魔法使いはおしなべて酒精に強いというのは、魔法舎で暮らし、少なからず彼らと交流を持っている私としては、実感をもってよく知っていることだ。だから私が部屋を訪れたとき、黄金色のとっぷりとしたお酒を手にほろ酔いのネロが微笑んでいるのを見て、私は少しだけ驚いた。
これまで一緒にお酒を飲むことがあっても、ネロは滅多に私の前で酔ったりしなかった。せいぜいが目元が僅かに赤らむ程度だ。ちなみに、酔って琥珀色の瞳をゆるめ白い肌を赤く染めるネロは、女の私が見てもはっとするほど色っぽい。
「ネロがそんな風にとろんとした顔してるの、珍しいですね」
招き入れられるまま部屋に入りテーブルにつく。テーブルの上にはラベルのないボトルが一本、チーズとナッツのオイル漬けとともに置かれている。
「え、俺、とろんとした顔なんてしてる?」
ネロが首を傾げた。つられるように、グラスの中身の液体も揺れる。
「してますよ、可愛い顔してます」
「可愛いか? 可愛いのは、あんたじゃない?」
「よ、酔っぱらい……!」
「はは、今のはわざと」
陽気に声を立てて笑ったネロは、「あんたも飲む?」と中身の入ったボトルのボトルネックに手を掛けた。
「いいんですか? 素人ながら見たところ、なんだかとっても特別そうなお酒ですけれども」
「そうそう。精霊たちの蜂蜜酒」
「精霊……」
やはり特別な代物だったらしい。そんなものを私なんかが飲んでもいいものだろうかと一瞬ためらうが、ネロは気にした様子もなく頷いた。
「蜂蜜酒ってだけならそう高価なものでも稀少なものでもねえけど、精霊たちの住まう山のいただきの、それも湧いて流れる蜂蜜酒だ。そうそうお目に掛かれるもんじゃねえからさ。せっかくだし、どうぞ?」
「……それじゃあ、少しだけ」
食全般に通じたネロが言うのだから、きっと本当に稀少なお酒なのだろう。私はテーブルに用意されていた空のグラスを手に取ると、ネロに向けて差し出した。
ふたりでお酒を飲む間、ネロはぽつぽつと今回の宴の話をしてくれた。南の国で起きた異変を解決すべく依頼を受けたこと、そして異変の真相、事の顛末――。
華やかだが険しく、少し寂しい精霊たちの世界の話。
「寂しさを埋め合わせるため、ひとの世界から魔法使いの子どもを攫う……。それだけ聞くと、やっぱりちょっと怖いことのように聞こえます」
「普通に考えればそうだよな」
「でも、寂しさとか切なさゆえにっていうのを知ってしまうと、うーん……」
チーズを一切れ頬張って、私は思案した。ネロは黙ってグラスを傾けて、私の言葉を待っているように見える。しばしの逡巡ののち、私は続けた。
「でも考えてみれば、大切な誰かがいなくなったから代わりの誰か、というのは、ちょっと現金な気がします」
「そこはまあ、精霊だからな」ネロが苦笑する。「精霊って人智が及ばないというか……、どちらかといえば自然現象に近いものだから、複雑な思考をしないものがほとんどなんだよ。意思はもちろん、あるんだけど」
まるでフォローするようにネロが言うのは、魔法使いは人間と違って精霊と近しい存在だからだろうか。魔法使いは魔法を使うとき、精霊の力を借りることもあるという。
あるいは、悠久にも思える
年月を生きる魔法使いだから、同じく時間の概念をほとんど持たない精霊に、通じるものを感じるのかもしれない。
人間の私には、きっと分からないものがあるのだろう。そんな思いが胸にわき、知らず私は口をつぐんだ。
どれほどそうしていただろう。やがてネロは、グラスの中身をすっかり飲み干すと、小さな音を立ててグラスをテーブルに戻した。やおら腰を上げると、そのままおもむろにベッドに足を向ける。備え付けのキッチンがあるため、さして広いわけではない室内。ほんの数歩でベッドまで辿り着いたネロは、顔だけそちらに向ける私に向け、ちょいちょいと手招きして見せた。
「グラス置いて、こっち」
甘い声音には脈絡がない。けれども私は、その声に抗おうとは思わなかった。言われたとおりに私もグラスを置き、ネロの方へと歩み寄る。ネロの前までやってくると、あっという間に腰を抱かれて、ネロの身体に引き寄せられた。
酔いのせいか、服ごしに感じるネロの体温がいつもより熱い。抱きしめられるままになっていたら、ネロは片手を私の頭の後ろに回し、私の髪をそっと梳いた。
「んー、やっぱりあんたの言うとおり、少し酔ってるかもな」
ネロが笑う。もしかしたら照れているのかもしれない。そんな感じの声だった。
「そんなこと言って、酔ってないと抱きしめてくれないんですか?」
「そりゃあ、根暗な東の国の魔法使いだし?」
嘘ばっかり、と笑うと、ネロは腰に回した片腕だけで、いっそう強く私を抱きしめた。きっと今、飲み込んだ言葉がネロにはあったのだろう。
去るものと、残されるもの。生き続けるものと、死んでいくもの。そういう色々のことを思って、けれど、ネロは私に何も言わず、かわりに抱きしめ誤魔化した。
「ネロ」
私の呼びかけに、ネロは「ん?」と喉だけで応える。その短い応答に、うっかりすると聞き逃してしまいそうなほどかすかな、ぎこちなさと強張りを私は聞く。
「――蜂蜜酒、ごちそうさまでした」
そう伝えた直後、自分の言葉が間違いではなかったことを、私はネロの腕から緊張がゆっくりと解けたことで理解した。
「気に入ったなら、いつかあんたのことも連れて行くよ」
「いいんですか? だってそこは、特別な場所なんでしょう」
「宴なんだから人数が増えて賑やかになるのは望むところだろ」
「ふふ、東の魔法使いらしからぬことを」
「本当だ。俺、柄じゃないこと言ってる……」