はじまりの中の赤


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 窓から見える風景は、まるで何処か外国のお城の庭園でも眺めているようだ。私が育ったごみごみとした繁華な街にはありえない、潤沢な土地とゆたかな緑。この建物の裏には森があるらしく、窓から外を眺めていると群れた鳥がばさばさと空を飛んでいく様が見えたりもする。
 空の色は、案外変わらない。科学的には私が元いた世界の方がずっと進んでいるのだろうから、もっと空気が澄んで風も心地よくてもよさそうなものだが、私の鈍い感覚ではそういう空気の匂いの違いみたいなものはそれほど感じない。
 外に出てみればまた違うのかもしれないが、今のところその要望がかなう見込みもない。
 この部屋に案内されておよそ一週間。一週間も経っているというのに、描写できる箇所が窓からの風景と鳥についてくらいしかないあたりからも、私の状況はおおよそ察することができるだろう。
 要するに私は、この部屋に軟禁されている。
「はー、やってらんない」
 腹立たしいくらいふかふかのベッドに寝転がり、私は誰にともなく──できれば部屋の前を通りかかっているかもしれない誰かに向け──盛大に文句を吐き出した。

 一週間前、見知らぬエレベーター前で怯える私の前に現れたのは、私とそう年が離れていなさそうな女性と、芸能人かと見まがうような複数の美男子たちだった。ただならぬその美貌に圧倒され、一瞬ではあるが私は心細さも恐怖も忘れ去る。
 もしかして、彼らは芸能人だろうか?
 ここって芸能プロダクションの借り上げマンションか何かなのか?
 一瞬、そんな思考が脳を過ぎる。もしもそうならば、どういう理屈でそんなところに迷い込んでしまったのかは不明ながらも、ある程度現状に納得もできた。彼らの衣装が揃って現代日本のトレンドから外れていることも、舞台衣装なのだと思えばギリギリ納得できなくもない。
 そうだとすれば美男子たちが揃いも揃って、私に対して警戒心まるだしの顔で距離をとっていることにも頷ける。勝手に非公開の芸能人マンションに入り込んだ不逞の輩がいるのなら、それはたしかに警戒も嫌悪もするだろう。即刻私の口を封じて、此処からつまみ出さねばならないはずだ。私としても望んでこの場にいるのではないわけで、元居た場所に返してくれるのならばそれに越したことはない。
 ドラマや雑誌で見たことがない顔ばかりなのは、デビュー前の秘蔵っこたち、というところだろうか。この顔面偏差値の高い集団が話題にならないとは、とんだ隠し玉もあったものだ。
 ……分かっている。これは現実逃避だ。ちょっと思いがけない事態に陥っていることに対し、私の脳が苦肉の策として思い付いた無茶苦茶な思考だ。分かっているのだが、そうとでも思わないとこの場の重い空気に呑まれてしまいそうになる。
 と、これまでイケメン何人かの背にかばわれるようにして立っていた女性が、おずおずと私の方へと身を乗り出した。
「あの、もしかしてこのエレベーターから出てきたんですか?」
 彼女は上擦った声で私に尋ねる。そしてふと、彼女が私の手元のビールの空き缶に目を遣った。
 その瞬間、女性が「日本語!?」とひときわ高い驚きの声を上げた。その声に驚いて、私はうっかり缶を取り落とす。缶はころころ転がって、騎士みたいな恰好をした両目の色が違うイケメンの足元で止まった。
 騎士風のイケメンが、それを用心深く拾い上げる。
「これ、晶が賢者の書に書いているのと同じ文字か?」
「ではやはり、異界からやってきた二人目の人間ということか……」
「え? え? な、なんですか……?」
 イケメンと女性が揃ってビールの空き缶を注視していた。私ひとりだけ状況が呑み込めず、どうしていいものかおろおろしている。ここって禁酒? いや、しかしどうやら飲酒を咎められた、というわけではなさそうだ。彼らは缶そのものよりも、そこに書かれた文字に気を取られているようだった。
 先程女性は「日本語!?」と言っていた。ということは、この場所は普段、日本語を目にすることがないような場所なのか? つまりここは海外? そのわりには彼らが話しているのは日本語だ。いや、そもそも自宅マンションのエレベーターに乗っていただけなのに、なんで?
 困惑がまったく引かないが、このまま突っ立っていても誰かが説明してくれるわけではなさそうだということだけは、目の前で繰り広げられている彼らの態度から薄々察することができた。こういうときは仕方がないので、自分から率先して話しかけてみるしかない。
「あの、すみません。まったく話が見えないのですが……」
 困惑しきりの私の発言に、ビール缶を注視していた彼らの視線が一斉に私に向けられる。いくらかの刺々しさや困惑をはらんだ視線に、居心地悪さでいたたまれなくなる。だがここで負けてはいられない。
「もしかしてここ、日本じゃないんですか? じゃあ逆にどこ……? あなた方が話してるのは、でも、日本語ですよね……?」
 たしかにイケメンたちの髪色や顔立ちは日本人離れしているように見えるが、少なくとも女性は私と同じ一般的な日本人女性という感じだった。というよりも、この人──
 と、そのとき。女性が一歩踏み出して、私の方に手を差し出そうとした。思考はそこで破られて、私もつられて手を差し出す。
 しかし私に向け差し出されたその手を、長身長髪で赤目の男性がおもむろに掴んだ。
「オズ……」
 女性にオズと呼ばれた男性は、彼女の言葉を無視するように、無言で私を見下ろしていた。ひたと向けられた見慣れぬ赤い色の瞳。多分コンタクトレンズの色じゃない。生まれ持っての、燃える炎の色。
 ぞくりと背筋が泡立って、思わず半歩後ずさる。ひしひし感じる威圧感はおそらく、上背だけが理由ではない。
 目をそらすこともできないまま、私は長髪の男性を見上げていた。不気味な沈黙。しかし息をつめてまもなく、
「これ、オズ。無闇に威嚇をするでない」
「可哀相に、今にも泣きそうな顔をしておるではないか」
 差し出されるはずだった女性の手を、さりげなく両側から引きながら、小さな双子がそう言った。オズと呼ばれた男性は、女性の手をあっさりと手放して、むすりともの言いたげに黙り込む。
 小さな双子はそれに構わず、私を見上げてにこりと笑んだ。
「いきなり大人数での出迎えにさぞ驚いたことじゃろう。そなたが今夜ここに現れることは、我らにとっても唐突にもたらされた情報だったのじゃ」
「万全を期して人数を集めただけで、そなたを害そうという意思はない。だからそう怯えた目をせずともよい」
 まるで台本で決まった台詞を読むように、双子は順に淀みない言葉を紡ぎあげる。
「ここでは何じゃ、場所を移して事情を説明したいのじゃがよいかのう?」
「先程の缶、においからして酒じゃろう。ここにおる賢者は酒のたぐいは飲まんというが、よければ酒でも何でも出そう」
「まずは気持ちを落ち着けるのじゃ。そうせぬことには話もできまい」
 畳みかけるように飛んでくる二人分の言葉は、彼らの容姿にそぐわぬ古めかしいものだった。それでもこんな状況だ。言葉遣いの古めかしさなど気に掛けているだけの余裕もなく、私はこくこく肯いた。
「それでは皆、魔法舎に戻ろうかのう」
 双子の片割れが、よく通る声で号令をかけた。命じるような口調ではなかったが、その場の誰も異論を唱えることをせず、彼らはぞろぞろと順に階段を下っていく。
 双子の子供に手を引かれた女性が、ちらりと何か言いたげに私を振り返る。けれど結局、双子にぐいぐい手を引かれ、彼女は何も言えないままに先頭を歩いて行ってしまった。
 私は彼女と、それから彼女の後ろを歩くイケメンたちにつられるようにして、集団の後ろの方をとろとろついて塔を下る。
 気が付くと、先程の騎士風のイケメンが、私のすぐ後ろに回っていた。塔の階段は狭いせいで、隣同士に並ぶことはできない。彼が集団のしんがりで、私がそのひとつ前を歩くことになっていた。
「いろいろと突然で申し訳ない」
 騎士風イケメンは真面目な表情で、私に向けて手を差し出す。握手を求められているのだろうか。よく分からないなりに、私はその手をおそるおそる握った。あたたかな手のひら。視線を上げれば先程までよりもはっきりと、色違いの瞳と視線がぶつかった。
「こちらも今は立て込んでるんだ。事情はちゃんと説明するし、絶対にあんたを悪いようにはしない。だから今は、ひとまず此処を出て広い場所にうつろう」
「……はい」
 イケメンの言葉には何ともいえない説得力がある。こういうとき、顔が整っている人間は得だ。顔が整っているというだけで、一定の信用を稼ぐことができる。
 それに本音を言ってしまえば、先程からのこの怒涛の展開に、もはや何か質問する気力すら残っていなかった。とにかく状況についていくのが精いっぱいで、はっきり言って立って歩ているだけで限界だったのだ。
 だって今日は金曜日。やっと一週間の労働から解放されたと思ったところに、全然意味が分からないことになっている。つっこむ気力が残っているはずがない。
 普段の私ならばそれでもイケメン、眼福、と思わないでもなかったが、状況が状況なのでそれどころではない。最初こそ浮かれかけたが、今やイケメンが何人目の前に並んだところで、ビジュアルの情報量が多すぎて何の癒しにもならない。
 むしろ今はイケメンと話をするよりも、あの女性と少しでいいから話をしたい。あの場で唯一、話が通じそうな雰囲気があった、あの女性。そういえば何故だか理由は分からないが、私はあの人と遠い昔に出会っているような気がしていた。
 そんなことを考えるともなく考えながら、ぼんやり階段をくだっていると、
「そこ、足元の石畳がめくれかけてるから気を付けて」
 ふいに騎士風イケメンに声を掛けられた。はっとして足元を見ると、気付かぬ間に階段は終わっている。彼の言うとおり、足元の床材がめくれて躓きやすくなっていた。
「すみません、気付きませんでした。ありがとうございます」
「そこ、危ないんだよな。そのうち直さないとと思っていたところだ」
 話しながら塔を出る。物思いをしながら歩いていたせいか、気付けば私たちは前を歩く集団からずいぶん離されてしまっていた。のろのろした私の歩みに文句ひとつ言わずにいてくれた騎士イケメンの優しさを感じ、私は一度歩みを止めると、改めて「すみませんでした」と頭を下げる。
 と、頭を下げて視線が下がったことで、これまで上半身くらいしか碌に見ていなかった騎士風イケメンの腰より下が視界に飛び込んでくる。同時に腰に下がった剣が目に入り、どきりとした。もしかして、あれは本物の刃物、だろうか。
 辺りは夜の暗闇に包まれているが、今日の月は大きく眩い。彼が剣の柄に手をかけているところまでがはっきり見える。先程オズと呼ばれる男性に感じた威圧感──いや、恐怖がふたたびぶり返し、背筋がすっと冷たくなった。
 いや、流石にそれは有り得ない。
 かぶりを振って怖ろしい想像を消し去ろうと努めるが、一度抱いた恐れはそう易々と消えてくれない。
 近代国家の日本において、日常的に刃物を持ち歩く人間はほとんどいない。だから普通に考えれば、この騎士風イケメンの腰にさがっているものは、剣のように見えるだけの模造品か何かであるはずだ。
 けれど、もしも、そうでないとしたら。
 彼が持っているのが、本当に正真正銘の剣だとしたら。
 そんなはずがあるわけない。私の中の常識がそう判断しようとするところを、本能に近いものがしきりに撥ねつけようとする。
 だって、エレベーターを降りてから今までの、すべての遣り取りを思い出してみなよ。
 頭のどこかでそう囁く声がする。すると私の常識は、たちまち自信を失い萎んでいった。代わりにむくむくと擡げるのは、彼が下げているものは本物の剣なのではないかという、限りなく確信に近い疑念だ。
 だとすると、彼が今私のそばに立っている理由が変わってくる。
 油断なく剣の柄に手を掛けている、その理由は。
 彼は優しさで私の後ろを歩いてくれていたわけではなく──
 しんがりとして、私が怪しい行動をとらぬよう見張りをしていた。
 その可能性に思い至った瞬間に、心臓がひゅっと冷たくなったような心地がした。
「ん? 立ち止まって、どうかしたのか? 早く行こう」
 左右で違う両の目が、抜け目なく私を見つめている。人懐っこく見える顔も、人がよさそうな声も、剣に手をかけたままだということに気付いてしまえば、途端に冷徹なもののように感じられ始めた。刀身を見たわけでもないのに、背中を冷たい汗が伝った。
 まさかこの現代で、騎士よろしく剣で人間を斬り殺すような異常者はいないだろう。殺人をおかすにしてももっと、いくらでも安全かつ確実、効率的な方法があるはずだ。あの鞘のなかにおさまっているのが本物の剣であるのかどうかすら、私には判別するだけの手段がない。
 しかし同時に、私は察し始めていた。ここは私の知っている世界ではない。少なくとも日本語で印字された缶がありふれているような世界ではない──私の常識が通用する世界ではないのだ。
 腰から人殺しの道具をさげているかもしれない人間が、私のすぐ後ろをにこにこしながら歩いている。私は彼の視線から逃れるように前を向くと、慌てて遠くなりつつある集団の背を追いかけた。

 ◆

 そんな経緯を経て現在。私はこの与えられた部屋に一週間も軟禁されている。もちろん軟禁なんて不穏当な表現はされていない。しかし朝昼晩の食事はこの部屋に配膳され、食べ終えた頃にまた誰かがお盆を回収に来るのだし、水や何かもこの部屋に半日おきに直接届けられている。さすがに浴室やトイレは自由に使わせてもらえるが、それだって部屋から出るときは不思議なくらいに誰とも顔を合わせない。
 話し相手くらいほしいのだが、それもどうやら無理らしい。魔法使いたちは私を露骨に避けている。そもそもここで、誰かと顔を合わせることのほうが少ない。よしんば出会したとても、半数くらいの魔法使いはよそよそしく逃げていく。
 そう、いっそ盗聴でもされているんじゃないかと不思議になるほどに、私が部屋を出るときには辺りから人気が消える。けれど実際、盗聴か、あるいはそれに近しいことがあってもけしておかしくはないだろう。なにせ相手は魔法使い──私の元いた世界の常識でははかれない、文字通り人智を超えた存在なのだから。

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