命をほどく、日々を縫う


 翌日の午後、私はタヴァと一緒に中庭の花壇跡地を前に、土と格闘していた。
「すみません、こんなこと、本当はタヴァさんのお仕事じゃないのに」
「いえいえ、むしろこうやって仕事を任せてもらえる方が、張り合いがあって気持ちがいいですよ」
 白い歯を見せて笑うタヴァは、天井パネルから降り注ぐ疑似陽光に照らされて、爽やかさの権化のような笑顔を輝かせている。
 昨日、書庫から出たあとで、私は屋敷の外の監視兵詰所へと立ち寄った。この頃ではもはや私の対応は、タヴァひとりが担当している。隊長の方も、見回り任務をしているところなど目撃することはあるが、遠目にその姿を確認するだけだ。明らかに彼は私とシャディクのことを避けているようで、一度口論になって以来、言葉を交わす機会はない。
 昨日、私が詰所で呼び出し音を鳴らしたときも、出てきたのはやはりタヴァだった。
 タヴァは室内でトレーニングをしていたらしく、汗みずくになって私を迎えた。
「あれ、ナマエさん。どうかされましたか? 虫でも出たとか」
「このフロントにも虫がいるんですか?」
「いや、見たことないですが、そういう事情でもないとわざわざ俺を呼びには来ないかなって」
 とぼけたことを、タヴァが言う。生態系が完膚なきまでに破壊されているこのフロントで、これまでのところ目視できる大きさの虫を観測したことはない。が、別にかりに虫が出たとして、そんなことでタヴァに声をかけることはありえない。
 そもそも私は虫の退治なら自力でできる。シャディクだってそのくらいできるだろう。何せ我々は、泥水を啜るような幼少期を送ってきたアーシアンの孤児出身者だ。
 さておき、本題は虫の駆除云々ではない。土いじりだ。すでにタヴァは、先日の輸送物品のなかに植物の種子が含まれていることを知っている。ガーデニングの下準備として土を良くしたい、ついては力仕事に手を貸してほしいというお願いも、あっさりと引き受けてもらえた。
「任せてください、土いじりも力仕事も大好きです!」
 聞けば、タヴァの家族のルーツは農業プラントにあるらしい。両親は農業ではなく別の仕事に就いていたが、幼い頃から農業が身近にあったのと、タヴァの生まれ持った性質ゆえに、土いじりに対しては一切抵抗がないとのことだった。
 その話のとおり、大きなスコップをかまえた姿も様になるタヴァは、作業開始して早々、どんどん土を掘りだしていった。その手際の良さに、私は思わず目を瞠って感嘆の声をあげる。
 ざくざくと、小気味よいくらいのペースで、土が花壇跡地から掘り出されていく。掘り出された土は、そのすぐわきに、うずたかく積まれていく。私ひとりでは、こうも順調には運ばなかっただろう。シャディクがいたとしても、やはりここまでではなかったはずだ。
 額に浮かんだ玉の汗を、軍手をはめた手の甲でぐいと拭い、タヴァは大きく息を吐き出した。手にしたスコップの先を、地面にざくりと突き立てる。いくらそれほど広くはない花壇とはいえ、掘った穴の深さはゆうに三十センチくらいある。その穴のふちに立ち、穴のなかを覗き込んでから、タヴァはこちらに視線を向けた。
「ふう。結構掘りましたね。ええと、ナマエさん、たしか土は用意があるんですよね」
「はい。裏の物置小屋に腐葉土の袋を見つけました」
 放置された農作業用の道具と一緒に、物置小屋に仕舞い込まれていたものだ。果たして袋のなかの土にどの程度栄養が残っているかはさだかではないものの、確実に元々の地面の土よりはましなものだろう。袋ごと物置から引き摺り出して、ひとまずは物置の前に放置してある。
「いいですね。じゃあこの後は腐葉土とここの土を混ぜていきましょうか」
 そう言って、タヴァは今度は掘り出して積み上げた土を、横に置いていたリヤカーに載せ始めた。掘り出した土は、一部をのぞいて破棄する必要がある。リヤカーの荷台にブルーシートを敷いているので、土はそのまま運んで捨てる予定だった。捨てる場所は特に決めていなかったが、そのへんに捨てても誰も文句は言わないだろうということで、すでにタヴァと話しがついている。
 てきぱきと作業に取り掛かるタヴァを、私は邪魔にならないように少しだけ離れて見守った。この段階では、私にできることはほとんどない。不慣れな手つきでスコップを振り回したところで、かえって邪魔になるだけだというようなことを、最初にタヴァからやんわり忠告されていた。
 そんなわけで、タヴァの好意に甘えて横に突っ立っていただけの私だが、いざこうして目の前に作業の成果としての地面深くまで掘った穴が現れると、ふいに不安が胸に兆した。
「今更ですが、うまくいくでしょうか」
 ほとんど独り言のように、ぽつりと小さく呟くと、タヴァが手を止めないままで、首だけぐるりと巡らせ私に視線を寄越す。
「ナマエさんは植物を栽培するのははじめてですか?」
「はい、私もシャディク様もこういったことははじめての挑戦です」
「ああ、そうか。あの人もか……」
 忘れていた、とでも言わんばかりのぼんやりした口調は、事実今の今までシャディクの存在を失念していたからだろう。タヴァがここに赴任しているのも、元を辿ればシャディクが流刑されてきたからにほかならないのだが、そのシャディクはタヴァたちとの接触を禁じられている。そのためタヴァにとっては、シャディクは限りなく存在感の薄い隣人のようなものだ。
 タヴァは、しばし何事か思案するように、もごもごと口を開いては閉じるのを繰り返していた。おおかた、シャディクのことを話題にあげるかどうか悩んでいたのだろう。だが結局、タヴァはシャディクには触れないことに決めたようで、
「まあ、うまくいかなかったら、うまくいきませんでしたって報告書を上げておきますよ。そしたら何か、いい感じの肥料とか土とか、また送ってくれると思うけどなぁ」
 何とも呑気かつ、楽観的な考えを口にした。
「……そうですか?」
「え? だっていきなり種と肥料を送りつけてきたってことは、上の人間がここで栽培をやってみてほしいと思ってるってことですよね。だったら、そのくらいの協力は惜しまないような気がします」
「なるほど」
 実際には私のリクエストが通っただけなのだが、タヴァはそのことを知らない。シャディクと私がこの不毛の地で生活しているのを利用して、企業が品種改良を重ねた種子がこの地でも発芽するのか実験しようとしているだとか、そのような事情だと睨んでいるのだろう。勘違いをわざわざ正す理由もないので、私もタヴァに話を合わせている。
 とはいえタヴァの楽観的な考えも、一部に限ればおそらく正しい。もしもタヴァが植物の栽培がうまくいっていないことを報告書に書けば、その報告書に目を通しているミオリネさんにも確実にこちらの状況が伝わる。ミオリネさんならば、そう言った記述があるのを見つけ次第、すぐにまた手を貸してくれるだろう。
 植物を栽培したいというのは、完全に私のわがままから出た発案だ。なのであまり、ミオリネさんに迷惑をかけたくはないのだが、もちろんそれもタヴァの知らない事情だった。
「それにしても、土いじりはいいですねぇ! 人間、やっぱ地面に根ざして生きているって実感がないと」
 ぼんやり考え事をしていた私を、タヴァの声が現実に引き戻した。意外な言葉に、私は少しだけ目をしばたかせた。そんな私にタヴァは「こればかりは本能ですよね」と軍手についた土を払いながら続ける。
「踏みしめて歩ける地面がなくちゃ、どうにも落ち着かなくないですか? 俺なんかいまだに、無重力空間は嫌いですよ。心許ない感じがどうにも好かなくて」
「ああ、それは少しだけ分かる気がします」
 このフロントも含め、人間が生活するための区域はおおむね、地球と同じ1Gがかかるよう設計されている。しかし当然ながら、フロント間、星間移動のために宇宙空間で行動するときには、無重力に身を置く必要がある。多くの人間は人生でそうしばしば惑星間移動をしないのかもしれないが、タヴァのように赴任地が次々に変わるような職業、あるいはさまざまな星やフロントを出入りするミオリネさんのような職業人は、たびたび経験することになる。
 已むに已まれぬ事情があったとはいえ、今となっては遠い昔に、人間たちは宇宙に進出していった。そして現在、いまだ地球から脱出できぬもの、縋りつくものたちのことを、スペーシアンたちは露骨に差別し、悪意を向ける。
 タヴァ個人を悪人だとは思わないが、それでもスペーシアンが地球生活に根差した思想、思考を持つのを目の当たりにするたび、私はどこか苦々しいような気分になる。腹を立てているわけではない。ただ、釈然としない思いを感じるだけだ。
「そういえば、ナマエさんは地球出身なんですよね。こういう『地に足つけて』って感覚は、アーシアンの人たちの方が強く感じるものですかね」
 唐突に、タヴァが言った。まるで私の思考を読んだかのようだ。その言葉に、私は驚きタヴァを見た。
 タヴァは私の顔を見て、不思議そうに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いえ、少し驚いてしまって。なんというか……そんな事情まで説明されているんですね」
 私の返答に、タヴァは束の間怪訝そうな顔をして、それからようやく、慌てて大きく頭を下げた。
「あっ、いや、ご気分を害しましたか。失礼いたしました!」
「大丈夫です。ただ、シャディク様だけでなく、私の事情も筒抜けなんだなぁと思ったら」
「監視という任務の性質上、おふたりの生育背景のようなものは、その……ある程度は」
 言いにくそうに口ごもるタヴァは、やはり悪人ではないのだろう。今の話も悪意があったわけではなく、ただ知っている情報を世間話の延長で口にしてしまっただけだ。彼の申し訳なさげな態度からは、そのことが如実に伝わった。
「すみません、やっぱり嫌ですよね。こういう、なんか……すみません」
「タヴァさんはご自身のお仕事をまっとうされているだけなので、謝っていただく必要はないと思うのですが」
 別に私は自分が地球の出身者であること、孤児であることに対し、それほど引け目を持っていない。その出自ゆえに嫌な思いをしたという経験も、ほかのアーシアンに比べれば圧倒的に少ないはずだ。
 アーシアンであることを隠しているわけでもなかったので、タヴァに知られていたからといって、特段どうということもなかった。だからといって、別にアーシアンであることを誇りに思っているわけでもなかったが。
 孤児だった頃、私はずっとシャディクの庇護下にあった。アーシアンゆえの不遇を託ったという覚えは、あまりない。
 アカデミーでは誰もが私と変わりない生まれ育ちをしていたから、出自を理由に嫌がらせをされることもなかった。ゼネリ邸に勤めだしてからも、邸の主人の人格がすぐれているためか、ただの新人、一介の女中としてのみ扱われた。
 スペーシアンへの嫌悪はあるが、憎悪というほどの強い感情もない。もしも私がスペーシアンに負の感情を抱いているとすれば、それは彼らがシャディクが戦っていた大きなシステムをつくった者、そしてそこにあぐらをかいている者たちだからだ。私の怒り、私の嫌悪ではなく、シャディクの怒りの対象。
 もっとも、今ここで問題になっているのは、単に私の背景がタヴァたちに共有されているという、その事実だけだ。背景にあるものが『アーシアンの孤児』なので、少しばかり話がややこしくなっているが、私がアーシアンであることとタヴァの謝罪に関連はない。
 驚きはしたが、気にしてはいない。というより、むやみに気遣われる方がかえって気詰まりだ。
 そのようなことを、もう少しだけ丁寧な言葉でコーティングして、私はタヴァに伝えた。タヴァは「以後気を付けます」と、分かったのだか分かっていないのだか、おそらく分かってはいるが他にうまい返事を思い付かないのだろうというような、何とも微妙な返事を寄越した。そして、
「少し突っ込んだ話を聞いてもいいですか?」
 意外にも、この話を続行するつもりのようだった。

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