なんだかこの間から、ミスラさんの様子が妙だ。ミスラさんが妙なのは今に始まったことではない。しかし悪いことに、南の国の人間、とりわけ若い人間というのはたいてい、旺盛な好奇心を持て余している。だからついつい、様子がおかしなミスラさんにちょっかいをかけてしまう。
 好奇心は猫をも殺す。私のことも、ついでに殺す。世界で二番目に強い魔法使いにのしかかられ、あまつさえ喉に手を掛けられている状況というのは、だからつまり、私の好奇心が招いた状況なのだろう。

「ええと……あのぅ、ミスラさん?」
「なんですか」
「もしかして私は今、押し倒されている?」
 雑然としているわりには片付けの行き届いたミスラさんの部屋の、よりにもよってベッドの上。普通に考えれば男性にベッドに倒されるというのは色っぽい時間の始まりなのだろうが、相手がミスラさんの場合にも、この『普通』は有効なのだろうか。そんなことを考えていると、ミスラさんがゆっくりと、私に顔を近づけた。
「いやっ、待って待ってストップ!」
 思わず両手でミスラさんの身体を押し返す。ぼんやりとした目はどう見ても私に欲情している風ではなく、さりとて先日のように私を殺そうとしているのでもなく。端的に言えばまるで何も読み取れない瞳は、今ようやく煩わしげに、私を視界にとらえたところだった。
「なんですか?」
「もしかして私、殺されそうな感じですか?」
「性交で人間は死ぬんですか?」
「するんですか!? 性交を!?」
 予想斜め上の返事に、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「そのつもりですけど」
 ミスラさんは平然と言う。いや、たしかに状況としては今まさに見合って見合ってはっけよいのこった状態なのだが、しかしまさかミスラさんに限ってそんなことはあり得ないだろうと、そうとばかり私は思っていたのだった。
「いや、待って」
 混乱する頭で、私は必死に思考を巡らす。その間もミスラさんは私に覆いかぶさったままだ。
「ミスラさんって、私のことが好きなんですか?」
「は?」
「えっ、だって性交をいたすということは、要するにそういうことじゃないんですか?」
「あなたはそういう考え方をするタイプなんですね」
 それ以外に何があるっていうんだよ。あいにくと南の国の牧歌的な風土では、心に決めた相手以外に身体を開くなんて文化は醸成されない。南の国で軟派な発言を繰り返しているのは、誰あろうフィガロ先生ただひとりだ。
「というかミスラさん、話をするのでいったんどいてもらっていいですか?」
「いいですけど、俺は別に話したくないんで話をするなら出て行ってください」
「どういうこと?」
 この状況でミスラさん以外の誰に話をするっていうんだよ。いつも以上に噛み合わない会話に頭を痛めながら、私はどうにかミスラさんを身体の上からどかすことに成功した。性交回避に成功した。いや、そんなことを言っている場合ではない。
 私はベッドの上で正座をすると、ミスラさんと向かい合った。まなじりをきっと上げ、それから改まってミスラさんを呼ぶ。はぁ、とミスラさんが生返事をした。
「そもそもですね、ミスラさん。こういうことは双方の合意がなければしてはいけないんですよ」
「南の国ではそうなんですね」
「北の国でも多分そうですよ」
 自他の尊重はコミュニケーションの基本だ。とはいえ弱肉強食の北の国では、道徳という観念が死滅している可能性は大いにあるのだが、今回は国際的な常識を適用させていただく。
「合意なくして性交なしです」
「逆にあなた、合意してないんですか」
「えっ!?」
「それならそれでさっさと合意してくださいよ」
「ええ……それは、ちょっと……」
 予想していなかった展開に私がもごもご言い淀むと、途端にミスラさんは不機嫌そうな顔をした。
 こんなナメた口を利きまくっている私だが、当然ながらミスラさんのことは普通に怖いと思っている。なのでぶるぶると全身が震えださないうちに、何とか言葉を絞り出した。
「だ、だってミスラさん、性交のやり方とか知ってるんですか……? 山を消し飛ばしたり人を殺すのとは訳が違うんですよ?」
「そのくらい知ってるに決まってるじゃないですか」
 意外にも、ミスラさんは自信ありげに即答する。ミスラさんのことだから、てっきりそういうことには一切興味がないとばかり思っていた私は、失礼ながら多少感心した。彼の師匠だというチレッタさんが教えたのだろうか。その可能性もなくはない。
「ちなみに、どうやって勉強したんですか? 誰かに教わったとか?」
「教わったりはしてないですね。しいていえば昔、俺の住んでた辺りの近くの森で、魔獣が交尾してるところを見たことがあります」
「なるほど、参考資料としては不適格だということが分かりました」
「要するに、いてえぐって、最後は相手が果てれば勝ちなんでしょう」
「それ最後絶命しませんか? 大丈夫?」
「そういえば、そうだったかもしれないな」
「そういえばそうだと困るんですよ!」
 魔獣のほぼ殺し合いみたいな交尾を参考に、人間の女を抱こうとするんじゃない! 魔獣は大丈夫でも私は死んじゃうよ!
 と、ここまでの遣り取りから、ミスラさんの性的な知識には一抹どころではなく不安が残ることが発覚した。唯一の知識が魔獣の交尾なのだから、それはもういっそ一旦忘れた方がまだましだ。
 私はひとつ大きな溜息を吐く。斯くなる上は、適切な人選をした上で、ミスラさんに性教育を施すしかない。私はそっとミスラさんの手を取ると、その手を力強く握って言った。
「分かりました、今からふたりでルチルのところに行きましょう」
「なんでここであの人が出てくるんですか。そういう趣味ですか?」
「全然性交のこと詳しくないくせに、そんなことばっか知ってるの何なんですか」
 というより私、いきなり幼馴染をまじえた複数人プレイを提案するような女だと、ミスラさんに思われてるのか。普通にショックだ。
 ともあれ。斯くしてルチル先生による性教育教室を受けたミスラさんが、私をふたたびベッドに押し倒したか否か――その質問の回答については、この場での回答は差し控えさせていただきます。
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