百年たっても目も合わない


「どうしたの、賢者様。今頃はミチルたちと文字の練習をしているはずじゃなかったっけ」
 いち早く驚きから復帰したフィガロが、穏やかで爽やかな調子で尋ねる。対する賢者の声音は固い。
「ミスラの部屋の方から大きな音がしたので気になって……。今日はそちらの方もいますし……」
 賢者の言葉を聞きながらも、フィガロが一歩大きく踏み出した。長身が私の横に並ぶ。賢者と私を隔てたいのだろう、そう気付きながらも嫌な気分にならなかったのは、私の注意が完全にフィガロから目の前の賢者へと移っていたからだった。
「賢者……様、ですか……?」
 半ば無意識にこぼれた私の問いに、賢者はゆっくりと肯いた。魔法使いたちが息を詰めているのが空気で分かる。この邂逅は彼らにとって想定外のものだろう。今日この場に賢者が現れることがないようにと、事前に根回しをしておいたに違いない。
 賢者の視線はまっすぐ私に向けられている。理知的な瞳に、またぞろ吸い込まれそうになる。
 ごくりと唾を飲み音に、にわかに意識がはっきりした。そうだ、ぼんやりしている場合ではない。魔法使いたちが黙っている間に、少しでも賢者と話をしなければ。
 気を取り直して、私はふたたび口を開いた。
「こんにちは、賢者様。私は苗字名前といいます。地球の、日本の出身です」
「私と同じ……」
 形のいい唇から、言葉が零れてくる。その声に、何故だか勇気づけられた。
「あの、よければ賢者様のお名前もうかがってもいいですか? 昨日聞きそびれてしまったので」
 問うた瞬間、私の隣でフィガロが身を固くした。様子見はここまで、これ以上の接触は魔法使いたちには許容できないということだろうか。
 しかし彼が口を開くよりも一瞬早く、賢者が口を開く。
「自己紹介が遅くなってしまってすみません。私は真──」
「待て、賢者」
 ふいに静止の声が飛び込んで、賢者ははっと口をつぐんだ。私もはっと息を呑む。
 今の声はフィガロではない。フィガロならば怪しさ満点の微笑を浮かべ、今も私の隣に佇んでいる。オズやシャイロックの声ならば、昨日何度も聞いたので聞き間違いようがない。当然、双子の子供らしい声とも違う。
 賢者の方を向けていた身体を、私はふたたび魔法使いたちへと向ける。これまでずっと黙っていたファウストが、サングラスごしに不機嫌そうな目で私を見据えていた。
 賢者に静止の声を掛けたのはファウストだった。意表をつかれたような気分になって、私はファウストをまじまじ眺める。私と視線がぶつかると、彼は帽子を目深にかぶりなおし、さっと視線を切ってしまった。そしておそらく賢者に向け、
「名はまだ名乗るべきじゃない」
 驚くほどきっぱりとした声で、ファウストはひと言そう告げた。
 というかこの人、こんなにはきはき喋ることもできるのか。場違い且つ無礼なことを思ったが、それも束の間のことだった。自分があまりにもにべもない言い方をされたことに気付き、落ち着きかけていた憤りがふたたび胸のうちに吹きあがってくる。
 いや、それでも百歩譲って私に嫌な態度をとるくらいならば、まだ許容できる範疇だった。先程フィガロに言われたとおり、私は予告なく来訪した迷惑な客人だ。友好的にもてなし受け容れろとまでは言わないし、嫌いになるのならば勝手に嫌いになればいい。
 だが私と賢者が顔を合わせないように謀っただけでなく、こうして顔を合わせてまで口を出してくるなんて、それはいくら何でも行きすぎだ。慎重な対応を通り越し、いっそ理不尽にすら感じる。
 廊下には険悪な空気が流れていた。賢者がおろおろと取り成そうとしているが、肝心のファウストはまったく悪びれることもなくふいとそっぽを向いていた。
 そっちがそういう態度なら、こちらだって下手に出る必要はない。もはや穏便にやり過ごそうという気はとうに失せ、私は一歩、ファウストとの距離を詰めた。そして、
「どうしてあなたにそんなことを言われなくちゃならないんですか。異世界から来たもの同士、挨拶するだけのことに、一体何の問題があるんですか」
「名は呪だ。迂闊に賢者の名を知られれば、それがよくない事態を招かないとも限らない。僕たちは魔法使いだから当然自衛のすべもある。だが、」
「私がこの人に何かすると、そうおっしゃいたいんですか……?」
 思わず目を見開いて、私はファウストを正視した。
 まさかこんな馬鹿げたことを、ファウストが正気で言っているとは思えなかった。だって、そうだろう。今の私は魔法も使えない、この世界のことを何ひとつ知らない、一般人以下の存在でしかない。そんな私に対して、どうしてそこまでの疑念を持つことができるのだろう。まったく理解ができなかった。
 魔法使いたちに手放しに信用してほしいなんて贅沢なことは、いくら私だってさすがに考えていない。賢者が彼らにとって如何ほど大事なのかということも、説明された範囲で理解していると思っている。世界を救うというのだ。そりゃあ大切に決まっている。
 現実味の薄いこと甚だしい話としか思えないが、この世界の住人である彼らが言うのならば、それは正しく事実なのだろう。だからこそ昨晩からミスラの部屋に行くまでの間、私はできる限り彼らに従ってきたのだ。この世界を守っている彼らのルールに従って、敵対する意思はないことを極力示してきたつもりだった。
 それなのに──
「その言いぐさってどうなの……?」
「名前さんもファウストも、ちょっと落ち着いて……」
「君が賢者や僕たちに何もしない、信用に足る人物だと判断できる材料もないのに、うかうかと賢者を差し出せるはずがない」
「なっ、そ、そこまで言わなくたって……!」
 賢者の静止も聞き入れず、私はファウストに食って掛かろうとする。と、そのとき。
「そこまでじゃ」
 ここまで静観していた双子が、厳しい瞳で私を諫めた。しかしその目はすぐに和らぎ、金色の眼が私と賢者を交互に視線でのみ労わる。
 ファウストは憮然とした顔で、双子からも私からも、そして賢者からすら視線をそらしていた。その背後では、シャイロックが堪えきれずに苦い笑みを浮かべている。何時の間にか合流していたオズの感情は表情から読み取れないが、この状況を苦々しく思っていそうなことくらいはうっすらながら理解した。
 双子が数歩、歩み出る。フィガロが入れ替わるように場所を空けた。此処が狭い廊下であることをその時ふいに思い出す。こんなところで、私は一体何をしているのだろう。自分よりずっと幼く見える双子に諫められたことで、急激に頭の芯が冷えていくようだった。
 そんな私の心を見透かすように、双子は揃って慈愛に満ちた表情を浮かべた。
「すまぬのう、賢者。それに名前。ファウストは賢者可愛さにちょっと心配症になっておるのじゃ」
 僕は別に、とぼやくファウストを無視して、双子が私に笑いかける。それは幼い容姿にそぐわない、老獪で掴みどころのない笑みに見えた。あるいは愚かな民に手を差し伸べる、慈悲深い導師のようにも。
「しかし名前よ。都合のいいことをとそなたは思うかもしれぬが、我らの気持ちも汲んでほしい。何せ賢者はここにおるひとりしかおらぬのじゃ。過保護にもなるというもの」
 そなたは賢者の力を持ってはおらんかったしのう、と双子は続ける。はじめて聞くその言葉に、私は妙な居心地の悪さのようなものを感じた。
「賢者の力……」
「昨晩オズと手を重ねたり、今ミスラの手を握ったりしてみても何も起こらんかったじゃろう? あれは賢者の力が備わっておらぬゆえ、何も起こらんかったのじゃ」
「ああ、そういう……」
「そういうことじゃ。黙っておって申し訳ない、変な気負いを招かぬようにという配慮のつもりが裏目に出てしもうた」
「いえ……ああ、はい。大丈夫です、分かりました」
 譫言のように返事をする。私は額に手をあてて、昨晩からのことを思い出していた。
 これでやっと、昨晩と今日のふたつの頼み事の意味が分かった。彼らは私に、ここにいる賢者と同じ力が宿っているのかを確かめたかったのだ。賢者の力は異世界からやってきた人間しか持ちえないという。それならば現在の賢者と同じ条件でやってきた私に同じ力があるのかと、確認しないわけにはいかなかったのだろう。世界を救うのに必要な能力を持つ人間がひとりきりなのか、ふたりなのか──予備が存在するのかでは、彼らの心構えも随分変わる。
 結果的には、私は賢者の力を持ってはいなかった。賢者がこの世界で唯一無二の存在であることは揺らがぬまま、私はただの、異世界からやってきた正体不明の人間でしかなかった。彼らの心中は如何ばかりか。落胆か、安堵か──ああ、それで。
 昨晩オズと手を重ねたときの、魔法使いたちの反応の意味が今になってようやく理解できた。たしかに彼らにしてみれば、ああいう反応にもなるだろう。ただひとりの賢者を大切にしてきた彼らにしてみれば。
 しかし、それでもまだ、私がファウストにあそこまで言われなければならないとは思えなかった。そんな考えが知らず顔に出ていたのだろう。双子は揃って嘆息して、さらに言葉を継いだ。
「そなたがいつまでここに滞在するかも分からぬし、この際隠し立てしても仕方がない。正直に事情を話すとしよう。昨晩そなたが現れる直前、我らは不穏な気配を感じたのじゃ」
「気のせいなどとは言ってくれるでないぞ。我らは力の強い魔法使い。それが予言ほどはっきりとした意味を持つものでなくとも、良いものか悪しきものか、そのくらいのことを感じ取るのは容易いことじゃ」
「我らが賢者の魔法使いとなって幾年月。これまで幾人もの賢者を見てきたが、一度として同時代にふたりの賢者が並びたったことはない。むろんその時代の賢者のほかに異世界の人間が召喚されたこともない」
「召喚は塔でのみ行われるもの。当然、我らが見逃すことは万に一つもありはせぬ」
「ここまで言えば、そなたにも今回のことがどれほどの椿事か分かるじゃろう。これは異例中の異例なのじゃ。我らとしても、まだ何をどう判断したものか決めあぐねておる」
 滔々と立て板に水のごとく語られる双子の言葉には、偽りの気配は何処にもなかった。すべて信用するつもりももはやないが、彼らが困り、私という存在を扱いあぐねていることだけはたしからしい。
 不穏であり、異例──
 自分の存在が、彼らの平穏を損ねている。
 昨晩からすでに、その気配は感じ取っていた。しかしこうして改めて言葉にされてみると、思った以上にショックだった。
 良くも悪くも、私は平凡で些末な人間だ。そんな自分が誰かの平穏を損ねることなど、これまでの人生でほとんど皆無だったというのに。
「例がないということは、通常以上に慎重に事に当たらねばならぬということ。我らのうっかりで唯一無二の賢者を失うようなことがあってはならぬ。特にこの賢者は我らの大のお気に入りでのう。できることなら末永く共に立っていてほしいのじゃ」
 と、双子のせりふの切れ目に差しこむように、
「……<大いなる厄災>の力が増している」
 やおらオズが言葉を挟む。宥める調子の双子の言葉に比べると、その声は何処か疲れているようだった。
「<大いなる厄災>? それって、年に一度戦うっていう」
「その通り。そして<大いなる厄災>の力が増すというのもまた、長い歴史に例を見ぬ異例のことじゃった」
 ああ、そういうことか。
 オズの不器用な補足によって今度こそ、私もようやくすべての事情を理解した。どうして彼らがこれほどまでに過敏になっているのか。どうしてそれほど私を厭うのか。どうして賢者の名を尋ねることすら許されないのか──
 それは彼らがつい最近、前代未聞の異例に遭遇しているからだ。彼らがすでに、「異例」の前例を知ってしまっているからだ。
 <大いなる厄災>なる事象は本来、賢者の魔法使いにとってさほどの脅威ではなかったらしい。それが此の程、何の前触れもなく突如として強大なちからを持つ、文字通りの厄災に化けた。
 身内から甚大な被害を出したばかりの彼らにとって、不吉な予感を伴う「異例」ほど怖ろしいものはなかっただろう。魔法使いたちにとっての宝ともいえる賢者の保護に、これほど必死になるのも納得できる。すでに散った命を間近で見ているのだから、この上賢者まで失うようなことがあってはならない。
 彼らは彼らで、世界と自分たち、そして何より大切な賢者を守りたいだけなのだ。そのためには私のような異世界からの客人など、多少傷つこうがどうでもいいと思っても、それは仕方のないことだろう。何故なら私が傷ついても彼らに何の損害もないが、間違って私が賢者を傷つけることがあれば、それはこの世界にとって致命的な損失になりかねない。
 片や望まれ、求められた賢者。
 片や招かれざるただの異邦人。
 彼我の差は歴然だ。
「凶兆、災禍のきざし──それを我らは恐れておる」
 静かにホワイトが言葉を添えた。これ以上ないほどに、正直で、無慈悲な言葉だった。
「理解してほしいとは言わぬ。しかし、これは賢者のため──世界のためにやむを得ぬことじゃ」
 沈痛さすら滲む声色は、果たして私の同情を買うために意図的に用いられたものなのか。それとも多少は、本当に私のことを哀れんでくれているのか。自分たちでしたことなのに理解を求め、あまつさえ哀れむというのは少し、いやかなり筋違いなのではないかとひねくれたことを考える。
 それでも、ここは魔法使いたちの事情を汲まないわけにはいかなかった。事はこの世界の安寧を脅かしかねない事態なのだ。この世界から帰るすべを持たない私もまた、今はひとまずこの世界の安寧と安定のために尽力するしかない。
 ちらと賢者を窺うと、彼女は顔面蒼白で言葉を失っていた。もしかすると彼女も今、はじめてこの話を聞かされたのかもしれない。人のよさそうな賢者に余計な心配を掛けないようにという配慮くらい、彼らは当然やってのけるだろう。そりゃあ私とこんなところで顔を合わされたらまずいはずだった。
 暫しののち、私は溜息をひとつ吐き出したあと、双子に向けて頷いて見せた。
「分かりました。いや、まったく納得はできないけど、そちらの事情は理解しました」
 たちまち魔法使いたちが、あからさまにほっとした顔をする。もしかすると彼らは、私がまだごねることを危惧していたのかもしれない。先程感情的になった以上そう疑われても仕方がないことではある。
 ただ、このまま諾諾と彼らに従うのも、それはそれで腹に据えかえることだった。彼らが私を信用してくれないのならば、こちらだって従順でばかりはいられない。それはさすがにアンフェアだ。
 未だ言葉を失ったまま蒼い顔をしている賢者の方へと、私はふたたび向き直った。賢者がぎくりと頬を強張らせる。多少の罪悪感を感じながら、私は賢者に微笑みかけた。
「そういうことらしいので……ええと、残念です。本当はあなたとお話ができたらと思っていたんですけど、ここでの私はまだ信用がないみたいなので、なんというか……お話できる機会がまたあるまで、気長に待っていますね」
 当て擦った物言いは、これくらい許されてもいいはずだというささやかな反抗心だ。もしも私の頭の後ろに目が付いていたら、今頃眉をひそめるファウストの顔が見られたに違いない。嫌味な物言いが自分だけの専売特許だと思っているのなら大間違いだと、声を大にして言いたいくらいだ。
 ともあれ、言いたいことを言って満足して──同時に大人げなかったことを早くも若干後悔し始めながら、私は賢者に頭を下げた。
「それでは、私は部屋に戻ります」
 きっとこれ以上うろうろしていてもいい顔はされないのだろう。私だって煙たがられてまで建物内の散策をしたいわけではない。というより今はこれ以上、魔法使いたちと話をしたくはなかった。
 賢者の視線を振り切って、足早にその場を立ち去ることにする。念のためなのか何なのか、私の後ろをフィガロがついてきた。ちゃんと部屋に戻るか確認したいのだろう。ご苦労なことだ。
 苛立ちまぎれに溜息を吐いて、賢者の横を通り過ぎようとしたその時。
「待ってください」
 やおら声を掛けられて、私は思わず足を止めた。私と魔法使いの諍いに口を挟まずにいた賢者が、はっとするほど強い瞳で私をまっすぐ見据えている。その瞳から目が離せずに、私はごく近い距離から、賢者の顔を見つめ返す。
 さして明るくもない廊下にあって、賢者はまるで自らのうちから光を発しているような、烈しい存在感を発していた。私の脳裏に、かつて憧れたひとの面影が、ふっと現れ、間もなく消える。
 やがて賢者のくちびるが、躊躇いがちに薄く開いた。そして、
「名前さん、私の名前は晶──真木晶です。あなたと同じ国からこの世界にやってきました」
「おい、賢者!」
 ファウストが咄嗟に賢者を咎めた。しかし賢者は──いや、真木晶は、
「私が名前さんに名前を知ってほしいんです。賢者という役職ではない、私個人の名前の大切さを私に教えてくれたのはオズでしたよね」
 言葉とともに視線をオズへとつと遣った。つられて私もオズを見た。オズは言葉ひとつ発することなく、ただただ苦々し気な表情を浮かべている。シャイロックがひと言「そんな話をなさっていたとは」と場違いなほど艶やかに微笑んだ。この重い空気の中にありながら、シャイロックだけはひとり変わらず嫣然としている。
 真木さんもほんの一瞬、シャイロックの言葉に頬をゆるめた。頑なさをそぎ落とした真木さんの表情は、先程までよりもずっと美しく見えた。
「心を通わせていない相手に自分を語るのは苦痛だと、以前オズは言いました。それなら、心を通わせたい相手や、心を通わせたいと思ってくれている相手には、誠実に自分を語るべきなんじゃないでしょうか」
 そこで真木さんははじめて、窺うように魔法使いたちを見回した。魔法使いたちはてんでばらばらな反応を返すが、誰ひとりとして真木さんの意志を蔑ろにするようなことはしなかった。そのごく短いやりとりを見ただけでも、賢者と魔法使いたちがどのような関係を築いているのかを理解するには十分すぎるくらいだった。私の知らない、立ち入ることのできない絆めいたものが、そこにはたしかに存在していた。
 結局、先程の真木さんの言葉が鶴の一声となった。
「まあ、賢者には我らの加護もついておる。それでも念には念を、じゃな。ファウストや、あとで賢者に呪いを寄せ付けぬよう、まじないを施してやってくれぬか」
 スノウに言われたファウストが、帽子をかぶりなおしながら「仕方ない。このあと僕の部屋に来なさい」と渋々らしく告げる。その声に棘がないことに、棘しかない声を掛けられた後の私はすぐに気付いた。ファウストの声は呆れと諦めをはらみながらも、ひどく優しい声だった。
 申し訳なさそうに頭を下げている真木さんを見ながら、私は思う。
 賢者と魔法使いというのは、こういうものなのか。
 しかし賢者ならば誰でもこうなれるというものでもないのだろう。賢者というのはあくまで役職に過ぎない。魔法使いとの関係を育もうというのなら、きっと個々の資質によるところが大きい。
 真木さんの裏表のない善性があるからこその、この信頼関係なのだとすれば、なるほどたしかに、この人は賢者として祀り上げられるだけの人物だった。この短時間しか言葉を交わしていない私でさえそう思わされる。真木さんに向けられる魔法使いたちの視線のやわらかさが、真木さんの人間性を如実に物語っている。
 その真木さんは何やらぺこぺこしながら魔法使いたちと会話をしていたが、私の視線に気付くと身体の向きを私へと向けなおした。血色のいい肌がわずかに赤らんでいる。表情から察するに、どうやら何か照れているらしい。今頃何を照れることがあるのだろう。
 真木さんは、私に掛けるべき言葉を探しているようだった。その言葉を待つこともなく、私は聞いたばかりの彼女の名を呼ばう。
「真木さん」
「はい」
「名前を教えてくださり、ありがとうございました」
「こちらこそ、名前を呼んでくれてありがとうございます」
 それが私と賢者真木晶の、記念すべき邂逅の瞬間だった。

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