夜は来ずとも遠からず


 辺りのざわめきは、私とブラッドリーを遠巻きにしていた。当然だ。誰も厄介ごとには首を突っ込みたくない。
 ブラッドリーが、私の横で大きく舌打ちをした。つと視線を上げてその横顔を見上げれば、ブラッドリーはつまらなさそうな顔で、小さくなりつつあるおじさんの背中を睨んでいた。
 ブラッドリーにとってはあんな人間ひとりびびらせたところで、何の利益も楽しみもなかった、というところだろうか。いや、しかしブラッドリーのことだ。人間を脅かして面白がらないわけがない。ということは、私が割って入ったせいで中途半端に興をそいでしまったのか。ブラッドリーにとって面白くなかったのは、おじさんよりもむしろ、私の方だったのかもしれない。
 そんなことを思ったところで、私はようやく、自分がまだブラッドリーにお礼を言っていないことを思い出した。助けるための手段はどうあれ、助けられた結果は結果だ。
「助かりました。ありがとうございました、ブラッドリーさん」
 私が言うと、ブラッドリーはまた鼻を鳴らす。
「てめえは俺の手下、子分みてえなもんだろ。手下の面倒見んのは頭領の仕事のうちだ」
「知らないうちに手下のひとりにされている?」
「あ? てめえ、俺様の箒乗ったじゃねえか」
 もしかして、幸福の村から強制連行されたときのことを言っているのだろうか。それ以外に箒に乗った記憶などまったくないが、それだって自分の意思でまたがったわけではない。
「そもそもあれは乗ったというか括りつけられたというか……というか、え? あれで手下認定されるんですか?」
「手下でも子分でもねえやつを箒に乗せるかよ」
「分かりにくすぎるうえに強制的に入団手続きさせられている……」
 そんな罠みたいな入団の仕方があるか。あやしい宗教じゃないんだから、入団の意思確認くらいはせめてしてほしい。これじゃほとんど詐欺も同然だ。
 しかし私が文句を言うより先に、
「入団はしてねえよ。そもそもうちの盗賊団は原則野郎だけだ」
 ブラッドリーはさも当然という顔でのたまう。
「あ、そうなんですか」
「だからてめえは、さしずめ俺様が盗賊団とは関係なく個人的に舎弟にした手下、ってとこだな」
「うーん、全然嬉しくない!」
 むしろ組織に属していた方が多少なりともまだましだった。個人的に、なおかつ無理やり結ばされた契約なんて、まったくあやしいにもほどがある。私は現代日本で生きてきた人間なので、あやしい契約にはかなり身構えてしまう。
 ともあれ、ブラッドリーと言葉でじゃれている間に、無用に集めた注目もすっかり散っていた。辺りの不自然なざわめきも消えており、ほっと胸を撫でおろす。たった一度の外出で魔法舎にクレームなど寄せられた日には、もう二度と外出を許してもらえなさそうだ。
 問題が片付いたのであれば、長居は無用だ。
「さて、そろそろ帰ります?」
 私が尋ねると、ブラッドリーが胡乱げにこちらを見返した。
「買い物はいいのか? 見たとこ手ぶらじゃねえか」
「なんかそういう気分じゃなくなってしまって。せっかくブラッドリーさんについてきてもらったところ申し訳ないですけど、今日はもう帰ります」
 それに見るべき店は見た、と思う。ものの相場もだいたい分かった。服は一着も買っていないが、これというものが無かったのだから仕方がない。ここで適当なものを買うくらいならば、双子からもらったお小遣いをそのままクロエに渡して、手が空いたときに何か仕立ててもらった方がよさそうだ。
 ブラッドリーに無駄足を踏ませてしまったことだけは、多少申し訳なく思う。だがまあ、これも見返りに恩赦が出るというのだから、そこまで私が気に病むこともないだろう。そんなふうに思考をまとめていたところで、ふいにブラッドリーに呼ばれた。
「おい、虜囚」
「もういいです」
「手」
「て?」
 て、と言われ、半ば反射で両手を揃えてブラッドリーの方に出した。手のひらを上に向けて差し出した私に向け、ブラッドリーはおもむろにポケットから何かを取り出すと、それを放って寄越す。
「うわっ、とと、えっ」
 きれいな放物線を描いて私に放られたその何かを、私はばたついた動作でどうにか、顔の前で受け止めた。手の中に、何か硬質でこまかな感触を得る。
 空中で閉じた手のひらを、そうっとゆっくり開いた。手の中におさまっていたのは、可憐で繊細なつくりの、銀色の一輪の花だった。花のがくの裏側に、安全ピンより一回り大きなピンがついている。ブラッドリーのコートのポケットに入っていたためか、花は鈍い銀色の見た目に反して、ほんのりと温もっていた。
「これ、……ブローチですか?」
「やる。取っとけ」
 思いがけない贈り物だ。私は花のブローチを指先で慎重につまむと、それを空にかざした。太陽の光を受けて鈍く光った花に、私は目をすがめる。
 こまやかな模様の入った花弁の中に、ぽってりと小さな珠がいくつもあしらわれている。小粒のパールのようにも見えるが、あいにくと宝飾品には詳しくなかった。華やかだが派手過ぎない、アンティークっぽい雰囲気は、今着ている幸福の村の織物の服にも似合いそうだ。
「でも、どうしてブローチなんて……あ、もしかして前に私をおとしいれて裏切ったことに対するお詫びの品ですか? 罪滅ぼし?」
「はぁ?」
 ブラッドリーが心底呆れたような声を上げた。あながち冗談のつもりもなかったのだが、ブラッドリーには罪滅ぼしというつもりなどまったくないらしい。
「つーか、なんで俺様がてめえに謝んなきゃなんねえんだ。かしらつーのはそう簡単に頭下げたりしねえんだ」
「悪いことした時には悪いことしたって言った方がいいと思いますけど」
「俺が善行ほどこす善人だったことあったか?」
「ないですね」
「即答すんじゃねえ。今まさに俺に世話になってるだろうが」
「たしかに」
 恩赦と引き換えとはいえ、親切にされているのは事実だ。厄介なおじさんも追い払ってもらったことだし。
 しかし、それならば尚更ブローチなどプレゼントされる理由が分からない。見たところ高価なジュエリーというわけではなさそうだが、それでもそれなりの値段はするだろう。いや、たとえこれが値のつかないような代物であったとしても、私にはブラッドリーから何かを贈られるようなことをした覚えがない。いっそ、ただの気まぐれとか。その方がまだ納得できる。
 私の困惑を見て取ったのか、ブラッドリーはひとつ溜息を吐いてから、何ということもなさそうな、平板な調子で言った。 
「息抜きにもならねえ、しょうもねえ外出ではあったが、てめえの功績で恩赦が出たのも事実だからな。これはその褒美だ」
「ほうび」
「手下の手柄には褒美を出すもんだろ」
「そうなんだ……」
 そんな反社的縦割り社会の常識は知らないが、ブラッドリーの説明により一応の事情には納得できた。
 外出したいという私の我儘がきっかけで、ブラッドリーに恩赦を受ける口実ができた。それも、市場を一人気ままにぶらつくという破格の内容で。このブローチは、要するにそのお礼。正直にいえばお礼をされるほどのことをした覚えはないが、回りまわってブラッドリーのためになった、ということらしい。
 呆ける私をじろりと眺めて、ブラッドリーは「それ貸せ」とぞんざいな口調で言った。
「えっ、あ、はい」
 ブラッドリーに促され、手の中の花を彼に差し出す。ブラッドリーは何気ない手つきでブローチを手に取って、「動くんじゃねえぞ」と私の一言告げた。
 ブラッドリーの節くれだった指が、私の襟元に伸びる。思わず息をのんだ。反射的に身を引きかけたが、それよりもブラッドリーが丁寧な動作で襟元の布を手繰り寄せる方が早かった。
 がちがちに固まった私に構わず、ブラッドリーは私の服の胸元にブローチのピンを通す。傷だらけで固そうな指先は、意外なくらいに繊細で丁寧な動きをする。銀の花はブラッドリーの手によって、あっという間に私の胸に咲いた。
「ふうん。まあ、悪くはねえな」
 一歩引いて、ブラッドリーが満足そうに笑う。
「ほ、褒めるならちゃんと褒めてくださいよ」
「あぁ? 虜囚のくせに注文が多いやつだな」
「そのネタ飽きてきたんですけど」
 ブラッドリーの軽口に答えながら、顎を引いて自分の胸元を見た。初夏の光をあびて、ブローチは遠慮がちな輝きを纏っている。元いた世界では、ブローチをつけて着飾るようなことはほとんどなかった。まして男性から、プレゼントのアクセサリーを手ずからつけてもらったことなど一度もない。
 大粒の宝石でもなければ、ぎらぎらとした黄金でもない。繊細な細工の花は、ブラッドリーが見初みそめるにはあまりにも、はかなく謙虚なたたずまいをしている。一体ブラッドリーは、いつのまにこんなものを買い求めたのか。まさか魔法舎から持参したとも思えない。私と別行動をしている間に、どこぞの露店で買ったのだろう。
 品物を眺めていてたまたま、私に褒美を与えるということを思い付いたのか。それとも、端から私に贈る褒美として、てごろな品を探したのか。ブローチにまつわるブラッドリーの思惑と思考を想像すると、何故だか胸がきゅっと詰まるような思いがした。
 少しずつ、顔がじわじわ熱くなる。ずっと陽の光に晒され続けているから、そんな理由でないことは、子供じゃないから分かっている。
「肌身離さず身につけとけよ。俺様からのプレゼントに鏡台で埃かぶってるような不遇は似合わねえからな」
 ブラッドリーがにやっとして、指先で軽くブローチをつついた。ブローチがついているのは胸元なので、正直きわどいところを触られていると言えなくもない。しかしブラッドリーの指先があまりにも気安いから、ちっともいやらしい感じはしなかった。それに今はなんとなく、小さな不満をことさら言い立てる気分でもなかった。
「心配しなくても、私の部屋に鏡台なんてないですよ」
「そういう問題じゃねえだろ。つーか鏡台くらい寄越せって言えよ。身支度ひとつできねえじゃねえか」
「クロエに借りた手鏡があったので、それで何とかなってたんですよ。あと窓に写したりとか」
 とはいえたしかに、ブラッドリーからもらったブローチを、適当な場所に置いておくわけにもいかなかった。それに、誰かにつけてもらうならばともかく、自分でつけるときにはきちんとした鏡を見なければうまくつけられない。こういうものを私は扱い慣れていない。
「そんなに高いものじゃなくてもいいのでって頼んだら、どうにかなるかな……。最悪出世払いで」
「あいつらの都合で魔法舎にいろって言われてんだから、強請ゆすりでもたかりでもすればいいんだよ。てめえには俺様と違って欲しいもんをぶん盗ってくる腕もねえしな」
「反社の素質がなくて何よりすぎる」
 と、ふいにブラッドリーがふっと小さく笑う。何かと思って首を傾げて見上げると、私と視線を合わせたブラッドリーは、私の髪を無造作にぐしゃりとかき回して言った。
「俺様のやったアクセサリーのためにきれいに身づくろいしようっつう、そういう姿勢は悪くねえな。してやり甲斐のある女は嫌いじゃねえ」
「は!?」
 機嫌よさげなブラッドリーに、私はそれ以上の返す言葉を持たなかった。乱された髪を手櫛でもそもそ整える。
「帰るぞ」
 ブラッドリーが声を掛ける。
「ずるい……」
「あ? なんか言ったか?」
「なんにも!」
 数歩先を歩く、コートの上からでも分かる大きくて引き締まったブラッドリーの背中を、私はむすりと睨んで答えた。

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