幕間/夜はお静かに


「さて。それで、彼女どうしようか」
 異界より召喚されし二人めの人間を、無事に当面の居室に押し込み戻ってきたフィガロは、談話室に戻るなり開口一番にほかの五人に問いかけた。
 すでに夜半という時刻。緊急事態ゆえの先ほどまでのかたい空気も、今はかすかな疲労感を漂わせるのみで、いつも通りにやわらいでいた。彼女がこの場を去ったことで、ひとまずの緊張がほどけたためだ。
 フィガロがソファーにつくのを待ってから、スノウが溜息まじりに口を開く。
「どう、と言われても……。しかしこうして異世界の人間と相対してみると、最初に今の賢者がやってきた晩のことを思い出すのう」
「そういえば賢者もはじめは戸惑っておった。我らに疑いを持ってみたりもしておった」
 口をそろえて言う双子に、フィガロが目を細めて苦笑した。
「俺はその頃まだここにいなかったんで知らないんですが、なんとなく想像はつきますよ」
「それでも賢者様は、ファウストを救うため一生懸命やってくれましたよ」
「……そうだったな」
 オズ以外の魔法使いが順繰りにコメントしたところで、
「それで、彼女どうしようか」
 フィガロが今一度、先の言葉を繰り返した。
 彼女が何かよからぬ兆しであるだろうことは、すでに魔法舎の魔法使い全員の共通認識となっている。最初に塔で彼女を出迎えた時、魔法使いたちが必要以上に警戒していたのはそのためだ。正確な予言は双子の専売特許も同然だが、不穏な気配を感じるくらいならば、力のある魔法使いはみな当然のように感じ取る。
 とはいえ実際に話をしてみれば、彼女は特筆すべき点もなさそうな、いたって普通の人間でしかなかった。試しにオズの手を握らせてみても、何の奇跡も起こせない。この状況に取り乱さないだけの肝の太さには感心するが、それとて真木晶の豪胆ぶりに比べればそれほど特別なことではない。
 それが証左に、「何の力もない娘だ」とオズがぶすりと呟いた。寝落ちの醜態をさらしたことによる不機嫌が、まだ尾を引いているらしい。
「あの娘に魔法使いや賢者を害することができるとは思えない」
 しかしオズがきっぱりと告げたその言葉に、すかさず反論したのはフィガロだった。
「そうは言っても、本人すら意識していない毒や呪物のようなものだったらどうする? 本人が意識していることと実態、本質は別物かもしれない」
「そうは見えなかったが」
「判断するにはまだ情報が少なすぎる、というところでしょうね」
 シャイロックの取り成しに、全員が渋い顔で頷くしかなかった。何せ、彼女と言葉を交わした時間は一夜にも満たない。そのうえその時間のほとんどは、この世界について彼女に説明するだけで終わってしまった。彼女について知り得た情報は最低限。名前と出身、そして賢者の力を持たないこと。
 埒が明かない遣り取りは、着々と魔法使いたちの気力を削いでいく。なんとなく倦んだ空気が流れ始めたとき、ふいにフィガロが言った。
「ファウストはさっきから表情が暗いね。こういう役回りは君は苦手だろう。何も全員で彼女を見張っていなくてもいいんだし、今回は君はおりてもいいよ」
 唐突に名指しされたファウストは、声の主がフィガロだったことも相まって、オズ顔負けのむすりと不機嫌な顔で返す。
「勝手なことを言うな。苦手なわけでもない。悪役には慣れてる」
「俺たちのこの役回りを悪役だと思っている時点でねぇ。それってつまり、彼女は悪しきものではないし、俺たちのしていることは筋違いだと思ってるってことだろ?」
「そこまでは思っていない。彼女が塔にあらわれる直前、悪い予感を感じたのは僕も同じだ。だが……」
「凶兆だという話をスノウ様たちからうかがったときには、東の魔法使いたちが一番渋い顔をしていましたが」
 シャイロックが言葉を挟む。ファウストの表情が、かすかに頑なさを落とした。
 予感を感じなかった若い魔法使いたちには、それぞれの国の先生役の魔法使いが、事情を説明することになっていた。各国の魔法使いの特性もある。たとえば中央の魔法使いたちは、たとえ凶兆と言われても必ず彼女を気遣い接触しようとするだろうから、体調が悪く塞ぎこんでいるというていで遠ざけることに決まっていた。明日の朝にでも、その情報をオズがカインたちに伝える手はずだ。
 東の魔法使いは、ヒースクリフとシノにだけファウストがすでにある程度の事情を説明している。しかし彼らは元から、他人をふところに入れることに懐疑的なところがある。その他人が彼らにとっての特別な存在──真木晶を害すかもしれない者だと聞けば、どうしたって神経質にもなる。
 ヒースクリフとシノの様子を思い出したのか、ファウストはいっそう暗い顔になった。そして、
「そりゃあ気にはかかる。僕たちの命だけでなく、世界がかかっているとまで言われたら。だがさっきも言った通り、あの人間から特異な気配は感じない。むしろこの状況で、彼女は限りなく協力的だったくらいだ」
「従順な犬が絶対に手を噛まないわけじゃないよ」
「そんなことくらい分かってる」
「そう? 猫派の君は知らないかと思った」
「混ぜ返すな」
 フィガロの軽口にファウストが苛立たし気な返事をする。と、そのとき。
「あの……」
 出入口から遠慮がちな声が届き、魔法使いたちは一斉に口をつぐんでそちらを見た。そこにはすでにパジャマに着替えた賢者が、声と同じく遠慮がちに顔を強張らせ、様子をうかがうように立っている。
「あれ、賢者様。まだ起きてたんだ?」
「はい、さっきの人が気になって……」
 そう言って、賢者はきょろきょろと談話室の中に視線を走らせる。彼女のことを探しているのだろう。
「彼女なら先程フィガロ様が、部屋に送り届けてくださいましたよ。今夜はお疲れの様子でしたから、先にお休みになってもらおうと」
「あ、そうですか……」
「ちなみにあの者の処置──明日の予定はまだ決まっておらぬ。賢者とは顔を合わせぬかもしれぬし、何か言付けがあれば我らから伝えるが」
「いえ、そんな大層なことはないんですが」
 そうしてゆっくりと談話室に入ってきた賢者は、
「ただ、少し話をできたらいいなと思っていただけで」
 ぽつりと一言、言葉をこぼした。魔法使いたちが素早く目くばせをする。彼らの中ではすでに、しばらくの間賢者と彼女を会わせないようにすることは決定事項になっている。彼女の正体も明らかになっていないのに、大切な賢者と話をさせるなど言語道断だ。
 とはいえそのまま事情を話せば、優しい賢者は必ず気に病むだろう。だが話をさせてやろうなどと、軽々に約束するわけにはいかない。どうしたものかと互いに探るように、魔法使いたちが視線を交わし合っていると、
「話をしたいのは、元いた世界の人間だからか」
 唐突にオズが尋ねた。賢者の顔が、一瞬ぎくりとする。しかしすぐ、
「……そうですね。はい」
 そう首肯して、賢者はその場に立ったまま、オズに視線を移した。
「私は賢者としてここまで連れてきてもらいましたし、最初にオズに力を貸してファウストを目の前で治癒してもらったので、否が応でもこの世界に慣らされた感じでしたけど……、彼女はそういう目まぐるしさがない分、余計に不安なんじゃないかなと」
 案じる賢者の懸念はたしかに的を射ていた。かつて同じ境遇だったからこそ、賢者はいっそう強く彼女の身を案じているのだろう。見知らぬ土地にいきなり飛ばされ、不安を感じないことなどあるはずがない。
 むろん魔法使いたちとしても、そのくらいの気遣いはしていてしかるべきだった。それでも賢者と話をさせるわけにはいかないのは、彼らにとっての優先順位が彼女ではなく賢者を上位に据えているからだ。そして優先順位がそうと定まっている以上、たとえ賢者が望んでいても、うかうか賢者を危険に晒すわけにはいかない。賢者の命を守ることは彼らの役目のひとつでもある。
「賢者様は優しいね。大丈夫、俺たちがちゃんと彼女のフォローはしておくよ」
「君はもう寝なさい。何時だと思ってるんだ」
 フィガロとファウストに立て続けに声を掛けられ、賢者はほっと頬をゆるめた。彼らは魔法舎の中でも中心となる先生役の魔法使いだ。彼らが大丈夫というのなら、きっと大丈夫なのだろう。実際には何一つ確約などされていないことに気付かぬまま、賢者はぺこりと頭を下げた。
「すみません。それではお先に、おやすみなさい」
 そうして談話室を去っていく賢者の姿を揃って見送って、
「自分を害する存在かもしれないと分かっても、それであっさり見捨てられるような人間ではなかったね」
 自嘲気味に笑うフィガロに、微笑みを返したのはシャイロックだった。
「そんな賢者様だから、私たちは此処にいるのでは?」

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