シャディクのそばにいたいから、シャディクの役に立ちたいから──そうやって生きて死にたいから、私はこのフロントにやってきた。本当に、ただそれだけだ。
 けれどまさかタヴァに、このような私的で強欲な事情を詳らかにするわけにはいかない。タヴァが善良な人間であると私は信じているが、それでもタヴァにどのような繋がりがあるのかまでは分からない。少しでも弱味になりそうな部分については、あまり語らないのが賢明だ。
「俺もそんなふうに、突き抜けた愛に生きてみたいです」
 軍手をはめた両手をたたいて、タヴァが言った。タヴァの手元から、魔法のように土煙が舞い上がる。
 これさいわいと、私は話題を変えた。
「タヴァさんは、恋人は」
「いますよ」
 あっさりとした返事のあとに、遅れてタヴァの顔がゆるんだ。恋人の顔でも思い出しているのだろうか。そのにやけ顔を見て、柄にもなく微笑ましい気分になる。
「大切にされているんですね」
「そりゃあ、もちろん。そもそも俺がここのフロントへの配属を受けたのも、二年間でがーっと稼いで結婚資金をつくるっていう目的があってのことですから」
 この言葉に、私は驚いた。思わずまじまじとタヴァを見つめると、私の視線に気付いたタヴァは「何ですか、その顔は」と呆れたような顔をする。
「いえ……、だってタヴァさん人がいいので……、私はてっきり、ここへの赴任も嫌な仕事を体よく押し付けられたのだとばかり……」
「まあ、それもまったくないではないんですが」
 タヴァの返事に、また笑ってしまった。そういえばタヴァは、ツーマンセルを組んでいるあの嫌な隊長とも、旧知の仲だと言っていた。そういう諸々の事情が積み重なって、結果として赴任が決定したのだろう。僻地に二年の単身赴任は、それなりに給料もいいと聞く。
「そうですか……、タヴァさん、ご結婚されるんですね」
「いやいや、まだだいぶ先の話ですから……。それに帰ったときにプロポーズを受けてもらえるかもまだ分からないですし……」
「大丈夫ですよ、タヴァさんなら。多分、おそらく」
「そこは断言してほしいところなんですが……、って、俺の話はいいんですよ!」
 とにかく、とタヴァが咳払いをして言った。
「俺も、ナマエさんのこと応援しますよ。せっかく二年もここに張り付いて、おふたりを見守ることができるんですから」
 おふたり、というのはやはり、私とシャディクのことだろう。ここまであまり明言されてこなかったが、タヴァの言う「突き抜ける愛」とは私からシャディクへの無償の愛のことで間違いないようだ。
 無償の愛。それは私ではなく、かつてのシャディクにこそ相応しい言葉なのだが、そんなことをタヴァが知るはずもない。
 胸のうちをふと掠めた感傷をやり過ごし、私はタヴァに笑い返した。
「それでは、私もタヴァさんを応援いたします。がーっと稼いで、ぶじに結婚できますように」
「ははは、応援してください。二年で帰れなかったら、それこそまじで捨てられるかもしれないんで」

 *

 タヴァの助けを借りて、どうにか花壇の土を入れ替え終えた。もともとの土に腐葉土をまぜただけの簡易的なものだが、何もしないよりはましなはずだ。見るからに黒っぽくふかふかとした土は、今にも花を植えられるのを心待ちにしているようにも見える。
 タヴァを見送り屋敷のなかに戻ると、ちょうど階下へおりてきたシャディクと、廊下で鉢合わせになった。
「ガーデニングの準備はうまくいっているかな」
 シャディクに問われ、私は「はい」と返事をした。シャディクの部屋の窓からは、ちょうど中庭の様子を見下ろすことができる。もしかすると、彼は私たちが作業している様子を、部屋から眺めていたのかもしれない。
 一緒に種蒔きをすると言ったくらいだから、シャディクも多少は、ガーデニングに興味があるのだろう。だが、シャディクはタヴァと直接口をきくことを許されていない。だからたとえ中庭におりてきたところで、タヴァと言葉をかわすことはできない。
 タヴァにも気をつかわせるのは、シャディクの望むところではないはずだ。よって影からひっそり見守るに留めておいたというのは、じゅうぶんに考えられる。
「土の準備ができましたので、明日天気がよければ一緒に種蒔きをいたしませんか」
「ああ、そうだな」
 言葉数少なく頷いて、それからシャディクはおもむろき、私の顔をうつろな視線で眺めた。その蒼の瞳に、私はなぜかひとひらの危うさを感じ取る。
 多少の機嫌の良し悪しはあれど、このフロントに来てからのシャディクは、常に落ち着き払い安定しているように見える。もともと感情をあまり表には出さないひとだが、だからといって神経が鈍いたちではない。内面には激情家な一面があったりもする。
 だが、ここのところはいい意味で、シャディクの感情が凪いでいた。それなのに今、ほんの一瞬だが、ひやりと鋭いものがシャディクの瞳をよぎったような気がしたのだ。それはあたかも、あの晩のシャディクの瞳に宿っていたのと同じような、鋭利であやうく、それなのに諦念すら感じるような、複雑な色だった。
「シャディク様、……どうかなさいましたか?」
「いや、どうもしない」
 私の漠然とした問に、シャディクは間髪容れずに返事をする。その短くきっぱりとした返答が、かえって私の心を不安にさせる。
 が、私が追及するより先に、シャディクはひらりと疑念をかわした。
「すまない、少し頭が重い。今日ははやめに部屋に戻らせてもらう」
「薬はご用意いたしますか?」
「いや、いい。早く寝ることにするよ」
 それだけ言うと、シャディクはくるりと踵を返した。今くだってきた階段を、しっかりと抑制のきいた歩調で、ふたたびゆっくり上がっていく。その後ろ姿を見送りながら、私は言いようのない胸のざわつきを感じていた。

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