革命前夜のイントロ


 大罪任であるシャディクが移送されることは、限られた人間しか知らない極秘事項だった。少なくともシャディクはそう思っていたはずだ。面会人たちとの今生の別れは、思い当たるかぎり全員とすでに済ませてあった。
 しかし覆面車で宇宙港まで運ばれ、そのまま連行されるように歩いて行った先に私が待っていたのだから、シャディクはさぞかし驚いたことだろう。
 小ぶりのボストンバッグと、動きやすいパンツスーツに身を包み、先回りしていた私はシャディクを見て一礼した。
「どうせなら先回りして、びびらせてやろう」
 そう言ったのはミオリネさんで、私はその案に乗っただけだ。だが、この企みは大成功をおさめた。後にも先にも、このときほど驚いたシャディクの顔を、私は一度も見ていない。
 茫然と目を見開いたシャディクは、声をなくして私を見ていた。四年ぶりに再会したシャディクは心なしか窶れ、あの頃の覇気や野心を一切感じさせないたたずまいをしている。両手首には拘束用のリングが嵌められ、纏う空気も穏やか──言い換えれば、無気力さを感じさせるものだった。
 あれほどの胆力を持っていたシャディクをもってしても、四年間も無刺激で退屈な生活を送れば、活力や鋭敏さを奪われるものだろうか。だいたい、驚いたところで言葉を失うなど、かつてのシャディクではけしてありえなかったことだ。その姿を見ているだけで、胸が詰まって泣きそうになった。
 警護の人間は事前に聞かされていたのか、突如始まったこの再会劇にも、顔色ひとつ変えなかった。また、これも言い含められていたのか、驚くシャディクが声を取り戻すまで、じっと辺りを警戒しながら無言で待機している。
「……どうして、ここにきみが」
 ようやくシャディクが発した言葉は、絞り出すような声色で紡がれていた。その一言で、私は自分がけして望まれてここにいるわけではないのだと、当たり前のことを、痛いほど思い知らされる。
 胸が痛まなかったといえば、嘘になる。
 だが、もはや引くことはできない。ここで回れ右をして帰ったところで、私には行く先などどこにもないのだ。
 もとよりシャディクの要請も承認も、私は求めていなかった。ここにいること、そしてこの先に行くことは、すべて私がひとりで決めたことだ。ミオリネさんの助けを借りることはあったけれど、それでも、生まれて初めて、私がぜんぶ選択した。
 誰であろうと──それがたとえ、世界でただひとり私を支配できる男であろうと、阻ませるつもりはなかった。
「ここから先は私、ナマエ・ミョウジが、フロント〈ユーダリル〉でのシャディク坊ちゃまのお世話をさせていただきます。及ばぬ点もあるかと思いますが、誠心誠意お仕えいたします。何卒、よろしくお願いいたします」
 ぺこりとひとつ、丁寧で、慇懃な礼をした。
 シャディクはぽかんとして私を見つめる。やがてくつくつと肩を震わせると、喉をそらせて天を見上げるという芝居がかった身振りを、ごく自然な動作でやってのけた。
「まいった。これはさすがに予想していなかった。……いったい誰の差し金だい? ミオリネ? きみのことを知る人間は、そう多くないはずなんだが」
「ミオリネさんからお声がけはいただきました。ですが私が希望して、自分でここに参りました」
 誰かに強いられたからここにいるわけではないことを、ことさら強調して伝えた。シャディクの意に沿わない行動をとっているからといって、それが別の誰かによる指示だとは思われたくない。私がシャディク以外の誰かのために、シャディクのためにならないことをするはずがない。それは今も変わらない。
 シャディクは束の間、じっと覗き込むように私の目を見つめた。鋭敏さを欠いてなお、その瞳は怖いほどに澄み渡っている。長く見つめ合っていると、私のなかの何もかもを見透かされてしまいそうな、そんな気がした。
 暫時ののち、シャディクが平板な声で問うた。
「俺はおまえをこの先へ連れて行きたくはない──もし、そう言ったら?」
「申し訳ありませんが、その言葉は聞けません」
 迷うことなく、返答した。シャディクはまた、口をつぐんで私を見つめる。私はシャディクの透明な視線を、身じろぎもせず、ただ真っ向から受け止めた。
 どれほどそうしていただろうか。
「……そうか、そうなんだな」
 やがて何かを悟ったのか、シャディクは笑って、もう一度天を仰いだ。結わえた髪がさらりと揺れる。
 人払いがなされたプラットフォームは、シャディクの声をぬるりと吸い込んだ。会話が途切れて次の瞬間には、何か大きな機械の低い駆動音が空気を塗りつぶす。
 その音がふたたび途切れるのを待ってから、シャディクがゆっくりと発した。
「どのみち、俺にナマエを追い返す権利もない。いいだろう、一緒に行こう。だが、行った先がどんな地獄でも、俺はきみを助けないよ」
 内心、ほっと胸を撫でおろす。けれどすぐに気を引き締めた。
 これはまだ、ここから先の長い旅路の序幕にすぎない。比喩的な意味だけでない。文字通り、目的地までは長い旅路になる。
 だが、もはや私に恐れるものなど何もなかった。シャディクが私を拒まないのならば、ここから先、何が起ころうと対処はできるだろう。
 たった今この瞬間から、私の生きる目的はシャディクのために生きること、シャディクを無事に生かすこと、シャディクをそばで支え続けることと定まった。
「かまいません。地獄には慣れておりますので」
「よく言う。昔のことなんか覚えていないくせにね」
 呆れたようなシャディクの笑顔に勇気づけられ、私は一歩足を踏み出した。

 *

「ミオリネがきみに辿り着くとは思わなかったが、それよりも、きみを俺のお目付け役に任命するなんて、それこそありえないと思ってた」
 くすくすと楽しそうに、シャディクは笑っている。実際には私を推挙したのはサリウス・ゼネリなのだが、シャディクにはその辺りの事情を説明していない。私の雇い主がミオリネさんだということだけは話してあるから、人選の段階でミオリネさんが偶然、私を見つけ出したと思っているのだろう。
 サリウス代表にも思うところがあったはずだと、ミオリネさんは言っていた。もちろん、それはたしかにそうなのだろう。だが私にはまだ、その『思うところ』というのが何なのかまでは分からない。あれほど立派な人の考えだ。もしかしたらこの先も、私に分かる日など来ないのかもしれない。
 ともあれ、今のシャディクに養父の名前を出していいものかも、正直にいえば分からない。シャディクがサリウスと明確に線を引いて自分を罰しているのは明らかだ。それがシャディクにとって如何ほどの痛苦になっているのかもまた、私には想像もつかない。
 それでも、そこに痛苦があるのだろうことは、未熟な私にも想像できる。そして私の仕事は、シャディクの心やすらかな生活を支えることだ。わざわざ伝える必要がないことを伝え、シャディクの心を乱す必要はない。そう思い、私はシャディクの誤解をあえて訂正しなかった。
 こほんとひとつ、咳払いをする。
「お目付け役というおっしゃりようはともかく……ミオリネさんもこの人選に関しては、かなりお悩みになられたと聞いています」
「それはそうだろうな。俺の処遇に関してどうにか物申したい、一枚噛みたいという人間は山ほどいただろうし、自分の息のかかった人間をお目付け役として帯同させたい、送り込みたいという人間も、まあ呆れるほどいたはずだから」
 まるで他人事みたいな調子で、シャディクは楽しそうに笑う。常に自分の価値を意識して生きてきたシャディクだ。沙汰を待つだけの身であっても、シャディクを巡る各勢力の水面下での攻防は、手に取るように想像できたに違いない。
 そういう駆け引きを面白がる精神を、あいにく私は持ち合わせていない。ましてシャディクを商品か何かのように扱われるのは、はっきり言って想像するだけで不愉快だ。
 むっとした気分が声に出ないように気を付けて、私はシャディクに尋ねた。
「今更ですが、随行する人間を選ぶにあたって、もしもそういった裏のある人選がなされていた場合、シャディク様はどうなさるおつもりだったのですか?」
「どうもうこうもないさ。いったんはお引き取り願って、それでも聞いてもらえなさそうなら、一緒に行くしかないだろう」
「信用ならない相手と、ですか?」
「信用、か」
 シャディクがくちびるの端を片方だけ歪めて笑う。私は遅ればせながら、今の言い方ではあたかも、自分がシャディクの信用を得ているのだと確信しているように聞こえると気が付いた。むろん、そんなことは微塵も思っていない。というより、私ほどシャディクから信用されていない人間もいないだろう。
 訂正すべきだろうか。しかし迂闊なことを言えば、さらに墓穴を掘りそうな気もする。こういうとき、私にはシャディクのように滑らかに働く頭はない。
 私は内心で、はげしく狼狽していた。が、そんな私を待つことなく、シャディクはあっさりと──まるで今しがた彼が呟いた言葉も私の気のせいだったとでもいうように、何でもなかったような顔で話を続けた。
「信用できるかどうかは別として、俺はいつ、誰に殺されても仕方がないとは思ってる。それだけのことをしてきたからね。今こうして生きているのが不思議なくらいだ」
 あまりにも呆気なく放たれた言葉に、私は堪らず言い返す。
「……殺させませんよ。何があろうと、私がお守りいたします」
「ははは。悪いが、そこはあまり頼りにしていない」
 それはシャディクの本心だろう。それと同時に、情けないが自分でも、いざというときには言葉と決意で表明しているほど、私は活躍しないだろうと思う。
 実際私は自衛のための護身術すら、ままならない。本当は渡航にあたり護身術の講義も受けたかったのだが、残念ながら残り時間と術後体調がそれを許さなかったのだ。
 何か緊急事態が起こったとき、私にできるのはせいぜいが盾となることくらいであって、単純な戦闘能力でいえばシャディクに分があるのは間違いない。そのシャディクだって、身体を鍛え、名家の子弟としての嗜み程度に武術を学んだことがあるという程度だ。
「そう気を落とすことじゃないさ」
 シャディクは瞳を伏せ、静かに、そしてほんのわずかだけ寂しげに、微笑みながら言った。
「それに、きみを守るのは、今でも俺の役目だよ」
 たったひと言の、短い呟きだった。ささやきとすら呼べる、それは誰に聞かせるためでもない小さな声だ。
 けれど、たしかに私の耳に、胸に、その言葉は届いた。
 シャディク様、と。咄嗟に呼びかけようとする。しかしその衝動は、シャディクの視線によって無言で制された。言葉が喉で停滞し、一瞬の隙ができる。その隙を見逃すことなく、シャディクはさっと表情を切り替えた。
「話が脱線したかな」
 そう言うシャディクは、ここにきてからよく見るおだやかで、すべてを手放した人間だけが持ち得るのだろう、そんな笑顔を浮かべていた。
 つくづくシャディクは、自分を覆い隠し、当意即妙な演出をするのがうまい。はぐらかされた私は、負け惜しみのようにそんなことを考える。
「ともかく、少なくとも週休一日はとってもらいたい。きみの雇用主は今はミオリネなんだろう? まさかミオリネが就労規則として休日を設定していないとは思えないんだが、どうだ?」
 あっという間に話題を元の路線に戻したシャディクは、次いで痛いところをついてきた。
「……信頼が篤いんですね」
 返答のかわりに、私はそれとなく矛先を逸らす。
 シャディクは表情を変えることもなく、余裕たっぷりにほほえんでいた。
「信頼って、ミオリネへの? それはそうさ。経営者としてのミオリネは、四年前ならともかくとしても、今は俺なんか足元にもおよばないくらい優秀だろうから」
 ……はぐらかしたつもりが、なんだかまたはぐらかされたような気がする。私とミオリネさんとのあいだには、すでに禍根は存在しない。だがそれとは別の問題として、私はてっきり、今でもミオリネさんがシャディクの弱点だとばかり思っていた。
 はぐらかされた仕返しに、痛いところを突き返そうとした──というわけではもちろんなかったが、ミオリネさんの名にシャディクが多少でもひるんでくれれば儲けもの、くらいには思っていた。
 だが、今のシャディクの隙の無さでは、ミオリネさんの名前を持ち出したところで、いっこうに余裕を崩せそうにない。
 私は内心で嘆息し、諦めた──白旗をあげた。
「分かりました。それではシャディク様のおっしゃるとおり、今後は週に一度、お休みをいただくことにいたします」
 露骨にしぶしぶといった私の返事に、シャディクは満足げにうなずく。
「うん、週休という言葉を使ってはいるが、曜日感覚はここではほとんど皆無だ。前日までに言ってくれれば、きみの好きな日に休んでくれてかまわない」
「念のため申し上げておきますが、自分の生活のために必要な家事はいたしますから。そこは」
「ああ、分かってる。休みだからと言って、何もさせないというのは無理なはなしだ」
 くすくす笑ったシャディクは、これで話はしまいというように、ぱんとひとつ手を叩いた。ソファーから腰を上げ、私にほほえみをくれる。
「さあ、というわけで、さっそく今日は休みにしよう。昼食も俺が作ろうかな」
「あ、それでしたら古い保存食を出しましょうか。そろそろ期限が切れるものがあったはずです」
「食糧庫にあるものなら、俺が出しておくよ」
「それではお願いします」
 昼食は私も食べるものだから、さっきも確認したとおり、休みだからとシャディクに任せる理由はない。しかしシャディクがここまで強く休めというのだから、ここは主命をたまわったと思って引き下がることにした。
 シャディクに急かされ、私は居間をあとにする。一礼して自室に下がろうとした私に、シャディクが思い出したように声を掛けた。
「出掛けるときは、あまり遅くならないように」
「? 出掛ける予定はないですが」
「……そうか。まあ、ゆっくりするといいよ。食事の準備ができたら声を掛けにいく」
 不可思議なことを言うシャディクにまた頭を下げ、私はその場から立ち去った。

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