「なんなんだよ、この状況」
 苛立たし気に吐き出した佐久早の不機嫌な顔を見ながら、それを言いたいのはこちらの方だと、声を大にして言いたくなるのをぐっと堪えた。なんなんだよこの状況と、そう叫びたいのはやまやまだが、そんなことをしてもきっと事態は好転しない。場合によっては佐久早に本気でキレられるだけだ。今ですら佐久早は七割くらいキレている。三割の理性で大人しく着席してくれているのは、この場にいるのが私と佐久早のふたりだけでなく、佐久早が一目置く相手である牛島くんが同席しているからだ。
 都内某所。というか私の自宅。
 かつての同級生で今も交友関係が続いている佐久早から「今なにしてる」と連絡を受けたのが一時間前。たまたま牛島くんと宅飲みすることになっていたので、その旨を佐久早に伝えたところ「今すぐ行く」と一方的な連絡返ってきたのが五十分前。佐久早と牛島くんは旧知の仲だというし、そういうこともあるだろうと適当に受け止めていたのが四十分前。
 三人で飲み始めてしばらくのち、どういうわけだか牛島くんと佐久早がふたりとも私に恋愛感情を抱いているらしいなどという、トンチキかつセンシティブな問題が発覚したのが、ついさっきのことだ。
 持ち込みの希釈次亜塩素酸ナトリウムで拭いた我が家のテーブルに肘をついた佐久早は、心底いまいましげに頭をかく。恨みがましい目は正面に座った私に向けられており、睨まれた私は引き攣った笑みを浮かべて裂けるチーズを裂くしかない。
「何が悲しくて、おまえを若利くんと奪い合うようなことにならなきゃいけないんだよ」
「ねぇ。本当にねぇ。私にも何がなんだか……」
「当事者だろうが」
「すみません……」
 思わず私は頭を下げた。佐久早との付き合いは高校時代からだが、基本的に佐久早は私への当たりが異常に強い。それでも付き合いが続いている以上は嫌われてはいないと思っていたのだが、まさか恋愛的な意味で好かれているとは思いもしなかった。
 というか本当に佐久早は、私のことが好きなんだろうか。こんなに当たりがきついのに?
 戸惑う私に代わってか、これまで黙っていた牛島くんが「佐久早」とやおら口を開く。
「佐久早は彼女を好きだった――いや、好きのか」
 直球を投げ込まれ、佐久早が顔を顰める。たとえ好きでも、そう何度も言いたくはないのだろう。長い付き合いの甲斐あって、私には佐久早の葛藤が手に取るように分かる。
「好き、というか……」
「俺は彼女のことを好きなんだが」
 ぐっ、と佐久早の喉が変な音を立てた。私はといえば、牛島くんのストレートな言葉にうっかり赤面してしまい、チーズを裂く恰好のままで硬直する。そんな状況だったものだから、いつしか私は、はらはらしながら目のまえのふたりの男性を交互に見遣っていた。牛島くんに煽られた形の佐久早は、暫しの葛藤ののち、
「……俺だって好きだよ」
 とようやく己の好意を認めた。牛島くんが神妙な顔をして、ゆっくりと佐久早に頷きかける。
「そうか。だが、それは困る。同時にふたりと交際するのは世間的に許されるものではないだろう」
「世間が許しても俺が許さない」
「たしかに」
 そう言ったのは私だった。潔癖な佐久早にしてみれば、いくら相手が牛島くんであろうとも、ふた股など到底許せることではないに違いない。
 というか実際問題、佐久早と牛島くんのふたりを相手にできるような女って、相当いろいろ強くないと壊れちゃいそうだ。ふたりとも体力も精力も無尽蔵っぽいし。いくらか下世話な思考で、呑気にそんなことを考える私の心中を覗き見たかのように、佐久早が厳しい声で私の名を呼び、私を現実に引き戻した。
「おまえは」と牛島くんが佐久早の後を引き取る。
「おまえは俺と佐久早、どちらを選ぶ」
「えっ!? 待って、それ私が決めるの!?」
「おまえの恋人を、おまえ以外が決めるのか……?」
「若利くん、こいつはこういうやつなんだよ」
 心底軽蔑した声で佐久早が吐き捨てる。勘違いでなければ私は佐久早に告白された直後のはずなのだが、佐久早からはそんな甘やかさはまったく感じない。
「おい」
 佐久早がまた私を呼ぶ。
「はい」
 反射のように返事をする私に、佐久早は大きな溜息を吐いた。
「おまえ、若利くんを誑かしたの?」
「そんな、滅相もございません」
「じゃあおかしいだろ。なんで若利くんがお前みたいなしょうもない女を好きになるんだよ?」
「それはそのぉ、私ではなく牛島くんにお聞きになってはいかがかな?」
 私と牛島くんとは同期入社なので、縁がまったくないわけではない。社員選手と普通の社員の差はあれど一応は接点もあるわけで、私たちの場合は牛島くんの方から私に声を掛けてきた。最初は確か、新しく導入したコピー機の使い方を聞かれたのだったか。
 そういえば、牛島くんは私のどこを好きになってくれたのだろう? 今更ながら疑問に思い牛島くんに視線を送ると、私と佐久早ふたりに見つめられた牛島くんはちょっと考える素振りを見せてから、
「笑顔が可愛らしいと思った」
 と端的に回答した。その直後、佐久早が「くそっ」とまた毒づく。
「ちょっと佐久早、なんでそこで悪態つくのよ」
「そういう佐久早はどうなんだ」
「そんなの俺だって、笑った顔が……あー、くそっ」
 そしてまた、佐久早は悪態を吐いて視線をそらす。少しは牛島くんの直球好意を見習えないものだろうか。好いてもらっている身の上ながらも、佐久早があまりにも不本意だという表情を隠さないものだから、ついついそんな図々しいことを考えてしまう。
 ともかく、と、いよいよ苛立ちが絶頂にいたった顔をした佐久早が、乱暴にその場を仕切りなおした。
「事情はどうあれ、おまえごときが若利くんを振るなんて許せない」
「じゃあ私は佐久早を振ればいい?」
「ふざけるな。そんな人生の汚点許せるわけない」
「じゃあどうしろと?」
 あっちを立てればこっちが立たず。牛島くんを選べば佐久早は振られ、逆もまた然りだ。どちらを選んでも佐久早は怒るし、両方選ぶことはもちろんできない。
「若利くん、こいつへの告白取り下げる気は」
「ない」
 佐久早の問いに、牛島くんが即答した。佐久早の方にも、自分が引くという気はないのだろう。しばし佐久早は牛島くんにもの言いたげな視線を向けていたが、やがて私を忌々し気に睨みつけると、
「なんなんだよ、この状況」
 と堂々巡りに足を突っ込んだ。
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