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この話 の続きです。
北の国から出るのはずいぶん久し振りのことだった。住まいは辺鄙なところだが、近くの村までは箒で一時間とかからない。だから普通に暮らしていく分には、それほど不便を感じない。
久し振りにやってきた中央の国の首都は、我が古巣である西の国に勝るとも劣らない、華やかさと活気に満ちていた。
最後にこの辺りにきたときには、人も土地もかなり荒廃していた記憶がある。北の国に引っ込んでいると世間の流れに疎くなる――以前私の店にやってきたブラッドリーに言われた言葉を、思いがけず今思い出す。
「お、来やがったな」
私を引っ張り出した張本人・ブラッドリーは、呼びつけた側にもかかわらず、魔法舎の談話室で悠々と私を出迎えた。人払いをしているのか、はたまたタイミングよくみんな出払っているのか、はじめて踏み入った魔法舎は不思議と静かだ。
カウチから腰を上げすらしないブラッドリーの前まで歩いて行った私は、彼の眼前に向け思い切りこぶしを突きだした。
「はいこれ、頼まれてたチョーカー」
握ったこぶしを上に向けて開く。ブラッドリーはにやりと笑って、私の手が握りこんでいたチョーカーを受け取った。
ひと月前、私の店にやってきたブラッドリーが忘れていったものだ。ブラッドリーの持ち物を、私が持っているのも落ち着かない。どうしたものかと思っていた矢先、ブラッドリーから届けてほしいと連絡があったので、こうして私がはるばる中央の国まで足を運んだ次第だった。
「世話かけたな」
私の目の前で襟をくつろげて、ブラッドリーはチョーカーを首に装着する。いまさら目のやり場に困るということもなく、私はその様子をぼんやり眺めつつカウチに腰をおろした。
「手間賃、ちゃんと払ってくれるんでしょうね」
「挨拶もなしに手間賃の話すんじゃねえよ。色気も何もあったもんじゃねえ」
「色気で食っていけるなら、ブラッドリーだって盗賊なんかしないでしょ」
「食ってくために盗賊やってたわけじゃねえ」
「まあ最終的には盗賊稼業のせいで牢獄のまずい飯食ったわけだけど」
「割を食ったってか。うるせえな」
「乗ってくるブラッドリーが悪いんでしょ」
中身のない会話をつらつら交わしつつ、チョーカーをはめ、襟を直したブラッドリーは、ごそごそとコートのポケットを探った。そして中から出てきた宝石や紙幣をじゃらりとテーブルに載せると「持ってけ」と私の方に押しやる。気前がいいのか適当なのか、おそらくどちらも当てはまっているのだろう。今回の手間賃として宝石と紙幣を何枚かありがたく受け取って、私は腰を上げた。
「なんだよ、もう行くのか?」
ブラッドリーが腰を上げずに尋ねる。
「まあね。ここってフィガロとか双子もいるんでしょ? 顔合わせたくないし」
「フィガロはともかく双子もかよ」
「わざわざ会いたい相手じゃないから」
特に他意なく返事をする。あの辺りの魔法使いを忌避する気持ちは、北の魔法使いならばある程度共通した感覚だ。特に何という確執がなくても、目を付けられないに越したことはない。
ネロやシャイロックには会っていきたい気もするが、別に待ってまで会いたいというわけでもなかった。お互い生きていれば、また何百年後かには会うこともあるだろう。
「どのみち店があるから、そう長くこっちにいるつもりはないし」
「あんなボロ店、開けてようが閉めてようが変わりねえだろ」
「ブラッドリーみたいに急にふらっと来るお客だって、いないとも限らないじゃないの」
「来るかも分かんねえ客と目の前のいい男。どう考えても答えは決まってんだろ」
いつになく食い下がるブラッドリーを、私はじっと見下ろした。
いくら口説かれたところで、私の興が乗らなければ誘いには応じないということを、長い付き合いのブラッドリーは当然知っている。だからこうして食い下がられる時点で、今日は脈ありだと思われているのだろう。見透かされている事実を面白くないと思うのに、心はうらはらに疼きだす。こういう勘の良さがあるから、ブラッドリーのことが好きなのだ。
とはいえ、ここで素直に頷いてやるのも癪だ。
「ブラッドリー、誘うにしても言い方ってものがあるでしょう」
「俺様に口説き方の指南か?」
「帰る」
「待て待て」
ようやくブラッドリーはカウチから腰を浮かせた。それでもまだ完全には立ち上がらない。私が振り向いた途端また腰をおろすところが憎らしい。
「こう言っちゃなんだけど、しばらく囚人なんかやってたせいで、口説き方忘れたんじゃない?」
「嫌なこと言うんじゃねえよ」
「いつになく回りくどいことまでして……」
溜息を吐き、私はブラッドリーの首元におさまるチョーカーを見遣った。
ブラッドリーほどの魔法使いが、まさか普段身に着けているものをそこいらに置きっぱなしにして、そのまま忘れていくはずがない。そうでなくても、ブラッドリーは案外身だしなみにきっちりしたところがあるのだ。気に入ってつけているアクセサリーを外し、そのまま気付かないなんてミスを犯すはずがなかった。
つまりはそういうこと。
ブラッドリーが私のところにチョーカーを忘れていった時点で、ブラッドリーは今この状況を想定していたに違いない。そして私がわざわざ足を運んだというところから、今日は私の気分がブラッドリーに向いている日なのだと勘づいているはずだ。
理解されていることに愉悦をおぼえる一方で、軽く見られたくないとも思う。腐っても北の国の魔女なのだ。私にだって、それなりの矜持はある。
「ほら、私のことその気にさせる誘い方してみなさいよ。誘い方次第では、一緒にお酒くらい付き合ってあげる」
いつぞやブラッドリーに言われた台詞をなぞるように突き付ける。ブラッドリーは楽しそうに口角を上げて、
「言ったな。上等だ」
そう言いながらカウチから腰を上げた。