前日譚/不退転神話 V


 顔を寄せた彼が、私のくちびるを奪い、声も、吐息すら私から取り上げた。
 くちびるの動きで、強引に口を開かされる。薄く開いた隙間から、ねじこむようにシャディクが厚い舌を押し込んだ。
 濡れて熱い彼の舌は、まるでそれだけで自律した生き物のように、自由に私の口内を蹂躙する。歯列をくすぐるようになぞられれば、これまで感じたことのない感覚が、身体のなかに生み出される。
「んぁ、ふ、やぁ……」
 言葉は纏まることなくほどかれた。吐息が口の端からもれて消える。
 握りしめられた手首の骨が、軋み悲鳴をあげていた。彼の舌の先が上顎をねろりとくすぐり、ふぁ、と自分の知らない甘い声が、鼻から抜けるように漏れ出た。
 ゆっくりと、彼がくちびるを離す。唾液がつうと糸を引き、私と彼を淫靡につなぐ。
 彼は──シャディクは、私の手首を解放し、親指の腹で自身のくちびるをぐいと拭った。顔色ひとつ変えないまま、彼は私を見下ろしている。欲に突き動かされているわけでもなければ、暇つぶしをしたいようにも見えない。ただ、まっすぐに私を見つめるだけだ。
 シャディクの考えていることが分からなかった。目に見えるだけの理由も、納得させるだけの説明もなく、彼は強引に私のくちびるを奪った。そして次には、もっと深い場所を蹂躙しようとしている。
 その視線に耐えられず、私は彼から逃れるように、ふいと顔を横に逸らした。
 と、シャディクの身じろぎに合わせ、ベッドがぎぃと音を鳴らす。私の上に馬乗りになった彼は、ゆっくりとその大きな手のひらを私の顎にあてがうと、私の顔を彼の方へと向けさせた。
「この家に迎えるよりも、もっとずっと以前から、きみは俺のものだ。誰にも渡すつもりはない」
「あ、」
 二度目のキスは、いきなり深くつながった。呼吸の仕方も分からず、私はやみくもにシャディクの肩をどんどんと叩く。だが苦しさはあっても、嫌悪はなかった。今更シャディクに何をされたところで、私の心が損なわれることなど有り得ない。
 それでも、涙が瞳に膜をはった。シャディクのことが大切だ。何よりも、誰よりも、世界でいちばん大切な存在。シャディクに求められたなら、きっと私は何もかも、すべてを平気で差し出した。
 だけど、だからといって、こんなふうに奪われたかったわけじゃない。
 くちびるを這わせて位置を変えながら、シャディクは私のなかで舌を動かす。顔の角度を変えつつ舌を差し入れられれば、私の口の中がシャディクの舌と唾液でいっぱいになった。逃げる私の舌を追いかけるシャディクの舌の動きに、口の端から唾液が溢れて口許を濡らした。
「んっ、んんっ、っう……」
 頭の中で水音が反響している。くちゅくちゅとわざとらしく音を立てられ、羞恥で顔が熱くなる。どうにか顔を背けようとした矢先、シャディクに舌の根が抜けそうなほど強く舌を吸われ、頭の芯がじんと痺れた。こわばっていた身体から、くたりと力が抜けていく。
 シャディクがゆるりと身体を起こした。肩で息をする彼は、名だたる名家の令嬢と浮名を流すような色男らしさとは無縁の、切実なまなざしで私を見つめている。
「なんで……?」
 思わず呟いた瞬間、どうにもならない感情の奔流が、胸のなかに渦まいた。
 こんなことをしてはいけない。理性ではなく本能が、そう訴えかけている。
 私がこの世界で誰より大切に思うひと。嘘偽りはひとつもない。本心から、誰よりシャディクを慕っている。
 それなのに、この世界で誰より愛しい男を、こんなところで破滅させてはいけない。ここはサリウス・ゼネリの邸宅なのだ。こんなところでこんなことをすれば、彼の耳に入らないはずがない。
 サリウスはまず間違いなく、この行為を許しはしないだろう。息子とはいえ、所詮そこに血のつながりはない。幻滅されれば、シャディクの未来は掻き消える。
 ここまで彼が築き上げてきたものを、こんなことで無駄にしてはいけない。私のせいでシャディクを貶めることがあってはならない。
 シャディクのためにならないという、そのたったひとつの現実が、熱に浮かされたような私の思考を、どうにか正気に引き戻した。
「い、嫌……坊ちゃま、どうか、こんなことは……っ」
 なけなしの勇気をふりしぼって、私はシャディクの胸板を押し返した。着はだけたシャディクの寝衣は、もはや用をなさずに引っかかっているだけ。私の手のひらはシャディクの素肌に直接触れた。
 その手を、シャディクが器用につかまえる。指先を強く搦めると、シャディクは私の指先にちゅ、と音を立ててキスを落とした。
 それだけで泣きたいくらい胸が痛んだ。切なさに身を焦がされる。シャディクのことが愛しいのだと、この全身が叫んでやまない。
 拒みたくない。すべて受け容れてしまいたい。
 だめだと分かっているのに、甘い誘惑に抗えない。
 蒼の瞳が、私だけを見つめている。
 私だけを映し、私だけを犯そうとしている。
 その目に映していたあの銀髪の少女は一体、どこへ消えてしまったというの。問いたい言葉は声にならなかった。私は魅入られたようにシャディクをじっと見つめ返す。
 しばしの沈黙ののち、シャディクは息をひとつ吐き出し、言った。
「どうせ嫌がるというのなら、せいぜい大声を出したほうがいい。使用人の居室は、俺たちの部屋より壁も薄いんだろう? 破談になったばかりの身だというのに、ほかの男を合意のもと喜んで受け容れたなんて知れたら、困るのはきみの方だから」
 そう言うなり、シャディクは私の返事を待つこともなく、強く私の首筋に吸いついた。ちりっと短い痛みが走り、私は声をあげ、眉を顰める。
「あぁ……っ!」
「俺としても、強引に事に及んだと思われるほうが何かと都合がいいな。昔馴染みの女中に強引に手を出し無体を働いたという方が、父さんに対してまだしも言い訳が立つ。俺はまだ、父さんに失望されるわけにはいかない」
 首筋に舌を這わせて舐め上げて、耳朶に甘く歯を立てる。身をよじらせて身もだえする私の反応をたしかめて、シャディクは吐息だけで笑みをもらした。
 次の瞬間、シャディクの手のひらが寝衣のうえから私の胸をやわりと揉みしだいた。裾野から持ち上げるようにやわやわと触れたかと思えば、手のひら全体で胸を包んで揺さぶる。
「や、待っ……、あぁ、」
「やわらかい。昔はあんなにも、骨と皮ばかりのみすぼらしい身体つきだったのに」
 揶揄するように囁いて、シャディクが胸のてっぺんを爪の先で引っ掻いた。途端にひときわ強い刺激を感じ、嬌声が口からこぼれる。布ごしに胸の飾りをかりかりと刺激され、もどかしいような、気持ちいいような感覚が腰のあたりにたまっていく。
「やぁ、そ、それ、だめ……」
「だめじゃないよ。俺の与えるものを拒まないで」
 耳朶に吹きかけるように囁かれれば、余計にもどかしさが募った。シャディクは耳のなかまで舐めるようにぐちゅりと舌を這わせると、私の寝衣のなかに手を忍び込ませる。へそから腰へ、感触を味わうようにじっくり撫で上げる。熱くて固いてのひらは、シャディクが私に求めるものを、否応なしに私にわからせた。
 肌をたどったシャディクの手は、たっぷりじらしてからようやく、私の胸をつつみこんだ。
「すっかり女の身体だ」
 くるくると円を描くように胸を揉まれ、手のひらで胸の先を強く押しつぶされる。
「腹立たしいが、きみを見初めた男は見る目がある。その男は、このやわらかな肌を想像したのかな」
「そ、そんな、人じゃ」
「ん、庇いだてするつもりか? 男心が分かってないな、ナマエ」
 シャディクの指先にぎゅっと力がこもった。直接胸をいじられて、柔肉に指を沈められる。たっぷりと揉んで押しつぶしながらも、二指は胸嘴をつまみ、こよりを撚るようにくにくにといじめる。
「あぁ……んっ、あ、やぁ……ぁ、や、っ……」
「嫌じゃないだろ?」
「や、あぁ……っ!」
「はじめてのわりに、感度がいい」
 シャディクの手で寝衣をたくしあげられて、胸を全部露出させられる。外気に晒されひやりとしたのも、ほんの一瞬だけのことだった。すぐに両手で双丘を包まれて、ぐっと寄せられ、離される。仰向けになった私の上でふるふると揺れる乳房を見て、シャディクが意地悪く笑った。
「見てごらんよ。まだ少ししか触っていないのに、もう先が真っ赤に熟れている」
「そんなこと、言わないで……」
「きみがこんなにもいやらしい女だとは、長い付き合いだっていうのに知らなかったよ」
 シャディクはそう言うと、片方の胸を手でもてあそんだまま、もう片方の胸の先に口づけた。ぱくりと先端を咥えると、口に含んだ乳首を舌先でつついたり転がしたりし始める。
「あ、あぁ……、やっ、ま、あぁ……!」
「ここ、気持ちいいんだ。舌がお気に召したかな」
「ひ、あぁ……っ!」
 ぢゅうと強く吸いつかれた瞬間、びくりと腰が大きく跳ねた。シャディクが胸を口でいじめながら、肩を揺らして笑う。空いた手は私の腰の線をなぞり、それがまた新たな快楽を生み出そうとしている。
「は……、口のなかも、胸も……どこもかしこも、甘い」
「んぅ……はぁ……」
「おかしく、なりそうだ」
 さんざん胸をいじめつくしてから、ようやくシャディクは胸元から顔を上げた。息もたえだえになっている私に口づけを与えると、くったりしていた私の手を無理やり持ち上げ、彼の下腹部へとゆるりと導く。
「触って。きみがこんなふうにしたんだ」
 シャディクによって、私の手がそこに押し付けられた。固くなったものが、布越しにもしっかりと存在を主張している。その感触は、私をおののかせるのに十分すぎた。男性器を直接見たことはないものの、シャディクのそれが体格に見合うだけの大きさを有していることだけは、手に伝わる質量から理解できる。
「意外だったよ。俺はきみが相手でも、欲情できるものなんだな。幼馴染相手に、そんな気は起きないと思っていたのに」
 シャディクは私の手を解放すると、乱れた自身の髪を掻き上げた。そうして呆けたように見上げる私のくちびるを、指先でゆっくりとなぞる。
「きみの身体にこの柔らかさを与えたのも、居場所をつくってやったのも、役割を持てるようにしてやったのも、全部俺だよ。今のきみは、俺が、サリウス・ゼネリの息子になった俺が与えたもので形づくられている」
 シャディクの親指が、ぐいと私の口の中に押し入れられる。ぐっと舌を強く押され、たまらず噎せこんだ。そんな私を、シャディクは労わりもせずに、ただ見つめる。
「それなのに、その身体をほかの男に捧げようなんて、俺は絶対に許せない。きみの全部は俺のものだ。誰かに奪われるくらいなら、俺に返すべきものだ」
「んん、んぐ……っ」
「誰にも奪わせたりしない。誰にも、……きみの中に入りこむ権利は譲らない」
 吐き捨てるように言ったシャディクは、私の口から指を引き抜いた。唾液にまみれた指を一瞥し、その指を私の下腹にやる。下着越しに親指でぐっと秘部をおされ、羞恥と屈辱に顔がゆがんだ。
「そんな顔するなよ」
 シャディクの笑い声がふってくる。自分でもほとんど知らない場所に無遠慮にふれられて、困惑しないはずがないというのに。
「ここ、濡れてるみたいだけど」
「っ、それは……!」
 けれど、反論の言葉を口にはできなかった。下着ごしにぐにぐにと秘部を強く撫でこすられて、ささやかな反抗心はたちどころに霧散してしまう。
 シャディクの指が、私から思考力を奪っていく。秘部の少し上にある、もどかしさを感じる部分を軽く掠められ、高い声が喉からこぼれた。
「ひっ、あ、あぁ……!」
「そうだ、ナマエ、それでいい。素直に受け取るんだ。俺の与えるものを、何もかも零さずに」
 胸で感じた刺激とは比べ物にならない、もっと直接的な快感だった。自分でもふれたことのない快楽の粒を、シャディクはもったいぶるように触れてはなぞる。
「あっ、や、だめ……、そこ、やぁ……っあぁ!」
「ねえ、ナマエ。きみは誰のもの? 答えて、ナマエ」
「わたっ、私は、誰のものでもっ、あぁんっ!」
「強情だね。昔はもっと可愛げがあったのに」
 気だるげな声で呟いて、シャディクは焦らすように、小さな粒にゆるく指をすべらせた。いつのまにかぐずぐずに蕩けた足の間から、はしたなく蜜が溢れている。下着の中に手をさしいれたシャディクは、指をたっぷりと蜜で濡らしてから、ふたたび指で粒を撫でさすり始めた。
「や、シャディ……やぁ……」
 ひっきりなしに刺激を与えられ、もはやまともに話すこともできない。それなのに、シャディクは静かな瞳で、ひたすらに私に答えを要求し続けている。
「答えるんだ、ナマエ。きみが正しい答えを選べないうちは、この触り方をやめないよ」
「なん、あぁ……っ、ゃぁ……!」
 涙がまなじりから零れ落ち、耳へと伝った。快楽の波が途切れる瞬間に、私は必死で言葉をつむいだ。
「もう、やめ……や、言う、言うからぁ……」
「じゃあほら、言って」
「シャ、ディ……シャディク……」
「ん? 俺がどうした?」
「シャディクの、もの、だから……」
「誰が、誰のもの?」
「わたし……私が、……私は、シャディクの……」
 どうにかそれだけ、声にした。もはや屈辱を感じる余裕すらなかった。
 涙で滲む視界に、シャディクの酷薄な笑みがぼやけて映る。次の瞬間、
「分かってくれたようで嬉しいよ」
「あぁ……んっ、やぁっ!」
 シャディクの指がそこを強く弾いた瞬間、下腹にたまった快楽がいっぺんに全身をつらぬいた。視界が白くなり、びくびくと身体が痙攣したように震える。なにが起きたか分からず呆然とする私に、シャディクは今日はじめて楽しそうな声をあげた。
「イったのか」
「いく……?」
「そうだ。だが、これだけじゃ足りない。もう二度と俺から離れようなんて思いもしないよう、しっかり教え込んであげるよ」
 私の問いに答えることもなく、シャディクは穏やかならざる発言をする。彼は腕を伸ばしてランプの灯りを消すと、私の身体を強く、きつく抱きしめた。

prev  index  next

- ナノ -